第315話
「では、そこは手筈通りに。既に貸与した魔導砲については――」
人目を忍び、対魔王同盟軍の陣営への潜入に成功したヤマトとノア。
彼らの前には、折り目正しく軍服を身に纏った帝国軍将校の姿があった。
「どうする?」
「……どうするも何も、知らん顔して通り過ぎるしかないでしょ」
若干の焦りを滲ませたノアの言葉に、「それもそうか」と頷く。
ヤマトが魔族だったなら事は簡単に進まなかっただろう。だが、ヤマトはれっきとした人間であり、この場にいることは何ら不思議ではない存在だ。
(だが、な)
僅かに逡巡する。
ノアの言うように、ただで通り抜けられるように思えないのは、件の帝国軍人が纏う気配ゆえだろうか。
躊躇い、二の足を踏みそうになる。
「行くよ」
「……おう」
なかなか前へ進まないヤマトに痺れを切らしたのか、ノアはさっさと歩き始めてしまう。
その後に続いて歩を進めるヤマトは、極力自然に、軍人らから眼を逸らすようにして――
「――待て」
「………」
何かの空耳であることを期待するも、後ろからは確かに、帝国軍人の視線が感じられた。
ここで振り返らないのは、自ら不審者であると喧伝するようなもの。
応じなくてはならない。
「………」
「何をした?」と問い詰めるような視線が、前を行くノアから投げられる。
それに言い返したい気持ちをグッと堪えながら、ヤマトは渋々後ろを振り返った。
「ほう」
「何か?」
感心するような、呆れているような。
今一つ内心を推し測れない溜め息を、その将校は漏らした。
「見事なものだな。まだ若いというのに、それほどに気を高めるとは」
「―――」
「いやなに。声を掛けずにはいられないほど、見事な力を感じたのだ。許してほしい」
ヤマトとノアの心配とは裏腹に、邪気の一切を覗かせない将校の態度。
それにやや毒気を抜かれながらも、ヤマトは曖昧に頷いた。
「構わない。だが、感じ取れる者がいるとは思わなかった」
「大抵の者は分からないだろう。だが、私はすぐ身近に強者が多数いたのでな。人の気配には、少々敏感なのだよ」
「少々」という言葉では済まないほど、感知能力が高まっているように見えるが。
そんな本音は内心に秘めて、お返しとばかりにヤマトも相手の気を探る。
「そちらも、相当に腕が立つようだ」
「ふふっ。それでも、“そこそこ”留まりではな。私の武は、真なる武の真似事に過ぎんよ」
「……真似事か」
思わず首を傾げる。
言葉の意味が、今一つ理解し切れない。彼ほどに磨き上げた武を「真似事」と言うならば、いったい何ならば「本物」になるのだろう。
ヤマトの疑問を察してか、将校はふっと遠い眼になる。
「見れば分かる。本物の武を極めんとする者は、見るからに別格だ。貴殿も、いずれ相見える時が来るだろう」
「そうか。ならば、楽しみにしていよう」
何事もないように会話を楽しんでから、背中をチクリと刺すような鋭い視線を思い出す。
(長居しては、余計なものを引き寄せかねんな)
潮時だろう。
そう判断したヤマトは、将校に向けて軽く頭を下げた。
「では、これにて失礼――」
「あぁいや、本題はこれからだ。少し待ってほしい」
冷たい手で臓腑を撫でられたような感覚。
思わず身を硬くするものの、帝国軍将校から剣呑な気配は感じられない。むしろ、先程までの世間話を続けるような気安さがある。
「何か?」
数十秒前と同じ言葉。
自覚しない内に硬い響きが声に滲み出ていたが、将校の方はそれを気に掛けることはしなかった。
「率直に言えば――」
軽い前置き。
ヤマトと、その後ろにいるノアの視線を引き寄せてから。将校は重々しく口を開いた。
「貴殿を、帝国軍に勧誘したいと思ったのだ」
「……は?」
思わず問い返す。
そんなヤマトの反応は、想定の範囲内だったのだろう。特に戸惑う様子を見せないまま、将校は話を続ける。
「今この場所には、貴殿らを含めて数多くの傭兵が集まっている。私は本国から、見どころのある者を勧誘する任も受けているのだよ」
「勧誘……」
「いかにも。だが――」
頷いてから、グルリと辺りを見渡す。
辺りに人の姿は見えないものの、戦時の高揚を伺わせる盛り上がりを見せる陣幕。それを遠く見やり、嘆くように溜め息を漏らした。
「貴殿らも気づいているだろう。率直に言えば、ここに集まっている傭兵の――いや。兵全体の質は、お世辞にも高いとは言えない」
「それは……」
「敵軍を目前としているにも関わらず、ろくな見張りすら立てず遊び呆ける始末。まるで、斥候に忍び込んでくれと言っているようなものだ」
思わず、心臓の鼓動が速まった。
それを努めて表に出さないよう気を払いながら、ヤマトは将校の言葉に頷く。
「確かに、警戒は薄いな」
「無論、仕方のない部分はある。教会に周辺諸国を纏める力がない現状、簡単な役割分担であっても、容易く決定することはできないからな」
「指導者の欠落、ということか」
教会の権威が落ちたことが理由。
それは回り回って、教会の求心力を貶めるほど栄達した、帝国の責任でもあるように聞こえる。
そんな内心を測ってか、将校は穏やかな笑みと共に頷いた。
「過去幾度も行われた大戦では、教会が陣頭に立ってきた。だが権威に陰りが見えた今、教会にそれを求めるのは酷であろう。ならば――」
「帝国が、その役割を果たすと?」
「ふふっ。私の妄言に過ぎないが」
小さく笑みを零してから、将校は首を横に振った。
「話が逸れた。そんな事情ゆえに、この地には腕の立つ傭兵は来たがらない。私が見た中では、貴殿らが一番腕が立つだろうな」
「……そうか」
「ゆえに、勧誘している。その才、ここで使い果たすのはあまりに惜しい。帝国軍に加われば、より輝ける場を得られるはずだ」
「………」
ヤマトが本当に、この陣へやって来た傭兵だったならば。
その勧誘を前に、考えることすらしなかっただろう。己の才が認められたことに浮かれ、即座に頷いていたかもしれない。
だが、今のヤマトにとっては――
「……ふむ。済まない、どうやら尚早すぎたようだ」
「む?」
どう答えたものかと考えあぐねたヤマトの前で、将校が目尻を下げながら言葉を撤回する。
「千載一遇の好機と見て、焦りすぎたようだ。私の話は忘れてくれて構わない」
「そう、か?」
「あぁ。無論、その気になればいつでも帝国へ来るといい。貴殿ほどの腕ならば、差し支えなく士官できるだろう」
「……そうだな。その時が来たならば」
結局、将校の真意を探り切ることはできなかった。
戸惑い半分に頷いたヤマトを見て、将校は満足気に首肯する。
「呼び止めて済まなかった。夜道は危険ゆえ、早く陣へ戻った方がいい」
「……忠告感謝する」
「うむ。ではな」
勧誘を断られたことを露ほども感じさせない、さっぱりとした去り際。
その背中を思わず見送ったヤマトは、胸の内に妙なざわめきが生まれていることを自覚した。