第312話
「……ふむ」
ミレディから伝えられた、協力の申し出。
それに魅力的な響きを覚えながらも、ヤマトはすぐには飛びつくまいと自制した。
「何が狙いだ」
「あら。まずは話を聞いてからでも、遅くはないと思うけど」
「妙な手管で丸め込まれては、堪らないからな」
口八丁手八丁で丸め込まれるという経験は、ヤマトにとって縁遠いものではない。
身近にノアやアナスタシアという、弁論術に長けた者がいるのだ。彼ら彼女らからすれば、単純明快な道理を是とするヤマトなど、口先で操るのも容易かったことだろう。
そしてヤマトが見立てる限り、ミレディもその二人の同類と言うべき女だ。
(迂闊に信を置くのはもっての外。伸るか反るか、慎重に断じなければならない)
警戒心を顕わにしたヤマトを見て、何を思ったのか。
控えめながらも惹き込まれるような笑みを浮かべて、ミレディは口を開いた。
「ずいぶんと用心深いのね」
「性分のようなものだ」
「そう。でも、ろくに周りを見ない無鉄砲な人よりは好感が持てるわ」
「そうか」
努めて無関心な声を返すも、ミレディはそれに堪えた様子を見せない。
むしろ、そうした抵抗を見せるヤマトの姿に、ある種の面白さを覚えている節すらあった。
(分かってはいたが、口で敵う気がしないな)
会話の主導権を向こうに握られたのみならず、精神的な立ち位置を格付けされたようにすら思える。
こうなれば、下手に会話するより黙秘を貫いた方がいいような気がするほどだ。
その直感通りに口を閉ざしたところで、ミレディは説明を始めた。
「元々、私と“彼女”が協力関係にあるって話は知っているわね? ここに来る前、“彼女”から頼まれていたのよ」
「頼まれていた?」
「えぇ。他の将軍たちに眼をつけられないように気を配ること。それと、向こうの陣営に渡りをつける時に手助けすること」
「ほう」
停戦を果たすべく、勇者と直接連絡を取る。
ヤマトとアナスタシアの間で交わした約定を知っているのなら、ミレディの言葉にも信憑性が生まれるように聞こえる。
ひとまずヤマトの側に、話を聞く意思が芽生えたことを察したのか。小さく頷いたミレディは、提案した「協力」について語り始めた。
「前者については、可能ならって話ではあったけれど……。もう眼をつけられたみたいね?」
「だろうな」
「ヘクトルは元々って聞いていたけれど、まさかヘルガまで」
第一騎士団長ヘルガ。
彼とヤマトが顔を合わせた回数は、片手の指で足りる程度でしかない。毎回、軽く顔を会わせる程度で終わり、今回のように言葉を交わすまではいかなかったのだが。
「何か怪しまれるようなことに、心当たりは?」
「さてな」
「うーん。そうなると、彼お得意の直感ってやつかしら?」
「……お得意?」
思わず問い返すと、ミレディは我が意を得たりとばかりに首肯する。
「そう。正直、私からすると信じられない話でもあるんだけどね。彼、自分の第六感をすごく信頼しているみたいなのよ」
「第六感か」
「ただの眉唾だと思うけど。ただ、確かに直感任せとしか思えない行動をよくするし、その多くがいい結果を出しているの」
ミレディ然り、ノア然り、アナスタシア然り。
理をもって世界を見つめようとする人種は、第六感の存在を敬遠する傾向にある。
だがヤマトの考えでは、第六感や直感といったものは確かに存在している。気を巡らし感覚を磨く日々を送った者は、そうした部分も冴えてくるものだ。
「直感頼りで正解を出されたなんて、考えたくはないけれど……」
「現に、奴は俺を見破った。口にこそ出していないが、既に確信しているはずだ」
「そうなのよねぇ」
ほとほと弱ったという風に、ミレディは力なく溜め息を漏らす。
己の理の外側から殴りつけてくる存在など、どう対処すればいいか判断もつかない。その意味で、ヘルガはミレディたちの天敵に等しいと言えるだろう。
「色々と手を考えていたのに、彼のせいで全部ダメにされたわ。味方でなければ、とっくに暗殺を考えている頃よ」
「穏やかではないな」
「あら、ごめんなさいね」
何はともあれ、ミレディからしてもヘルガはやり辛い相手ということ。
既にヘルガに同道することが決まってしまった以上、彼女がヤマトのためにできることはない。この件について、彼女の助力を請うことはできないということだ。
「……まぁ、それはいい。それで、後者の方はどうなっている」
「それが、ここでの本題よ――ちょっと、そこの兵士さん」
ぐるりと辺りを見渡したミレディが、一人の兵士に眼をつけ手を上げる。
目深に被った兜で表情は伺えないものの、比較的小柄な兵士だ。ミレディの招集に即座に応じた辺り、彼女の私兵なのだろうか。
「今日の夜更けに、この子を遣いに出すわ。あなたは、この子の後について陣を抜け出せばいい」
「ふむ」
「向こうの陣については、潜入するだけなら難しくないはずよ。あなたならね」
「だろうな」
対魔王同盟軍として組織されているということは、大陸各地の兵を募っているはず。
流石に魔族が入り込むことは難しいだろうが、人間であるヤマトが忍び込むことに苦労するとは思えない。
(それも、帝国を避ければの話ではあるが――)
あれこれと憂慮してみても、実際を見ないことには結論も出せない。
そう判断したヤマトは、頷き、ミレディに向き直った。
「助かる。この礼は“彼女”を通じて渡すとしよう」
「あら。そうしてもらえると、私としても助かるわ」
冗談混じりの微笑み。
相変わらず女の艶を隠そうともしない仕草の後に、ミレディはひらりと手を振り身を翻した。
「あまり長居しても怪しまれそうだし、私はもう行くわ。何か困ったことがあれば、いつでも言ってくれていいから」
「分かった」
「それじゃあね」
背中からでも色気を感じずにはいられない後ろ姿。
陣立ての雑用をしていた兵士たちの眼を一点に惹きつけながら、ミレディは優雅に立ち去っていった。
(派手な女だ)
ちらりとそれを見送ってから――ヤマトは、残された兵士へ眼を転じる。
肉体労働に向いているとは思えない、小柄な体躯。華奢ながらもしなやかな肉体から察するに、斥候としての役割を期待された兵なのだろうが。
改めて兵士の姿を見て、一つの確信を得る。
「……それで」
「はい?」
「いつまで変装しているつもりだ?」
問えば、兵士の雰囲気がぎくりと硬直する。
「変装、とは?」
「別に惚ける必要はない。もう、辺りに人の気配はない」
そのヤマトの言葉に、やがて兵士は呆れたように溜め息を零した。
職務に忠実なことを伺わせる固い雰囲気が失せ、代わりに表出するのは、悪戯小僧の如き活気に満ちた佇まい。
もはや、疑うことすらしない。
僅かながらに張っていた気を緩ませ、兵士に向けて声を上げた。
「よくここまで入り込んだな、ノア」