第305話
魔王城の最奥、玉座の間。
日頃は魔王以外に立ち入る者はほとんどいない部屋に、その日は多くの者が集まっていた。
「――皆、よく集まってくれた」
玉座に腰掛けた魔王が声を上げる。
若輩ながらも、王たるに相応しい覇気を纏った声。それを受けて、玉座の間に集まっていた者は皆頭を垂れた。
それは、部屋の隅に入り込んだヤマトもまた、例外ではない。
「皆も知っていよう。先の戦いは我らが大勝に終わり、魔族領の南進に成功した。この寒く険しい大地を飛び出し、暖かく豊かな地へ移り住む未来が、一歩近づいたということだ!」
『うぉおおおッッッ!!』
ビリビリと空気が震えるほどの歓声が、玉座の間を埋め尽くす。
魔族領で辛酸を嘗めてきた将軍たち。魔王と共に苦労の日々をすごした彼らは、大陸南部へかける想いが大きいのだろう。
湧き上がる熱に身体が反応し、腹が落ち着かなくなる。
そんなヤマトの動揺を他所に、魔王の演説はますます熱を上げていった。
「しかし! 人の軍は依然として我らの南進を阻み、同胞を凍てつく地に封じ込めようとしている! そんなことが、果たして許されるのか!?」
『否! 断じて否!!』
「その通り! 平和な地で穏やかな暮らしを営む。誰もが持ち得る当たり前の願いのため、生まれてくる我らが子孫のため! 今こそ立ち上がるとしよう!」
『ぉぉおおお―――ッッッ!!』
魔族たちの士気は高まり、留まるところを知らない。
遥か古代、人の手によって北地へ押し込まれた怒り。長く険しい日々の中で倒れていった仲間たちの無念。――そして、新天地を目前にした希望。
それら全てが相混ざった咆哮が、天をも揺るがせとばかりに響き渡っていく。
彼らの顔にそれぞれ浮かんでいる表情を垣間見て、魔族たちが送ってきた日々に思いを馳せたところで。
『――おうおう、盛り上がってんなぁ』
少女の声が、耳元の通信機から小さく響いた。
熱に浮かれる周囲とは異なり、底冷えするほど理性の保った声。その主は、ヤマトの上司にあたるアナスタシアだ。
「どうした」
『坊っちゃんが頑張ってるみたいだから、様子を見ようと思ってな。なかなかどうして、慕われてるじゃねぇか』
「……そうだな」
坊っちゃん――魔王の方へ、そっと視線を流した。
沸き立つ観衆の熱に釣られてか、青白い頬に僅かな朱が差している。彼らを煽動する立場ながら、彼自身も苦節の日々を送ってきたがために、戦にかける想いは強いのだろう。
いい指導者だ。
ヤマトの眼から見ても、素直にそう思えるカリスマを纏っている。
『釣られるんじゃねぇぞ?』
「何の話だ」
『野郎の言葉にだよ。帝国学だか何だか知らねぇが、野郎はああいう技術を専門にしてるんだ』
すなわち、大衆を煽動し、そうと悟られない内に誘導する術。
刀の腕で競うことを専らにしてきたヤマトには、とても馴染みのない技術だ。だが、王として人を導く者が必要とするという道理は分かる。
「気をつけるとしよう」
『気をつけてどうにかなるものなら、特別危険でもないんだがなぁ……』
だが、それ以外に何を言うこともできないだろう。
通信機から聞こえてくるアナスタシアの声より意識を外し、眼を再び魔王の方へ向け直す。
意気高揚の声掛けは一通り終わったらしい。熱狂する将軍たちに向けて、魔王は堂々たる威容で声を張り上げた。
「――来る決戦の陣容を発表しよう! 心して聞くといい!」
「む」
来る決戦。
大きく南進を果たした魔王軍だが、その前方には難敵が待ち構えている。彼らの目的を果たすためならば、避けられない戦いだ。
『対魔王同盟軍に加えて、いよいよ帝国軍が出張ってくるはずだ。ここからが本番だぜ』
アナスタシアの言葉に、黙したまま首肯する。
「我らの進撃を阻むべく、敵は最大戦力を動員すると予想できる。ゆえに、我々も持ち得る限りの戦力を持ち込む!」
そう前置きして、魔王の眼は将たちの前方――熱狂する周囲とは一線を画し、ある種の貫禄を漂わせる四人の将へ向けられた。
「ヘルガ、ヘクトル、ミレディ、ナハト! そなたらは動員できる限りの兵を率いよ。そなたらこそが、決戦における要。心して望め!」
「「「「はっ!!」」」」
「総大将は我が務める! 皆の勇姿、我にとくと見せてみよ!!」
『『『応ッ!!』』』
「よし。ならば急ぎ戦支度を整えよ!」
「出発時期は追って伝える」と言い残して、魔王はさっさと玉座の間から退室する。
後に残されたのは、熱狂した名残が拭えない様子の将兵たちと、ジッと英気を養う様子の四将軍――ヘルガ、ヘクトル、ミレディ、ナハト。
先程の高揚が失せぬ内に、将兵たちは互いに言葉を交わし合っている。
『よし。終わったならさっさと帰ってこい。これからについて話し合うぞ』
「了解した」
来る戦に向けて、将兵たちがどのような想いを抱いているのか。
主力を任されたヘクトルたち将軍らが、如何なる気負いをしているのか。
総大将たる魔王が、決戦の果てに何を見ているのか。
気になることは多々あるが、それはここで立ち止まったからと分かるようなものではない。
「―――」
深呼吸を一つ、肺に残る熱を吐き出す。
北地特有の寒気で頭を冷やし、ヤマトはアナスタシアが待つ研究室への帰路についた。