第293話
「シ――ッ!」
鋭い呼気と共に刀を振り抜く。
閃いた刃が泥人形の胴へ喰い込み、腹の中ほどで勢いが止まる。痛みに苦悶するような鬼を一瞥した後、刀が刺さった腹部を蹴りつけ、刃を抜き払う。
『―――……』
「失せろ!」
両の手で刀を握り、横薙ぎに首を斬り落とす。
ようやく崩れ落ち、床の染みになった鬼。その痕を息荒く見つめてから、ヤマトは小さく呟いた。
「くそっ、流石に鈍ってきたな……」
苦々しい不甲斐なさと隠し切れない疲労感。それらをまとめて溜め息に込め、吐き出す。
「ヤマト、無事か!?」
「あぁ、どうにか」
近寄る鬼の胸元を荒く殴り飛ばし、レレイが駆け寄ってくる。
彼女の表情にも色濃い疲労が姿を覗かせ、玉のような汗が滲み出ている。激しい運動の名残か、むんとする熱気が身体から立ち昇っているようであった。
案ずる面持ちのレレイを手で制止してから、密かに歩み寄っていた鬼を斬り捨てる。
「まだ怪我はしていないな?」
「うむ。そろそろ危うくなってきているが……」
ヤマトの言葉に、レレイも荒い息を整えながら、小さく首肯を返した。
その姿を一瞥し、次いで周囲を取り巻く鬼たち――百以上を屠ったにも関わらず、一向に数が減ったように見えない泥人形らを睥睨する。
(レレイの消耗が激しい。……そろそろ潮時か?)
ヤマト自身、刀を握る腕がジンジンと痺れを訴え、軽く炙られているような熱を放っていた。刀を中段に構えることさえも、次第に億劫に感じ始めている。
きっとレレイの方もヤマト同様――もしくはそれ以上に、激しい疲労を覚えていることだろう。
そう分析したところで、その言葉がスッと喉元から滑り出た。
「退くか」
「……口惜しいが、そうするのが得策だろう」
何とも言い難い表情を浮かべながら、レレイも首肯する。
本音を言うならば、まだしばらく刀を振り続けることはできる。刀の方も頑丈な代物になっているから、多少の酷使を物ともせず応えてくれるだろう。
だが、そうすることで僅かばかりの余裕を失せさせてしまっては、ここから退くこともままならなくなる。矢尽き刃折れるまで死闘するならばともかく、ある程度の負傷はしても生還を望んでいる以上、ここが限界だ。
(可能ならば、“白”が戻ってくるまでの時間稼ぎはしたかったのだが――)
無闇な衝突を避けるべく、“白”へ僅かばかりの釈明をしたかったが、仕方ない。鬼の大群が里へ解き放たれるのを阻止したということで、ある程度の容赦を願いたいものだ。
そうと決まれば、行動は急ぐに限る。
レレイと視線を交わし、頷き合う。
「長居は無用」
「さっさと退くとしよう!」
弾かれたように駆け出す。
部屋の各所から湧き出る鬼の内、扉の前を塞ぐモノを狙って刀を薙ぐ。ずっしりと重い感覚を残して、鬼の首が空に舞った。
崩れ落ちる黒い身体。その残骸を見下ろしたところで、心の中で密かに数えていた鬼の数が、ちょうど節目へ到着したことに気がつく。
「……これで、五十だったか」
「私は五十二だ!」
ズダンッと小気味いい音を残して、泥人形二体が爆散した。
拳を振り抜いた体勢のレレイが、ヤマトの方へ誇らしげな顔を向けてくる。
「数比べは、私の勝ちらしいな」
「む」
への字に口元が固まる。
釈然としない思いのまま、すぐ手近にいた鬼へ刃を振り下ろそうとしたところで。
「こいつは――?」
気がついた。
『―――………!!』
「鬼たちが、溶け出している?」
部屋中に無数にひしめき合っていた泥人形が、黒いヘドロのような液状になって崩れ落ちていく。
レレイに「何かやったのか」と問うように視線を向ければ、即座に否定の首振りが返ってきた。
「何が起きている?」
「分からない。分からないが――」
「嫌な予感がする」。
その言葉を口にするよりも先に、“それ”は始まった。
溶け出し液状になった泥が一点へ――部屋の奥、“白”が控えていた場所へと集まっていく。かき集められ、折り重なり、凝縮し、一つの形へ。人程度の大きさは瞬く間に凌駕し、小山ほどにまで成長。グチャグチャにかき混ぜられながら、次第に一つの形を成していく。
思わず脳裏をよぎったのは、黒竜の姿。だがすぐに、その結論を否定した。
「竜、か?」
竜。
半ば無意識に導いた結論だが、それは確かに正鵠を射ているように思えた。
見上げるほどの大きさにまでなった黒塊から、四足二翼が生える。己の巨体を物ともせず支える強靭な脚、軽く扇げば部屋を崩壊させるほど巨大な翼。爬虫類を思わせる細長い輪郭へ身体が変形していく。
(―――っ! マズい!)
呆けたように鬼の変貌を見たのも束の間。
どうにか我を取り戻したヤマトは、隣で同様に呆けていたレレイの肩を小突く。
「今の内に退くぞ!」
「――っ! あぁ、分かった!」
何が起きているのか、定かなところは分からない。
だが、眼前で着々と姿を整えつつある鬼からは、先の泥人形たちが嘘のような力が感じられた。もし変形が終わってしまったならば、満足に太刀打ちできるとは思えない。
その判断は的確だった。竜の姿を映した――里に渦巻く竜の怨嗟を飲み込んだ鬼に、ただの人が立ち向かえるはずもない。確実に鬼を討滅させ得る手段を待たない以上、ここで退くのが得策。
だが、問題点を挙げるとすれば。
『―――――ッ!!』
「ヤマト!」
「なっ!?」
鬼の咆哮が轟き、部屋が震える。
ただその衝撃だけで、頑強に作られていた宮の天井が崩落した。降り注ぐ瓦礫が壁を割り、床を砕き――扉を塞いだ。
「退路が塞がれた……!」
「――来るぞ!」
思考が混乱したところを、頭を振り払い強引に平静を取り戻す。
手元の刀を握り込むと同時に振り返れば、すっかり竜の姿へと変貌した鬼が、怪しげな赤光を眼窩に宿し、ヤマトとレレイを見下ろしていた。
『――――!!』
(戦意は充分ということか?)
あまりの闘気に、大気がビリビリと震える。
思わず震えそうになる頬肉を噛み締め、ヤマトは刀を構えた。
 




