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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
エスト大戦編
309/462

第309話

 一年を通して氷雪に閉ざされていた北地。

 およそ人が生きていける場所ではない、極寒で過酷な地から南下した先には、広大なエスト高原が広がっている。


「―――」


 ヤマトの眼前に広がるのは、件のエスト高原。

 しかも、その中においても南部に位置する地であり、吹き抜ける風には馴染み深い暖かさが含まれていた。


(懐かしいな)


 思わず、ホッと溜め息が漏れた。

 エスト高原北部に足を踏み入れた時とは、空を行く風の質が明確に異なっている。今この地を抜ける風の暖かさは、紛れもなく、二十年の時を生きてきた地を思い起こさせるものだった。

 後数時間ほども南へ歩を進めたならば、辺りの景色は見覚えのあるものになるはずだ。

 ――ゆえに。


「もどかしい、な」


 ジリッと胸が焦がれるような感覚がある。

 叶うならば、陣を飛び出し南へ歩きたい。叶うならば、穏やかな顔で笑う人の姿を見たい。叶うならば、煩わしい仮面を脱ぎ捨てて屈託なく語りたい。

 どれも、今はまだ叶うはずもない願い。どれほど強く請うたからと為せるものではない。願ったとて無駄なことであり、やるべきことは別にある。

 それでも、想わずにはいられない。


(これが郷愁か)


 極東から飛び出した時には、ついぞ想うことのなかった情動。

 それに焦らされている己の有り様に、ふと苦笑いが漏れ出そうになる。

 毅然とあれ、強くあれと想い念じたかつての己は、いったいどこへ消えたのか。こんな軟弱な己を、己は果たして許せるのか。

 グルグルと仄暗い情念が胸中を駆け巡り、脳裏を引っ掻き回し――やがて、鎮まる。


「ふぅ――っ」


 深呼吸。

 心に凪いだ水面を描き、微かな波紋をも許さない。一切合切の動揺を失せさせ、己の一振りの刃に見立て研ぎ澄ませる。

 冷たく硬い鋼鉄の刃。燃え滾る業火は秘奥に仕舞い込み、表へはただ怜悧な面のみを晒す。


「――よし」


 煩雑な感情は奥底へと封じ込めた。

 今この場に立っているのは、アナスタシアの名代として遣わされた物言わぬ剣士。些事に心を揺るがすはずもなく、ただ眼前の敵を屠ることのみに傾倒する戦狂い。

 そう言い聞かせ、己自身の眼をも欺く。


「戦の気が近いな」


 己を一振りの刃と見立てれば、自ずと感じられるものがある。

 高揚、歓喜、恐怖、欲望。その他諸々を全て包含したドス黒い情念が、熱を撒き散らしながら噴き上がっている。

 明日か、明後日か。そう間を置かずに、戦は幕を開ける。

 殺戮の時は近い。


(敵方は、準備万端というところか)


 青々と草が生い茂る高原の先。

 エスト高原の入り口――魔族にすれば出口を塞ぐように、人の軍勢が陣を構築していた。

 圧倒的な軍勢。その数を挙げたならば、ここに集った魔王軍の倍以上に昇るのではないだろうか。士気の多寡までは掴めないが、勇者ヒカルが出張っている以上、戦意が萎えているということはあるまい。

 ただでさえ精強な敵手だが、加えて厄介な点がもう一つ。




「――あれが帝国製の大筒か。なるほど確かに、壮観なものだな」




「ヘクトル」


 驚きはない。

 眼を向けずとも、彼がすぐ近くまで寄っていたことは気づいていた。


「何の用だ」

「直に軍議が始まる。本来であれば将軍職のみが集うのだが、貴殿は“彼女”の名代だ。参加したとて、誰も文句は言うまい」

「そうか」


 軍全体がどのように動くのか。それを把握できたならば、ヤマトにできることも増していく。

 人の軍相手に死屍累々を築くかは置いておくとして、情報を得られるならば遠慮することはない。


「了解した。向かうとしよう」

「おう。……だが、時間はまだある」


 言外に「話に付き合え」という指示。

 積極的な肯定はしないながらも、ヤマトは無言でその場に立ち止まった。


「率直に尋ねよう。貴殿はこの戦の趨勢を、どう見る」

「………」

「敵方の数は多く、勇者に率いられ士気も高い。加えて帝国が誇る魔導兵器が揃い、その銃口を我らに突きつけている」

「……そうだな」


 考えるまでもない。

 そう思いながらも、ヘクトルの言葉を受けてヤマトは軽く思考を巡らせた。


(数と質。二つのみを比べたならば、拮抗と言えなくもないか)


 兵の数は、明らかに人の軍が勝っている。数とは力。一騎当千の強者が混じっていたところで、結局は万の軍を揃えれば、戦に勝つことは容易い。

 指揮官の差は、魔王軍に分があるだろうか。戦闘経験豊富な四将軍に率いられた魔王軍は、自然、戦場における統率に優れる。敵方を率いる勇者は、個人の力量に長けている一方で、軍を指揮した経験には乏しい。

 数では人の軍が勝り、質では魔族の軍が勝る。

 この拮抗を崩し得る要因は、ただ一つ。


「我が軍は不利。策を講じなければ敗北は必定と言える」

「……ふむ」

「数に劣り、質で勝る。それで生まれるのは精々、泥沼化した戦ばかり。兵は摩耗し、直に戦などできない身体になる。――だが」


 ついっと指で空を差す。

 その先にあるものを認めて、ヘクトルは渋面になった。


「火力の差か」

「いかにも」


 こればかりは、覆しようがない。

 ただ引き金を引くだけで、容易に百を屠る殺戮の兵器。平時であれば疎まれるその力だが、この戦においては、この上なく重要なものとなる。

 いかに魔族が強靭な肉体を宿しているとはしても、大筒の一撃を受け止められる道理はない。せいぜい、木っ端微塵の肉塊に変じるのが関の山。


「ゆえに、我らは策を練らねばならない。正面からの衝突を避け、あれほどの兵器を封じる一手を」

「で、あろうな」

「だが、問題は――」


 言いかけて、口を閉ざす。

 胡乱げな表情を浮かべたヘクトルに向けて、代わりに別の言葉を投げた。


「――それよりも、時間はいいのか」

「む? おぉ、そろそろ刻限であるな」


 ヤマトの言葉に、ヘクトルは頷く。

 軍議の時間。そこで何が話し合われ、何が決定されるのか。一介の武芸者にすぎないヤマトに、それを予測することはできない。

 それでも。


(「魔族であれば、大筒を受け止められる」――などと、言い出さなければいいのだが)


 もしそうなれば、魔族の滅亡は一気に前進することになろう。

 人と魔族。どちらに与するかを未だ決めかねながらも、ヤマトはそのことを願わないではいられなかった。

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