第31話
アルスの街は、その大部分を大陸中から集まってくる観光客向けの施設として整備している。昔からアルスに住み着いている海賊のための市場も含めて、外から見て美しいように整えられているのが実態だ。
そんなアルスの中において、今ヤマトたちがいる場所は数少ない例外の一つであった。
「――着いた! ここがそうだよ」
声を上げるララに続いて、目の前のそれを見上げたヤマトとノアは、感心のあまり嘆息する。
そこは、神殿というにはあまりに自然の中に溶け込んでいた。海沿いにそびえ立つ断崖絶壁を貫く、巨大な洞窟。そう評するのがもっとも適切であろう。
人気のない岩場に、ともすれば竜種すら収まるほどの巨大な穴が口を開いていた。奥を見通せないほどに深い穴の中からは、微かな波打ち音を伴って、生暖かい風が吹きつけてくる。中を照らす照明用魔導具が等間隔で設置されているため、おどろおどろしい雰囲気は感じられないものの、人が本能的に背筋を正してしまう威容が、その穴からは感じられた。
「雰囲気あるねぇ」
「アルスが成立する前からある穴でね、『竜のあぎと』なんて呼ばれ方をされたりしているんだ」
言われて、改めて穴を見上げる。
岩場の中でも一際巨大な岩塊に、その穴は掘られていた。ゴツゴツと波打つような紋様になったその岩は、言われてみれば竜の頭のようにも見える。海の波風で削られ鋭利に尖った岩が、竜の牙の如く、辺りに生えている。極めつけに、穴奥から吹き出す生暖かい風は、正しく竜の吐息のようだ。
「海竜信仰にはうってつけということか」
「まあここもそうなんだけど、中の方もね」
そう言って、ララは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
どことなく不気味な雰囲気を漂わせる洞窟を前に、思わずノアは足を止めてしまっている。そんな彼を促すように、ララはずんずんと洞窟の中へ足を踏み入れた。
「さあ、行くぞ」
ノアを促して、ヤマト自身も洞窟の中へ進む。
壁際に備えられた照明魔導具が、辺りを明るく照らしている。そのおかげで、正面から見たときの威容は幾分か軽減されているように感じられた。ノアもそれを確かめたためか、表情に余裕が戻っている。
少しばかり歩けば、行き先を遮るように巨大な門が設置されていることに気がつく。
「あれは?」
「あの先からが神殿。ここまでは、外の人でも入ることが許されているの」
なるほど。通りで誰も見張りがいなかったわけだ。
納得するヤマトを尻目に、ララは門の奥に向かって声を上げる。
「誰かいるー!? 入るよー!」
「――あぁ、これはこれは。ララさんでしたか」
その声と共に、門がゆっくりと僅かに開かれる。その隙間から、青い神官服を身にまとった男がゆらりと現れた。
一目見て現実感の薄い男であった。洞窟の中に長時間いるからなのか、その顔はひどく青白く、幽鬼のようにすら見える。そんな雰囲気に違わない儚い笑みを浮かべて、男はララを歓迎する。次いで、ララの後ろにいたヤマトたちに目を向けた。
「そちらの方々は?」
「私の恩人さん。観光しに来たみたいだから、せっかくだしここを案内しようと思って」
「それはそれは、ようこそお越しくださいました」
丁寧な礼をする神官に、ノアが応じる。
「あまり人は入れないと聞いていたんですが、どうしても入りたくて。大丈夫そうな場所だけでいいので、お願いします」
「えぇえぇ、どこへでも構いませんとも。ですが、今日はお客様がいらっしゃるとのことでして」
「お客さん? 珍しいね」
率直なララの言葉に、神官は苦笑いを浮かべた。
「えぇ本当に。ですが大切なお客様ですので、皆その応対に追われているのです。詳しい案内はできなさそうですが……」
「まあ私が案内すればいいでしょ。行っちゃいけない場所とかはある?」
「いえいえ、ララさんが信頼されている方ならばどこへでも。ただ、できれば早めに済ませていただけると――」
そんな神官の言葉が終わらない内に。
ヤマトたちが歩いてきた方から、コツコツと靴音が数人分聞こえてきた。
「はて? 今日はお客様の多い日ですね」
「珍しいことがあるもんだね」
何気に失礼なことを言い続けているララであるが、そんな彼女の言動には慣れたものなのだろう。苦笑するに留めて、神官の男はゆっくりと門を開き始める。
「普段はあまり人は来ないのか?」
「そうですねぇ。前までは『海鳥』の方々がよく訪れたものでしたが、今となっては。『刃鮫』の方々はあまりこちらに寄りつきませんから」
「どういうことだ?」
首を傾げるヤマトに対して、門を完全に開放した神官の男は、困ったような苦笑いを浮かべる。
「どうも『刃鮫』の方々は、私共の海竜信仰に懐疑的らしく。航海の安全祈願もされないのですよ」
「ふぅん? まあ信仰の自由ってやつもあるしね」
「えぇ。ただ、彼らが海竜様の怒りを買わないことを祈るばかりです」
海竜様の怒り、とやらが何のことなのかは分からないが。
きっと大波や大嵐のことなのだろうと見当をつけて、ヤマトは靴音が聞こえてくる方へ視線を転じる。
「そろそろか」
微かに聞こえてくるほどだった靴音は、今やかなりはっきりと聞こえるほどになっている。それに伴って、聞き覚えのない男の会話する声も耳に届くようになってきた。
「じゃあ私たちはそろそろ行こうか」
「えぇ。どうぞお楽しみください」
ララが先頭を歩き出し、神官がその背中に礼をする。
ヤマトもララに続いて歩き出そうとしたところで、ノアが靴音が聞こえる方を向いて小首を傾げていることに気がつく。
「どうした?」
「うん? いや、何か気になってね」
言われて、ヤマトもノアが見ている方に向き直る。
靴音は二人分。片方は革靴の音なのに対して、もう一方は金属製の靴を履いているようだ。聞こえてくる男の声は一人分のみだから、片方がもう片方にずっと話しかけている形になるだろうか。気配を読み取れば、二人共民間人――いや、片方は少し違和感が残るか。
「――そういうことか」
「何? 二人共どうしたの?」
ララが足早に戻ってくる。
どう応じたものかと考え込んだヤマトを尻目に、ノアもそれに気がついたらしい。一瞬だけ驚いた表情を浮かべると、すぐに相好を崩した。
三人が見つめる先で、洞窟を下ってきた者の姿が現れ始める。片方は痩せた神官で、見覚えはない。だが、もう片方の者は別だ。
時代錯誤な甲冑で全身を武装し、その顔は少しも見通せない。手荷物の類はほとんどなく、腰元に淡麗な長剣が一振り提げられている。常軌を逸した重武装にも関わらず平然と歩いていたその者は、ヤマトたちを前にして一瞬だけ硬直するも、すぐに気を取り直して手を上げてきた。
「これはまた、奇遇だな」
「こっちも驚いたよ。それにしても、ずいぶんと早かったね? ヒカル」
グランダークの街で出会い、襲撃してきた魔王軍とバルサを共に撃退した者――勇者ヒカル。
その当人が、兜越しに苦笑いを浮かべた雰囲気でそこに立っていた。
「勇者様? そちらの方々は……」
ヒカルに同行していた神官が、戸惑った表情を浮かべていた。こちらの神官は衣服を橙色に染め上げた、太陽教会の者だ。
「グランダークで会った冒険者だ。一度説明しただろう?」
「あぁ、共にあの事件を解決したという方々ですか」
納得した表情で頷いた太陽教会の神官は、したりと頷く。
対して、海竜信仰の神官は未だ戸惑った表情のまま、勇者と太陽教会の神官の間で視線を惑わせている。
「で、ではあなた様が太陽教会の――」
「えぇ。勇者を務めているヒカルと言います」
「こっ、これは失礼しました! ようこそ私共の神殿へお越しくださいました! よろしければ私がご案内いたしますが――」
「気遣いは無用だ。普段通りで構わない」
勇者としての姿を演じなければならないらしく、ヒカルは無愛想な男といった風体で挨拶をしている。本来は感情豊かな少女だと知っているヤマトとノアからすれば、少しおかしな光景だ。
妙なボロを出さないように視線を逸らした先で、ララが怪訝そうにヤマトたちを見つめていることに気がつく。
ヒカルとの関係をどう説明したものかと頭を悩ませたヤマトを置いて、ヒカルたちの話は進んでいく。
「既にお伝えした通り、この街での勇者様の活動を認めていただきたく、こちらへ参りました」
「これはご丁寧に。えぇ、私共としては何の問題もございません。勇者様の目的がなされることを祈っております」
ぺこぺこと頭を下げる神官二人に鷹揚に頷いたヒカルは、そのまま辺りを見渡す。
「ここは海竜信仰の神殿と言ったな?」
「え、えぇ。こちらでは海竜様に祈りを捧げて、海の安寧を願っております。それが何か……?」
「いや。大した神殿だと思ってな。できれば見て回りたいところだ」
そこまで聞いたところで、ヤマトとノアはヒカルの思惑を理解する。
「構わないか?」
「もちろんですとも! それでは私が案内させていただきますが――」
「いや、特別扱いは無用だ。彼らの案内のついでにしてくれればいい」
ヒカルが顎でヤマトたちの方を示す。
思い切り目を惑わせた海竜信仰の神官だったが、太陽教会の神官が小さく頷いたのを確認して、そっと息をつく。
「それでは勇者様。私は外でお待ちしております」
丁寧に太陽教会の神官は礼をする。
異教徒を排斥するような過激な教義があるわけではないが、むやみに異教の聖地へ踏み入るべきではない。そんな神官の考えを察して、ヒカルも頷き、元来た道を戻っていく神官の背中を見送る。
その背中が見えなくなった辺りで、口を閉ざしていたノアが言葉を発した。
「また会えたねヒカル」
「あぁ、奇遇だな。ヤマトも、また会えたことを嬉しく思う」
「奇遇」の部分で微妙に笑みを噛み殺しながら、ヒカルはそんなことを言った。
それに首肯を返しながら、ヤマトはちらりと海竜信仰の神官へ視線を送る。その意図を察したらしい神官は、ゆっくりと礼をする。
「それでは皆様、私共の神殿の案内をさせていただきます。どうぞこちらへ――」
門がゆっくりと閉じていく。
その音を背中越しに聞きながら、ヤマトたちは神殿の中へと足を踏み入れた。