第285話
眼前の敵を睨めつけ、腰元の刀を握り込む。
相変わらずの黒フードで覆い隠されて、相対するクロの表情を伺うことはできない。容赦なく殺気を叩きつけてはいるものの、果たしてそれに動じているのかも察せない。
(やりづらい相手だ)
刃を交える度に痛感することを、今一度確認した。
人の顔色や視線というのは、動きを先読みするにあたって非常に重要な手掛かりとなる。意識した場所を見ずにはいられないのが人であり、意想外の展開を前にすれば驚くのが生物の常。だが、フードで顔全体を覆い隠したクロからは、その一切をも読み取ることが叶わない。
何をしでかすか予想できない。だが、リスクを嫌った戦いで押し切れるような相手でもない。
(一か八か、というのは常道に反するが――)
やるしかない。
「いざ」
鞘走りの音を立てながら、ゆっくりと抜刀。その煌めきを見せびらかすように刃をちらつかせ、フードの奥に隠れたクロの視線を惹く。
実際に効いているかも定かではない、申し訳程度の視線誘導。その虚しさを僅かに覚えながらも、一歩踏み込む。
「おや?」
「シッ!」
銀閃。
空を走った銀光がクロの首を断つように放たれ――間一髪のところで避けられる。
「おおっと! 危ないですねまったく」
「ぬん!」
おどけたように両手を上げるクロだが、その言動に構う暇はない。
返す刃で胸元を薙ぎ、踏み込みと共に体当たり、足首を狙って爪先を蹴り入れ、駆ける勢いを乗せて刀を振るう。
刀術の正道から大きく外れた、邪道と言う他ない連撃。それゆえに予測も対処も困難なはずだが。
「グイグイ来ますねぇ。そんなに踏み込んで大丈夫ですか?」
どれ一つ当たらない。それどころか、刀の切っ先が掠めすらもしない。
影が閃光を避け揺らめくように、繰り出す斬撃の尽くを紙一重で回避したクロは、これ見よがしに手元のナイフを光らせた。
――斬られる。
「くそっ!」
悪態と共にバックステップ。
刹那の後に首元を掠めていったナイフの冷たさに、背筋がゾッと凍りついた。
「あらら、外れてしまいましたか。ですが――」
「――私を忘れてもらっては困るな!」
一瞬の空隙。
ヤマトとクロの剣戟へ滑り込むように、気配を消していたレレイが駆け込んだ。
「打ち込む!」
重戦車の砲撃にも等しい、渾身の力が秘められた一撃。
人の身から放たれたとは思えない重々しい風切り音を響かせて、レレイの拳がクロの胸元へと突き刺さった。
「ぐっ!?」
(通った!?)
先程までの余裕一切が失せたような苦悶の声。
本当にダメージが通ったのかを一瞬だけ疑うが、すぐに思い直す。剣をまともに振れないほどの至近距離で、レレイが打撃を外すはずもないし、衝撃を逃せる道理もない。
身体をくの字に折り曲げたクロ目掛けて、レレイは更に逆の拳を握り固めた。
「加えてもう一つ!」
放たれた鉄拳がフード越しにクロの顔面を打ち、盛大に跳ね飛ばした。
大の男が冗談のように身体を錐揉み回転させ、何度も床に打ちつけられながら飛んでいく。何とか体勢を立て直そうとしているようだが、あまりの衝撃に脚を立てられていない。
「―――っ!」
現実離れした光景を前に失いかけていた我を、すんでのところで取り直す。
絶好の機会。掴みどころのなかったクロに初めてダメージが入り、加えて大きな隙を晒している。
「追撃する!」
疾駆。
転がるクロを追いながら、刀を腰溜めに。刃を立て、斬撃の線を脳裏に描いた。
(『斬鉄』!)
振り抜いた後のことは思考せず、ただ眼前の敵を斬ることのみに専心。
鉄をも斬れと名づけられた斬撃が、人の眼で捉えられぬ速度をもってクロの首へ吸い込まれていく。必中。いかなる者であろうとも、その体勢から避けられるはずが――
「なっ!?」
金銀の火花が散った。
何が起きたのか、咄嗟に頭が現実を受け止めようとしない。あまりに信じ難い所業に、刀を握ったままの腕が空を泳ぐ。
(弾かれた――ナイフで受け止めたのか?)
当惑する意識のままに視線を動かせば、ナイフを振り抜いた姿のクロが眼に入った。
ナイフで弾かれた。そう推測する他ないが、果たしてそんなことが可能なのか。見た目以上の速度と破壊力を秘めた太刀の斬撃を、僅か十数センチほどの刃渡りでいなすなど不可能で――
「ヤマト!」
「―――! 」
レレイの声に応じ、咄嗟に飛び退る。同時に、胸元へ衝撃。
グラリと傾く身体を必死に制御し、どうにか着地に成功する。胸骨の痛みに眉をひそめながら、顔を上げた。
「貴様……」
「危ない危ない。後少しで真っ二つになるところでしたよ」
拳を受けた衝撃がまだ残っているのか、足取り自体はまだ怪しい。それでも、五体満足なままのクロがゆらりと立ち、手元のナイフを揺らしている姿が眼に入った。
「痛い痛い」と小さくぼやきながら頬を擦る姿に、大根役者の演劇を見ているような空々しさを覚える。本当にレレイの一撃が通っていたのか、数秒前の記憶が疑わしくなってくるほどだ。
後ろに退いていたレレイが前へ出る。その気配を察知しつつ、僅かに乱れた呼吸を整える。
「悪い、仕留め損ねた」
「構わない。それより、怪我は?」
言われて、衝撃を受けた胸元を見下ろす。
ジンと鈍い痛みが走る程度で、特別な苦痛はない。ゆえに大したことはなかったと高を括っていたが、そうでもなかったらしい。
「仕込み刃か? 間一髪だったようだな」
レレイの言葉に頷く。
恐らく、クロは靴裏に刃を仕込んでいたのだろう。蹴りを受けた部分の服が裂かれ、斬撃を掠めた肌に血が滲んでいた。
結果だけ見れば刃を掠めた程度で、外傷はないに等しい。だが、あと数センチほど深く脚が入っていたならば、その一撃で勝敗が決していた可能性が高い。
(警戒が足りなかった――いや、必要経費か?)
過去数回に渡る戦いの際は、手札の読めないクロを相手に慎重に立ち回った結果、決定打を与えることができなかった。
多少のリスクを負ったとしても、強引に間合いを詰めていく必要はある。そう方針は固めたばかりなのだから、安易に翻すのは却って悪手となるだろう。
「もう一度詰める。援護は任せた」
「……分かった。気をつけて」
首肯する。
整息すると共に視線を上げれば、ナイフを片手に肩をすくめるクロの姿が眼に映った。
「やれやれ。やる気満々って感じですねぇ」
「無論」
僅か数秒程度の間隙であったが、その隙にクロも息を整えることができたらしい。ナイフを片手に佇む姿には、先程レレイに殴り飛ばされたことを感じさせない不気味さがある。
(痛みを隠している、という風にも見えないが)
努めて面に出さないようにしながらも、内心で首を傾げる。
先程のレレイの攻撃は、傍目から見ていただけで衝撃が伝わってくるほどに、痛烈なものだった。比喩ぬきに岩をも砕く剛拳を前に、常人であれば骨が砕けてもおかしくないダメージを負ったはずだ。ヤマトが同様の攻撃を受けたならば、きっと半日は起き上がれないことだろう。
斬れば済む話とはいえ、あまりに不自然な姿に疑問は絶えない。
そんなヤマトの疑念を悟ってか、クロはわざとらしく己の頬に手を当てた。
「先程殴られてしまったところが、まだだいぶ痛みますからねぇ。できれば、もう見逃してほしいところなのですが」
「吐かせ」
「あらら。薄情な人ですねぇ」
よよと泣き崩れるような素振り。
誰もが演技と分かるようなわざとらしさに、思わず白い眼を向ける。
「……反応が悪いですね。一応同僚なんですから、もう少し和やかにお話しません?」
「同僚と認めた覚えはない」
「そう言わずに。“白”の方もいないことですし、貴方も話しやすいことがあるでしょう? 貴方の上司の狙いとか」
「………」
即座に斬り捨てるつもりで構えていた刀が、その言葉でピタと止まった。
上司――すなわちアナスタシアのこと。今頃は魔王城から外れた研究室に籠もっているはずの彼女に、何か含むところでもあるのか。
思わず訝しげな視線を向けたところで、クロがフードの中で厭らしい笑みを浮かべているような錯覚を覚える。
「斬るか」
「いやいやそう言わずに! ちょっとで終わりますから!」
クロの話そうとしていることに正直気を惹かれるが、それに構えば術中に嵌まることになる。
口答えする間を与えず斬り捨てるのがベストだろう。そう判断し、刀を振り上げたところで。
「彼女の目的が、この里を滅ぼすことにある。そう言ったらどうします?」




