第289話
『……これは……』
曇天の下にあっても光り輝く純白の竜鱗。
至高の一角にして“白”を冠するに相応しい威容を振り撒く竜は、だがその眼に畏敬の色を滲ませて、辺りの惨状を見渡した。
『酷いものだ』
死屍累々の地獄絵図。
老若男女を問わず、里で安寧の日々を送っていたはずの竜たちが遺骸を晒していた。その身体には穿たれた痕、斬られた痕、砕かれた痕など、統一感のない傷痕が刻み込まれている。
そして、それを為した犯人は一人――いや、一体。
『―――………』
『黒いスライム。話に聞いたことはあったが、よもや真に存在するとはな』
それがスライムだと伝えられても、大体の者は信じないだろう。
姿形は人同然。五体を万全に備えた体躯に、手と思しき部分には剣――東洋の人族が作るという刀に酷似したものが握られている。手足の長さが秒ごとに揺らいでいるということや、呼吸を一切行っていないことなど、不自然な点を上げればキリがない。
だが、何よりも妙なことは他にある。
『本来であれば、至高の一角を冠する私が口にしてはいけないのだろうが』
黒いスライムの内部を渦巻く、莫大な魔力を見る。
いざ眼前で相対してみても、それがスライムであるということが信じられない。黒い粘体に秘められた魔力は竜種を遥かに凌ぎ、間違いなく世界最高峰と言えるほどの純度を誇っている。
『私たち至高にすら迫る――いや、それ以上の魔力量。並の方法で得られるものではない。……貴様、何を喰った?』
『ぅーー………』
『ただ遍く獣を喰っただけでは、貴様のようにはなれまい。ならば、魔王を喰ったか。あるいは――』
至高の竜種を喰ったか。
そして恐らくは後者だというのが、“白”の見立てだ。
(“赤”や“青”たちとは、今も連絡を取れている。だが、久しく“黒”の姿は見れていない)
眷属の竜たちにも明かしていない事実。
至高の名を冠する竜は、“赤”“青”“緑”“黄”に“白”の五体に加えて、かつて“黒”を加えた六柱がいた。“白”たちは現在まで密かに活動を続けているが、“黒”だけはある時を境に姿を隠し、以降は“白”たちも行方を掴めないでいた。
そして眼の前に、至高をも凌ぐ魔力量を宿したスライムがいる。
(私たちをただ体内に取り込んだところで、一体化できるとは思えない。何か思いもよらぬ力を秘めているのか、それとも別の事情があるのか……。何にせよ、情けないことだ)
そのせいで数多の眷属が殺されたのだから、本当に笑えない。
かつての同胞に溜め息を吐きたい心地をグッと堪え、黒いスライムへ向き直る。
『“白”、様……』
『門番か。貴様は生きていたのだな』
積み重なった屍の中で、唯一息の残っている若竜が呻いた。
数十年前に門番として任命した竜。その若さの割に高い実力を有しており、後千年ほども生きれば至高にすら並ぶと目された逸材だった。
それでもスライムを止められなかったと嘆くべきか、実力ゆえに生き残っていると褒めるべきか。
いずれにせよ。
『ここからは私が引き受ける。貴様は安全な場へ退き、身を隠せ』
『……ご武運を』
何事を言いたげな様子ながらも、己の力不足を悟ったか。
門番は不承不承頷き、やがて傷ついた身体を引きずって里の奥へと退いていく。
彼の気配が段々と遠ざかっていくことを感じながら、“白”は徐々に体内の魔力を解放する。
『口惜しいが、貴様の力は絶大。今この場で滅するは難しいだろう。だが――』
牙を剥き、爪を覗かせる。
この地に里を築き、眷属らを住まわせてより数千年。久しく力を振るう機会はなかったものの、その冴えを鈍らせたつもりはない。
『これほどまでに我らを踏み躙ったのだ。そう易々と帰す訳にはいかんな……!』
闘気を解放する。
彼我の力量差は明確だが、ここで退く手はない。例え四肢を断たれようとも、奴の喉元に喰らいついてみせよう。
意気の高揚を示すように雄叫びを一つ。悠然と佇む黒いスライム目掛けて、“白”は全力の殺気を叩きつけた。




