表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
竜の里編
301/462

第301話

 “白”の竜にとって、その人間は大層な意味を持つような者ではなかった。

 刀の扱いにこそ長けているものの、他は至って平凡な青年。勇者の従者であったという過去は評価に値するが、それ以外に眼を惹くところもないというのが、“白”の竜にとってのヤマトであった。

 それが、どうしたことだろう。


『これは……ッ!?』


 眼の前で繰り広げられている光景が、俄には信じられない。

 幾度となく己の眼を疑い、世界を疑い、その両方ともに狂いがないことを確かめた。それでもなお、再び疑念を抱かずにはいられない。


 ――あり得ない。


『シャァッ!!』


 黒竜の手から必殺の斬撃が放たれる。

 威力、速度、精度。その全てが常軌を逸したレベルで完成された斬撃は、ただ避けるだけでも困難。例え避けられたとしても、返す刃で一刀両断されることは想像に難くない。

 己へ向けられたものであっても、それを対処することは難しい。片腕を斬り落とされる覚悟の上で、決死の反撃を試みるくらいだろうか。

 そう“白”の竜が悟らざるを得ない斬撃を前にして、ヤマトは刀を構えた。


「ふぅっ」


 僅かな呼気。

 その刹那で精神統一を図ったヤマトの瞳には、もはや怯えや自棄の色はない。

 ただ己が為すべきことを理解した様子で、曇りなく黒竜の刃を正面に捉えて。


「シ――ッ!」


 斬り払う。

 ヤマトの頭蓋を砕かんと振り下された刃を弾き、その切っ先を頭上へ跳ね上げた。


『ゥゥウウ――』


 黒竜の膂力をもってしても、その技を強引に破ることは難しいのか。

 刃を弾かれた黒竜は、その衝撃を力任せに抑え込もうとはせず、自ら後退することで制御。腰を軸に上体を捻り、大きな弧を描くように再度刀を振る。


『チェアッ!』


「温い!」


 神速の太刀に対してヤマトが選ぶ手は、またも「迎撃」。

 刃の襲い来る軌道、呼吸、威力。それら全てを正確に読み取り、寸分違わない力加減によって弾く。

 鋼が奏でる悲鳴が響き、両者の間合いが二歩分だけ遠のいた。


『―――』


「―――」


 一瞬の間隙。

 互いが互いの隙を探り、次なる手を模索しつつ間合いを測る。一呼吸ですら均衡を崩しかねないほどに、緊張感が張り詰めていた。

 そんな中にあって、“白”の竜は当惑のあまりに視線をぐるりと回した。


(――あり得ない、こんなことが)


 先と同じ言葉を、二度紡ぐ。

 眼前で繰り広げられた光景が信じられない。胸の奥底から湧き出る、ひやりと肝が冷えるような感情。その正体から必死に眼を逸らす。


(なぜだ。なぜ奴は戦えている? なぜ立っていられる?)


 ヤマトと黒竜。

 両者の間を隔てる実力差は圧倒的だ。それこそ、天地が引っ繰り返ったとしても覆せないほどのもの。ただの人にすぎないヤマトでは、世界指折りという尊称すら不足するほどの黒竜を前に、立っていることもできないはず。

 だというのに、この現実は何だ。


『シャァッ!』


『―――っ!』


 鋭く呼気を吐き、黒竜が踏み込んだ。

 その刀が向かう先は、相変わらずヤマトだ。

 眼にも留まらぬ速度で疾駆する黒竜に対して、ヤマトは再び迎撃を選択。刀を正眼に構え、黒いモヤとしか見えていないはずの黒竜向けて、不敵な笑みを零した。


「来い――っ!」


『ホォゥッッッ!!』


 金属音と共に、金銀綺羅びやかな火花が舞い散る。

 二度あることは三度ある、と言うべきか。落ち着いた刀捌きで斬撃をいなしてみせたヤマトだったが、黒竜はそれに滅気ず、詰めた間合いのまま刀を振り返す。

 剣戟。


(――また)


 黒竜が力を出し渋っている――などということは、断じてない。

 この光景が生み出されている原因は、ただ一つ。


『奴の技が磨かれている、のか?』


 口に出した途端、ゾッと背に怖気が走った。

 それは人間に――生物に許された成長の枠を、遥かに飛び越えてしまっている。死に瀕して本能が目覚めることがあれど、それも程度が知れている。遥か格上に太刀打ちできるほどのものでは、決してないのだ。

 だが、ヤマトが成そうとしている“それ”は。


(もはや、進化と呼ぶべきものだ)


 一太刀の交錯と共に、ヤマトの動きが見違えるように磨かれていく。

 黒竜の刃が振るわれるたび、ヤマトが別種の生き物に作り変えられているようですらあった。鋼が熱と衝撃を受けて鍛えられるように、ヤマトもまた内から不純物が削ぎ落とされていく。


『これは……ッ!?』


 我に返ると同時に、気がついた。


(この私が、恐れている?)


 身体の芯から、堪らえようのない寒気が込み上げる。

 原因は、論ずるまでもない。


『……チッ』


 苛立ちの末、炎の混じった舌打ちを漏らしたところで。

 状況が動いた。


『シェァッ!』


「ぐ、ぉっ!?」


 足元からすくい上げるような一撃。

 それを変わらず受け止めようとしたヤマトだったが、衝撃を殺し切れなかったのだろう。足が地から離れ、身体が宙に浮いた。

 “白”の竜から見ても分かる、絶好の機。それを、刀術に熟達した黒竜が見逃すはずもない。

 絶体絶命の危機。幾ら成長したところで、空を飛べないヤマトが凌げるものではない。


『……世話の焼ける』


 意識して声を上げれば、身体を戒めていた緊張がふっと和らいだ。


 ――これならば、問題ない。


『手を出すな人間!!』

「―――っ!」


 咆哮と共に、突貫。

 牙を剥き爪を輝かせながら、黒竜目掛けて炎球を吹いた。


『焼け果てろ』


『………?』


 迫る豪炎に対して、黒竜は微動だにしない。相変わらずヤマトにのみ意識を向け、追撃の刃を放とうとしていた。

 反応できなかった――はずがない。


(対処する必要すらない。そういうことか)


 だとすれば、ずいぶんと舐められたものだ。

 込み上げる憤りをあえて抑えようとせず、むしろ激情に任せて力を迸らせる。


『あまり舐めてくれるなよ!!』


 ただ単体へ向けるにしては、莫大にすぎる魔力を爪に込めた。

 本体に傷をつけられないならば、空間に無理矢理でも穴を空け、異空間へ投げ捨てるまで。

 そんな“白”の竜が放つ殺意に、黒竜はようやく思いが至ったらしい。


『ゥゥウウウッ!!』


 斬撃の構えを取り止め、後退しようとする。

 だが。


『もう遅いッ!』


 凝縮された魔力が迸り、空間に亀裂が奔った。

 彼我の間合いは一メートル。外すはずもない。


『失せろ化物!』


『―――――ッ!』


 爪撃に合わせて、空間に大きな穴が空けられた。

 一筋の光も差し込まない暗闇の中には、何が渦巻いているのかを見て取ることもできない。ただ“無”ばかりが周囲をひしめく、文字通りの異空間。

 それに本能的な恐怖を覚えたのか。黒竜は強引にでも空間の亀裂から遠ざかろうとするが――引き込まれていく。

 無理矢理こじ開けた穴がゆえに、世界そのものの力が辺りに渦巻いている。さしもの黒竜であっても、それに抗うことはできまい。


(これならば、もしや――)

「――っ! 下がれ“白”!」


 後ろに控えていたヤマトが叫んだ。

 その不遜な物言いや発言の意図。それらに意識を回すよりも早く、“白”の竜は黒竜から飛び退った。

 一瞬遅れて、疑問が湧き出る。


『何が――っ!?』


 問い返すまでもなく、答えは眼の前にあった。


『ゥゥゥゥゥウウウウ………ッッッ!』


 低い唸り声を上げながら、黒竜は測り知れない魔力を引き寄せる。

 その総量は、“白”の竜が空間に亀裂を奔らせた時など、まるで比較にならないほど莫大。

 近くでレレイと争っていた屍竜の身体が揺らぐほどに、魔力を辺りからかき集めた黒竜は。




『―――――――ッッッ!!』




 爆発。

 黒竜自身の身体が無数の弾丸となり、吹き荒れる魔力の風に乗って周囲へ殺到した。上下左右の区別なくばら撒かれた死の弾丸が、瓦礫や空間全てを貫き砕いていく。

 迫る死の気配を前に、咄嗟に魔力防壁を張る。


『ぐぉぉおっ!?』


 無数の衝撃が防壁を打ち、貫く。

 弾丸そのもの以外にも、弾丸により吹き飛ばされた瓦礫が殺到する。堅牢さを誇る竜鱗であっても、その全てを受け切ることは叶わない。自然、鱗の下からじわりと血が滲み出し、鋭い痛みが脳へ訴えられた。

 必死に痛みを堪える他できない“白”の竜だったが、次の瞬間に、防壁に小さな亀裂が入る光景を見る。


(まずい、このままだと――)


 防壁が破られる。

 即座に解決策を探るものの、有効な手は一切浮かばない。


『……かくなる上は』


 破れかぶれ。防壁が破られると同時に、ブレスを打ち込んでくれよう。

 半ば自棄になるに任せて、喉奥から炎を迸らせ――


「壁は維持しておけ!」

『貴様!』


 背後から投げられたヤマトの声に、茹だった思考が冷やされた。

 とは言え、間もなく防壁が突破される現実が変わる訳でもない。


『どうするつもりだ!』




「――俺が前に出る!」




 無茶な、と声を上げる間もなかった。

 視界の隅。未だばら撒かれる死の雨の中へ、ヤマトが身を躍らせる姿を捉えた。


『馬鹿なことを――っ!?』


 『馬鹿なことをするな』。そんな言葉を、“白”の竜は続けることができなかった。

 見切るなど、そんな発想すら浮かばないほどに厚い死の弾幕。

 それを前にして果敢に駆けるヤマトは、だが弾の一つ一つに至るまでを捉えていると言うかの如く、刀で弾丸を弾いていたのだ。


(そんなことが、人にできるはずが――)


 無作為に振り撒かれた殺意を前に、致死に至るものを選別し、それのみを対処し前進する蛮行。

 百人見れば百人が笑うだろう愚を犯しながらも、ヤマトは倒れない。全身に無数の傷を刻みながらも、着実に前へ進み、黒竜との間合いを詰める。

 肉薄。


「斬るッ!」


 刀が、振り抜かれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ