第302話
ヤマトの薙いだ刀が、黒竜の胴を捉えた。
見間違いを疑う余地もなく、刃は深々と黒竜の胴に入り、そして通り抜けている。如何な技を持つ者でも避けようがない、致命の一撃だ。
(だが――)
スッと眼を細め、戦闘態勢を解かない。
それは刀を振り切ったヤマトにしても同様らしい。確かに斬ったらしい手応えを得ながらも、残心し、顔には一抹の油断も覗かせない。
『グ、ゥゥウ……!』
「―――っ!」
呻き声。
確かに身体を両断された黒竜だったが、呻き声を漏らすと同時に身動ぎする。僅かばかりだが収まっていた闘志が、再び息を吹き返した。
「ちっ!」
『下がれ人間!』
ヤマトは肩を跳ね上げ、そのまま飛び退る。
警戒をしていたとは言え、ヤマトは確実に突ける隙を晒していた。だが黒竜の方はそれに見向きしようとせず、燃えるような闘志を吐きながら、大きく息を吐く。
『フゥゥー……ッ!』
「凄まじい闘志だ」
黒竜から放たれる気迫だけで、ビリビリと鱗が痺れるような感覚がある。
手負いの獅子であっても、こうも獰猛な気を纏いはしないだろう。竜種の本能すらも怖気づかせる猛々しさに、思わず感嘆の息を漏らす。
とは言え。
(確かに、傷は負っているようだな)
黒竜の身体から漂う魔力の気配に、“白”の竜はそのことを敏感に悟る。
“白“の竜が先に下した尾の一撃。それを正面から受けてもなお弱った様子を見せなかった黒竜が、今この時ばかりは疲弊した姿を見せている。
(これならば、あるいは――?)
己の攻撃はまるで通用せず、ヤマトの斬撃だけが効果を与えている。威力は己の方が遥かに勝っているにも関わらず、だ。
そのことに不可解なものを感じないではないが、今はそれを追及すべき時ではない。
遥か彼方まで見通すことのできなかった勝機が、今ようやく見え始めたのだから。
『人間』
「む」
『奴はどうやら、貴様の刀でならば斬れるらしい。……言いたいことは分かるな?』
「任せろ」
その言葉に、ヤマトは首肯する。
人間の非力さを忘れた訳ではないが、確かな自信と共に即座に頷いた姿には、ある種の頼もしさがあった。
胸の内にむず痒いものを覚え、ふぅっと火の粉混じりの吐息を零す。
『ならばいい。私は奴の眼を惹くとしよう』
己が引き立て役をやることに、思うところがないではないが。
欠片も戦の役に立たないプライドは放り捨てて、“白”の竜は黒竜へ対峙する。
『ゥゥウウウ……!』
『散々に里を荒らしてくれたのだ。そのまま帰れるとは、思わないことだ』
闘志を解放すると共に、全身から魔力を噴き上げた。
先程までは黒竜の方が明らかに多くの魔力を秘めていたが、今となってはその立場も逆転している。まだ拮抗しているながらも、“白”の竜が放つ魔力は確かに黒竜を上回っていた。
(叶うならば、ここで仕留めたいところだが――)
それは、難しい話だろう。
ヤマトの一撃によってかなりの力を減じられたとは言え、黒竜が秘める力はまだまだ底知れない。それこそ、黒竜がなりふり構わない攻勢に出でもしたならば、この場は更なる混沌に飲まれる。
そうなる前に、どこかで落とし所を見つけたい。
そんな“白”の竜の思考を読み取った、訳ではないだろうが。
『ゥゥー……』
荒々しい闘気を漲らせていた黒竜が一転、スッと気を収めた。
先程までの荒ぶる気の奔流が嘘のように、辺りへ振り撒いていた黒竜の気炎が消え失せていた。もはやヤマトたちへの興味も失せた様子で、辺りをぐるりと見渡す。
「何を……?」
『―――――』
ヤマトが戸惑いの声を漏らした瞬間、黒竜の意識がヤマトへと向けられた。
『―――』
「―――」
沈黙。
互いに敵意を見せないままに、ジッと視線を交わし合う。
その応酬に含まれているのは、敵意か、敬意か。それとも全く別の何かなのか。
傍から見ている“白”の竜からでは理解できないやり取りを経て、黒竜が手元の刀を体内へと収めた。
『……ゥゥウウッ!』
高らかに大声を上げた後に、黒竜の身体がドロリと溶け出した。
人型から粘液状へ。スライムという種族に相応しい姿へと変質し、そして床に散乱する瓦礫の間へと染み込んでいく。
圧倒的な存在感だけでなく、黒竜の姿すらも消え失せる。その間、僅かに数秒のことだった。
「……終わった、のか?」
ポツリとヤマトが呟いた言葉をきっかけに、場の緊張がふっと弛緩した。
念入りに辺りを探ってみるものの、何者かが潜んでいるような気配はない。相当に力を減衰させた屍竜と、それに相対するレレイがまだいるばかり。
『どうやら、そのようだ』
黒竜がこの場から退いた。
すなわち、撃退に成功したということ。
その結果だけを取り上げたならば、素直に勝利を誇ってもいいのかもしれないが。
「……そうか。終わったのか」
ポツリと呟き、刀を鞘へ収めたヤマトの顔には、素直な喜びの色は浮かんでいなかった。