第308話
「――よかったじゃねぇか」
「む?」
ノアとの通信が切れた後、唐突にアナスタシアが口を開いた。
彼女の言葉に思わず首を傾げたヤマトは、そのままに問い返す。
「何のことだ」
「何のことってお前……。お友達と久しぶりに話せたとか、勇者様と会う目処が立ったとか。色々あるだろ?」
「……そうか」
「そうかって。結構冷たい野郎だな」
小さく呟き、アナスタシアはジットリとした視線を向けてきた。
やや心外ではあるが、自覚がない話でもない。
「冷たいか?」
「そりゃそうじゃねぇの? 普通、久しぶりに友人に会えたら嬉しいとか、そう思うもんだろ」
「嬉しくない、訳ではないのだが」
その感動が常人よりも薄いところは、否定できないだろう。
ろくに対等な友人を作ってこなかったツケか。刀ばかりにかまけていた報いか。戦に生きる者として身につけた精神性によるものか。いずれにせよ、他人より喜怒哀楽の度合いが弱いのは確かだ。
アナスタシアに反論しようとして、上手い言葉が浮かばなかったために口を閉ざす。
そんなヤマトの様子にニヤリと笑みを浮かべたアナスタシアだったが――表情が変わる。
「げ」
「………? どうした」
問いながら、アナスタシアの眼が向く先へ視線をやる。
そこにあるのは、一つのモニター。液晶画面に映し出されているのは、研究室入り口付近の光景だ。
いつもならば、無機質な白い壁と床が広がるばかりのそこに、今は異物が一つ。
「ヘクトルか」
その男の名を呟いた。
ヘクトル。
魔王軍第二騎士団長を務める傑物であり、他の誰よりも――第一騎士団長ヘルガよりも、魔王の厚い信頼を勝ち得ている男。本人の力も然ることながら、隊を指揮する能力には抜きん出たものがある。
魔王軍が人へ宣戦布告を為した戦――先に、エスト高原北部で行われた戦において、彼は陣の総大将を務め、そして無事勝ちきってみせた。
そんな男が、なぜここにいるのか。
「呼んだのか?」
「俺がここに他所者を呼ぶ訳ないだろ! お前が呼んだんじゃないだろうな?」
「いや。俺は特に話してすらいないが」
どうやら、二人共に心当たりはないらしい。
アナスタシアと顔を見合わせて首を傾げたところで、研究室内にブザーが鳴り響いた。
「……これは?」
「来客用のブザーだよ」
端的に説明したアナスタシアは、嫌そうな顔でモニターを睨めつけた後、重苦しい溜め息を吐く。
「応じなくていいのか?」
「ケッ、どうせろくでもない用事さ。俺は居留守でも使うぞ」
「何だそれは」
思わず口を挟むと、キッと鋭い視線を向けられた。
アナスタシアがたびたび覗かせる悪魔めいた表情とは違う。拗ねた猫が見せるような顔に、ふっと笑みが零れそうになる。
「なら、お前が応じればいい。俺は出ないからな!」
「……分かった」
まるで子供のような反応だ。
苦笑いしながらも、再びモニターに映ったヘクトルへ眼を向ける。
「そこのボタンを押せば、ここからでも会話できるぞ」
「うむ」
促されるがままにボタンを押し、口を開いた。
「あー……、聞こえるか?」
『む。そなたは……。いや、丁度いい。次の戦について、そなたらに伝えなくてはならないことがあるのだ』
「了解した。そちらへ向かおう」
無言でアナスタシアに眼を向けると、逆に珍獣を見るような眼差しで見返される。
極々普通の応対をしただけというのに、手酷い仕打ちだ。
今すぐにヘクトルへアナスタシアの居留守を暴きたい衝動に駆られながらも、ボタンから指を離す。
「そういう訳だ。少し話してくる」
「おう。妙なボロを出すんじゃねぇぞ。それと――忘れ物だ!」
「む」
そう言って投げ渡されたのは、認識阻害の仮面。
着用者の印象を薄れさせ、その正体が人間であることを悟られないようにするため、なくてはならないもの――ではあるが。
「……そうだな」
正直、今更のような気もする。
そんな本心は口に出さないまま頷き、ヤマトはそそくさと部屋から退出した。
「――おっ、来たか」
所在なさ気に辺りを見渡していたヘクトルだったが、ヤマトの姿を認めた途端に、顔に朗らかな笑みを浮かべた。
釣られて仮面の中で笑みを浮かべながらも、コクリと小さく頷いてみせる。
「すまない。待たせた」
「何の。本来であれば先の集会時に伝えられればよかったのだが、機を逸したのでな」
ならば、軽く伝言でもすれば済む話だったのではないか。
そんな内心のまま曖昧に頷くと、ヘクトルは少し気恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
「中々ここに来ようとする者がいなかった、というのもあるが。何より、我もこの場所に興味があったのだ」
「ほう?」
「用でもなければ、“彼女”の住処に近寄ることもできんからな」
「……そうか。そうだな」
魔王軍内部からも、“彼女”――アナスタシアが恐れ敬遠されているという話は、付き合いの短いヤマトも知っていることだ。
ヘクトルに代表される四将軍からは、敬遠されることはあっても疎まれはしていない。だが、そこから少しでも外れた瞬間、アナスタシアは畏敬から恐怖の対象へと変わるという。
たかだか伝言程度。それでも、もしアナスタシアの住処に踏み込んだならば、二度と陽の光を拝めない身体にされてもおかしくない。そんな噂話が、まことしやかに兵たちの間で囁かれているのだ。
(自業自得ではあるのだろうが、な)
そんな噂の真相が、同僚の来訪に居留守を使うような引きこもりだと知られたら――。
込み上げる愉快のまま吹き出しそうになるところを堪え、ヘクトルへ向き直った。
「では、用件を聞こう」
「うむ。端的に言えば、次の戦でそなたらに何を任せるか、誰の指揮下に入るかということになる」
「ほう」
頷き、軽く思考を巡らせる。
戦の主力は、ヘクトルたち四将軍だ。彼らがそれぞれ動員する騎士団こそが、戦の主役となるに違いない。
ならば、その脇を固めるヤマトたちは何をすればいいのか。
「兵站……いや。遊撃か」
「ふっ、流石だ」
兵站管理については、四将軍の一人であるナハトが得意としていたはず。
そんな記憶のまま口を開けば、ヘクトルは満足そうに首肯してみせた。
「此度の戦には、そなたら以外にも野良魔族が轡を並べることになる。皆には陣周囲を固め、敵方の斥候を撃退する任を与えたい」
「ふむ」
少し思案する。
(撃退とは言うが、従軍経験の浅い者にそれがこなせるとは思えない。ならば――)
数を水増しし、敵方の斥候の眼を誤魔化す――いや、それだけでは理由として弱い。
元々、なぜヘクトルたちが騎士団以外の人員を必要としたのか。それを考えれば、自ずと狙いは見えてくる。
「……分かった。本番に備えておくとしよう」
「それでいい」
幾段か話を飛ばしたヤマトの言葉に、ヘクトルは即座に頷いた。
つまるところ、ヤマトたちに期待されているのは数合わせなのだ。騎士団同士が激突する際に、穴を埋め、敵方に数を多く見せる役割を期待されている。
歴の長い傭兵団ともなれば、更に大きな任をこなせるだろう。だが、ろくに戦を経験していない素人の寄せ集めに、それができるとは思えない。そう判断したゆえの、ヘクトルたちの采配だ。
ヤマトが納得と共に首肯したのを確認して、ヘクトルも破顔する。
「用件は以上か?」
「うむ。名残惜しいが、我もまだ任を残しているゆえに。次に来た時は、もう少しゆるりと過ごすとしよう!」
「……そうか」
「ではな」と軽く手を上げて、ヘクトルはさっさと立ち去っていく。
後を引きずらない、さっぱりとした引き際。それを軽く見送ったヤマトは、ここを覗き見ているだろうアナスタシアの溜め息を感知し、そっと苦笑いを漏らした。