第307話
モニターの一つに映し出された、旧友の顔。
筆舌に尽くし難い感動を覚えながら、ヤマトは小さく溜め息を漏らした。
「これが、連絡手段か」
「そういうことだ」
自慢気に頷くアナスタシアの横顔を見やりながら、ふとよぎった疑問をそのまま口に出す。
「いつノアと手を結ぶことにしたんだ? エスト高原での折は――」
『その時は、そちらの提案を断ったんだけどね』
ヤマトの言葉をノアが引き継ぐ。
エスト高原で再会した時、アナスタシアの提案を持っていったヤマトの話に、ノアは確かに辞意を示した。全面的にアナスタシアを信用することができないというのが、その理由の最たるものだったと記憶しているが。
問うようにアナスタシアへ眼を向けるも、彼女は無言のまま肩をすくめて応じた。
『今も彼女を信用はしていない。そのことに変わりはないよ。ただね』
「……必要に迫られたと?」
『そういうこと。今ヤマトと渡りをつけるには、彼女に頼る以外の手はないから』
「本人を前によく言いやがる」とアナスタシアは毒づくが、その表情に苦々しいものはない。
彼女自身、ノアに快く思われていないことを重々承知しているのだろう。むしろ、警戒心を顕わにするノアの反応を楽しむ雰囲気すらある。
『ヤマト、そっちの生活は不自由ない? 何かあったら、色々手を回すけど』
「生憎だが、その心配はないぜ。あったとしても、俺が手を回すからお前はいらねぇ」
『ふーん? ならまあ、そういうことにしておくよ』
微妙に居心地が悪くなるような緊張感。
二人のやり取りに眼を細めたヤマトは、場を仕切り直すべく軽く咳払いをした。
「それで、本題は」
「あぁ、そうだったな。馬鹿正直に勇者と会談が難しいってのは、俺も分かってる。だから、野郎に手引きさせるって寸法さ」
『そういうこと。ちょっと当日は忙しくなるけど、心配はいらないよ』
ノアがそう言うならば、きっとそうなのだろう。
深く考えないままに頷いたところで、アナスタシアは今一つ得心の行っていない表情をしていることに気がついた。
「どうした」
「ん? いや、具体的な方策は聞かねぇのかと」
「……そうか、そうだな」
促されて、ノアの方へ眼を向ける。
『やることは簡単。開戦前の混乱に乗じて、陣の中に入り込むってだけ。流石にヒカルが外に出るのは難しいからね』
「内部の人間でなければ通過できない仕掛けについては、そっちが対処するんだな?」
『勿論。ヤマトにそういう工作ができるとは思えないし』
些か不服な評価を下されているが、ヤマトも自覚するところなので反論はできない。
口の端を歪めて視線を逸らすヤマトを置いて、ノアの話は続く。
『同盟軍っていうくらいだから、陣内を歩き回るくらいは誰でもできる。魔族でもなければ、ね』
「……なら、問題はないのか?」
『それが、そうでもなくてね』
答えながら、ノアは疲れたような溜め息を吐いた。
その様子に、どうやら本当に厄介な問題が待ち構えているらしいことを察する。
『――問題は、参戦する帝国の警備の方だね。今回、軍の精鋭が派遣されている』
「帝国だと? 帝国が参戦するのか?」
アナスタシアが眼を細め、ノアに問い返す。
真剣味に溢れた表情から何かを察したのか。ノアも混ぜっ返そうとせず、素直に首肯した。
『そう。直前に決まったらしいんだけど、今回の戦いには帝国も参戦する。エスト高原駅を防衛するためっていうのが、その名分だね』
「駅か。確かに、防衛ってのは理に適ってるが――」
『軍を派遣したに留まらず、一部兵器を同盟軍に貸与もしているみたい。事実上の、魔王軍に対する宣戦布告だね』
「………そうか……」
ノアの言葉に、アナスタシアはこれまで見たことがないような苦渋を顔に浮かべ、呻き声を漏らす。
大げさな、と笑うことはできない。それほどに、帝国が秘める力は強大だ。
押し黙ったアナスタシアに対して、ノアは表情を微動だにさせないまま言葉を続けた。
『エスト高原を突破されれば、戦線は一気に大陸全土へ拡大する。そうなれば、大陸が混乱するのは間違いないから、防止するつもりなんだろうね』
「……俺たちの南進を阻止できれば、それでよし。強行するならば、相応の手をもって応じるってことか」
帝国を退かせたいのならば、魔王軍の南進策を取り消さねばならない。
だが、それでは魔族たちが納得しない。北地が想像を絶する険しい地であり、魔族らが明日をも知れない日々を送っていることは、ヤマトもよく理解している。
つまるところ。
「このままでは、決戦は避けられないか」
「だろうな」
アナスタシアの方を見やれば、ヤマトと同様のことを考えたらしいことが伝わった。
『何か手があるのかな?』
「いや? だが、このまま決戦を始める訳にはいかないだろ」
差し当たっては、帝国軍の動員を決定した者と話をつける必要がある。
「当てはあるのか」と問う視線をアナスタシアに向ければ、アナスタシアは無言のままに小さく頷いた。
そんなヤマトとアナスタシアのやり取りを察した訳ではないだろうが。ノアはアナスタシアの言葉に小さく頷く。
『分かった。まあ、無理そうだったら改めて連絡してよ』
「おう。情報提供感謝するぜ」
『それじゃあ、伝えたいことは大体済んだから、これくらいで。次は当日に連絡するよ』
そう言って通信を切ろうとしたところで、何かを思い出したようにノアは顔を上げた。
『そうだ。ヤマトに伝言があるんだった』
「む?」
怪訝のままに首を傾げたヤマトに、ノアは悪戯っぽく微笑む。
『――無事でよかった、だってさ』
「……そうか」
恐らく――いや確実に、ヒカルからの伝言。
先日再会した時に依頼していたが、確かに己の無事をヒカルに伝えてくれたらしい。
じわっと胸の奥から温かいものが滲み出る。そのことを自覚しながら、ヤマトは小さく頷いた。
「助かった。確かに聞いたぞ」
『そう? それじゃあ、僕は失礼するよ』
去り際はあっさりと。
プツッと小さな音を立てて、モニターの液晶が暗転する。
黒い闇を映すばかりとなったモニターを眺めながら、ヤマトは迫る再会の予感に、刀の柄をそっと指で撫でた。