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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
竜の里編
296/462

第296話

「ずいぶんな大言を吐いたな」

「む」


 “白”との談合を終えたヤマトの下へ、薄い笑いを滲ませたレレイが近寄ってきた。

 元より端正な顔立ちをしているがために、その表情でも厭らしさは感じられない。「美人は得だ」という文言を頭に浮かべつつ、ヤマトはレレイへ首肯を返した。


「ああでも言わなければ、あの竜は俺たちに信を置かないだろう?」

「それは、そうかもしれないが」

「竜の力を得ているとはいえ、奴は鬼だ。こちらの策謀を看破するような脳は持っていないのだから、時間を稼ぐ程度はできるはずだ」


 少々――否、多分に楽観的な言葉ではあるが、無闇に場を沈めるようなことを言う必要もない。

 そんなヤマトの考えを慮ったのか、レレイもややあってから頷いた。


『そろそろ奴が動くぞ』

「―――っ」


 “白”から放たれた警告の声。

 それに従って視線を屍竜へと向ければ、確かに赤い眼に敵意を宿した竜が、牙を剥き低い唸り声を漏らす姿が眼に入った。


(戦意は充分。むしろ高揚しているところか)


 先程までは“白”が威圧することで動きを抑えていたから、その反動があるのだろう。心なしか怒りを滲ませた様子で、手心をかけられるような余地はどこにもない。

 手強い相手だ。全力で当たらなければ、一秒も保たずに壊滅させられる。

 そんなヤマトの気負いを悟ってか、笑いを滲ませた声で“白”は呟いた。


『私が封印の穴を塞ぐまで、およそ五分。本当にそなたらで抑えられるのだろうな?』

「当然」

『ククッ、よく吠える』


 それは、“白”の竜なりの鼓舞だったのだろうか。

 僅かに首を傾げたくなったが、すぐに気を取り直す。今はそれよりも、屍竜の進撃を喰い止めることに専心するべきだ。


(――いざ)


 心の中で一声上げ、刀を腰溜めに構えた。

 覚悟は既に定まっている。眼前の敵が如何に強大であるとしても、それで心にさざ波が立つこともない。静謐の水面の如く心は凪ぎ、視界もいつになく鮮明。屍竜の一挙手一投足がくっきりと眼に写り、その呼吸すらも知覚できるような感覚がある。

 間違いなく、“入って”いる。これほど深い手応えは、聖地で黒竜と対峙した時以来だろうか。


「ふぅ――」


 呼気と共に、気を全身へ巡らせた。

 熟練の武芸者であれば、どうにか感じ取れるような気の昂ぶり。ほんの僅かであるがゆえに“白”は眼もくれなかった様子だが、屍竜は――気や精神に近しい鬼にとっては違う。


『―――………!』


(釣れた)


 屍竜の狂気に満ちた視線が、ヤマトの四肢を捉えた。

 先程まで“白”を噛み殺そうとしていただろう屍竜の敵意が、一点へと集中している。

 想像を遥かに越える手応えに会心の笑みを浮かべたくなるが、それが許されるほど長閑な状況ではない。

 否応なく怖気を走らせるほどの迫力に、身が萎縮しそうになる。戦闘時の“それ”へと意識を切り替えていなければ、身体は勝手に震え出していただろう。だが、凪いだ水面の如く静謐を保つ心は、屍竜の威圧を受けてなお平静を保ってくれる。


「―――」


 深呼吸をする必要はない。

 ただ静かに刀を正眼に構え、そして――駆け出す。


『―――――ッ!!』


(流石の反応速度だが――)


 屍竜は弾かれたように大爪を持ち上げる。

 圧巻と言う他ない速度と威力。竜らしい力強さをもって振るわれる一撃は、掠めただけでも大惨事となるだろう。

 だが、それも当たればの話。


「『水月』!」


 走行術による幻惑。

 ただ物理的な足捌きに留まらず、身体の内外を渦巻く気をも操作し、行く先を惑わす走法。熟達の武芸者をも欺く妙技に、力はあっても獣同然の屍竜が抗えるはずもない。


『―――?』


 確かに捉えたはずの爪撃が、空を切った。

 屍竜はやけに軽い感覚に違和感を覚え、無意識に身体を硬直させる。

 見逃す手は、ない。


「続けて『斬鉄』!」


 肉薄すると同時に、刀を腰溜めから上段へ。

 滑らかな弧を描くように刃を奔らせ、屍竜の太い脚へと吸い込ませる。白刃が鱗を裂き、その奥にある皮膜を貫いて、ドス黒い血を噴出させた。

 見るからに重傷と分かる鮮血。並の獣であれば、無視する訳にはいかないほどの深手だが。


『―――ッ!!』


「やはり、痛みは感じないな!」


 返す刀での追撃を諦め、即座にその場から飛び退る。

 刹那、ヤマトがつい先程まで立っていた空間を竜の爪が切り裂いた。ほんの僅かでも攻めに気を取られていたならば、ヤマトがここに立っていることはなかっただろう。

 後退したヤマトと入れ違いに、レレイが弾丸の如く飛び出した。


「私も出る!」

「深追いはするなよ!」


 ヤマトの言葉には軽く手を振り上げることで応えて、レレイは前へ。

 屍竜の懐へ飛び込み、その胸元目掛けて小さな拳を突き上げた。


「せいッ!」


『―――――!?』


 相変わらずの馬鹿力。

 華奢な体躯のどこに秘められたのか分からない膂力でもって、屍竜の身体を打ち上げた。数センチほどではあるが、屍竜の身体が確かに地面から離れる。

 痛みは感じずとも、その衝撃までをも無視することはできなかったらしい。グラリと身体を傾かせた屍竜の眼が、動揺の色を帯びているようにすら見える。


(いい手応え、ではあるが)

「効いていないか!」


 これでも、屍竜に――鬼に傷を負わせることはできない。

 強い衝撃で仰け反りこそしても、ダメージを負わせたことにはならない。すぐに元通りの体勢へ戻った屍竜の眼が、狼藉を働いたレレイへと向けられる。


「ヤマト!」

「任せろ!」


 レレイへ反撃の爪を振り下ろそうとしている屍竜。

 その矛先から逃れるべく身を翻したレレイに対し、今度はヤマトが入れ替わるように前進する。竜の眼を惹くべく体内の気を蠢かし、存在感を表す。


「俺を見ろ蜥蜴!」


『―――』


 挑発の言葉を聞き遂げた訳ではないだろうが。

 ヤマトの声に、屍竜の瞳がギョロリと蠢く。注意が散漫になり、レレイへ振り下ろそうとしていた爪の狙いがブレた。


「シッ!」


 切っ先で傷口をなぞるような一撃。

 続けて黒血が噴き出したが、屍竜がそれを気に留める様子はない。むしろ獲物が間合いに踏み込んだことを喜ぶように、尾をゆらりと持ち上げた。

 深追いはしない。即座に飛び退り、再び入れ違いで突貫するレレイの後ろ姿を見送る。


(何とか、パターンに嵌めることはできたが――)


 そっと溜め息を零す。

 ヤマトとレレイが互いに入れ違いとなるように前進し、屍竜の眼を惹きつける。手傷を負わせることを度外視した一撃離脱を繰り返して、ただ時間を稼ぐことを目的にした戦術だ。土壇場で談合なしに連携することを踏まえれば、これ以上ないほどの上策と言えるだろう。

 これを繰り返せば、ひとまず五分を稼ぐことはできるだろう。

 そんなことは重々承知していたが。


(今ひとつ、性には合わんな)


 叶うならば、正面切って屍竜を討滅させてやりたいところだった。

 そんなやり切れない思いを胸に、策通り一撃を加えて離脱したレレイと入れ替わろうとしたところで。


「む」


 違和感。

 この場にあってはならない異物が混入したような、気味悪さを覚えた。


(何が――?)


 視線を巡らせる。

 うろちょろと一撃離脱を繰り返すヤマトたちに、業を煮やす屍竜。その視線を惹きつけながら、舞うように身体をしならせるレレイ。精神統一をしているのか、そっと目蓋を閉ざす“白”の竜。

 床には大小様々な瓦礫が転がり、その上を屍竜から噴き出た黒血が黒く染め――


「――違う」


 何が起きているのか、一瞬理解ができなかった。

 ただ床に染みを作っていたはずの黒い血。それが徐々に量を増し、瓦礫の間から溢れ出るように蠢いている。徐々に質感を得た血が、黒い粘質物へと変化していき――

 一つの答えが、頭の中に浮かび上がった。


「あれは、まさか――」

「ヤマト、何があった!?」


 レレイが呼ぶ声も意識に入らない。

 屍竜一体を相手にすることならば、多少の無理を通せば可能であった。“白”の竜の力を借りられる今となっては、生還できる算段の方が高い。

 だが、“あれ”がこの場に現れるとなれば、話は別だ。

 我を忘れるヤマトの視線の先で、黒い粘質物が徐々に質量を増していき、なだらかな流線型を描く。

 ここまで形を得た今、もはや見間違うことはない。

 屍竜と相対しても覚えることのなかった戦慄を胸に、ヤマトはその名を呟いた。


「黒竜、なのか……!?」

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