第306話
「――よく来たな。まあ、適当に座れよ」
扉が自動で開いた瞬間、アナスタシアの声が飛んできた。
相変わらずの、来客へ見向きもしない傲岸不遜な態度。今は手が離せない作業をしているのか、モニターへジッと視線を向けていた。
いい加減に慣れてきたそれに苦笑いを浮かべながら、ヤマトは部屋の壁に背を預ける。
(何かの報告書、か?)
アナスタシアが熱心に眺めているモニターを盗み見て、そこに羅列された文字列を認める。
地名らしき固有名詞が幾つか。それぞれに、一瞥しただけで目眩がするほど詰まった文章が綴られていた。
「……何をしているんだ?」
「んー。大陸中に送ってる機兵からのデータを確認してるとこだ」
「大陸中に?」
思わず首を傾げる。
アナスタシアの元で活動を始めてから既に長く、機兵も様々な機体を眼にしてきた。だが、そのいずれもを、大陸を放浪する最中で見た覚えがない。
そんなヤマトの疑念を察したのか、アナスタシアはモニターから眼を離さないままに口を開く。
「出歩いても問題がないように、外見を弄ってるからな」
「人に擬態しているということか?」
「おう。後処理の必要はあるが、飲み食いもできるようにしてある」
「見ろよ」という一声と共に、モニターに一人の少女の顔が映し出された。
褐色の肌に、二本の白い角が生えている。一切の表情が皆無な点は気になるが、それ以外に不自然なところはどこにもない、魔族の少女だ。
一瞬、アナスタシアの真意を掴みかねたところで、気がつく。
「もしや、こいつが――」
「実際に送り出している機体の一つだ。一目じゃ見分けがつかないだろ?」
「……驚いたな」
素直な感嘆の言葉が、口から出ていった。
「確かに、これでは見分けはつかなさそうだ」
「場所ごと・役割ごとに外見を作り分けてやれば、生の情報も簡単に手に入るって寸法よ――よし、こんなもんか」
アナスタシアがモニターの電源を落とし、くるりと椅子ごと身体を回転させる。
雰囲気が切り替わった。
いよいよ本題が始まることを予期して、自然とヤマトの背が正された。
「待たせた。ここに呼んだ理由は分かっているな?」
「……直に行われる、エスト高原南部における戦。その打ち合わせだろう?」
ヤマトの返答に、アナスタシアは満足そうに首肯する。
「そうだ。俺たちも、一応は魔王軍所属である以上、この戦に参陣しなくちゃならねぇ。死ぬ気でやるなんざ言わねえが、それなり以上のことは求められるだろうな」
「一番槍とまで言わずとも、二番槍は取った方がいいか」
「そういうことだ」
魔王に忠誠を誓った訳でもない以上、ヤマトに一番槍へこだわる理由はない。
周囲から疎まれない程度に手柄を挙げつつ、極力リスクを侵さないように立ち回る。それが、今回ヤマトに求められる戦いだ。
「――まぁ、それはお前に任せるとしてだ」
「む」
「俺がここで話したいのは、もう一つの方さ」
もう一つ。
近々行われる大戦において、ヤマトがアナスタシアの名代として参戦すること以外の目的とは。
「……勇者との接触、か?」
「ご名答!」
アナスタシアは軽やかに手を打ち合わせる。
タタンッという朗らかな音に小気味いいものを覚えながら、ヤマトは言葉を続けた。
「勇者と魔王の決戦を止める。その目的を果たすためには、魔王陣営からの干渉だけでは効果が薄い。ゆえに――」
「そう。勇者陣営にも協力を要請し、両陣営から停戦を呼び掛けようって訳だ」
これは、アナスタシアがヤマトを保護した理由にも繋がってくる。
元々停戦を目的としている彼女にとって、勇者陣営の旗頭――すなわち勇者本人と繋がりを持つヤマトは、喉から手が出るほどにほしい人材だったはずだ。
仮に勇者ヒカルの協力を得られた場合、対魔王同盟軍についての懸念は失せたに等しくなる。目的成就までの道のりが、グッと狭まるということ。
そんなアナスタシアの話す理屈は理解できるが、ヤマトは素直に頷けない。
「だが、それは問題が多い。実際は簡単な話ではあるまい」
「問題っていうと?」
まるで試すような――否、実際に試しているのか。
多分の茶目っ気と、その陰にひっそりと滲ませた真剣味。その両方をひしひしと肌身に感じながら、ゆっくりと口を動かす。
「まずは、勇者当人の協力を得られたとしても、民意までを動かすことは難しいこと。民全体に反魔族感情が根づいている現状、即座に停戦することは困難だ」
「かもしれない。だが、何も仲良くやろうって訳じゃないんだ。互いに互いを無視して付き合うくらいならば、不可能な話じゃない」
それは、その通りだろう。
現に魔王が決起する直前まで、魔族は人目を忍び、北地に隠れ住んでいた。険しい境遇ではあったし、決して協力関係にあった訳ではないが、少なくとも共存――共に存在することはできていた。
極論、人と魔族との間に越え難い壁を設けてしまえば、戦いを収めることはできる。無論、それがよいか悪いかは別として。
「……次に、あちらは勇者一人が軍を動かしているのではないこと。勇者は軍の旗頭にはなったが、首領になったのではない。実際に兵を率いる者は各国の将校であり、勇者に彼ら全員の意思を統一する力はない」
「だろうな。だが、勇者が停戦意思を見せたということは、それだけで大きな抑止力となる。勇者の意向を無視するとは、ひいては教会を軽視していることに繋がる。未だ宗教に縛られた多くの国家にとって、それは避けたい事態だ」
その言葉にも、ヤマトは頷かざるを得ない。
帝国の躍進により、太陽教会の権威は陰りを見せた。そうは言われても、多くの国々が教会の教えに従っているのが現実。勇者の呼び声に強制力はなくとも、何の影響力も持たないということはない。
納得し、口を閉ざしたヤマトに対して、アナスタシアは意地悪そうに口元をニヤッと歪める。
「問題ってのは以上か?」
「……いや、まだ一つ残っている」
「へぇ。聞こうか」
まだ残っているというより、むしろこれが本題。
不安げな様子を一切見せないアナスタシアを訝しみながらも、ヤマトは言葉を続けた。
「向こうとどうやって連絡をつけるつもりだ?」
「ふむふむ」
「既に戦の幕は切って落とされ、日毎に激化している。下手に接触しようものなら、俺たちの立場も危うくなるぞ」
ヤマトたちの都合は比較的簡単につけられるとしても、ヒカルの方はそうもいかない。
対魔王同盟の旗頭と言うべきヒカルの行動は、その一挙手一投足に至るまでが監視される。人目を忍んで外出など、とても可能な立場ではない。
「戦のどさくさに紛れるくらいが、精一杯か? ヒカル抜きで話すという手も、なくはないが――」
「まあ、そう焦るなよ」
ヤマトの言葉を、やけに余裕たっぷりなアナスタシアは遮る。
「何か手があるのか」と問う視線を向ければ、アナスタシアはやはり自信満々な面持ちで首肯してみせた。
「そこは確かに問題なんだが、もう手は打ってあるんだ」
「手だと?」
「おう。そろそろ通信が来る頃合いなんだが――」
そうアナスタシアが口にした瞬間。
モニターの一つから、ピピピッと軽快な通知音が鳴り響いた。
「おっ、来た来た!」
「ふむ」
机の奥へ押しやっていたキーボードを引き寄せ、何事かを高速で打ち込んでいく。
およそ違う文化の所業に目を細めながら、待つこと数秒。
モニターの画面が唐突に点灯した。
『――お、繋がったかな? やっ、見えてる?』
「お前……」
液晶に映し出された少女の顔。
それを見たヤマトは、声を上げることもできずに絶句する。
「ま、こういうことだ。――通信状況は良好みたいだな。こっちの映像も見えてるな?」
『見えてる見えてる。よかった、ちゃんと波は安定してるみたいだね』
絹糸のように滑らかに流れる紺の髪に、透き通るほど白い肌。一見してその性別を判断できないほどには、端正で中性的な顔立ち。
見覚えがない、はずがない。大陸にいる知り合いは数多くいるが、彼ほどに付き合いの長い男はいないのだから。
「ノア!」
『久しぶりヤマト――と言っても、まだ一ヶ月経ってないけどね』