第282話
竜の加護を授ける。
大層な文言をもって表されたその儀式だが、現実には酷く呆気ないものであった。
「――よし、これで済んだぞ」
「む……そうか」
垂れ幕の向こうにいる“白”が生白い腕を突き出し、レレイの頭上に掲げる。
言ってしまえばただそれだけの儀式だ。数秒の静謐の後に、“白”はするすると腕を垂れ幕の内に戻していった。
「これで終いなのか?」
思わずそんなことを口にするほどに、レレイは釈然としないような面持ちを浮かべた。
言われてヤマトもレレイの様子を伺ってみるが、何かが変わっているようには見えない。竜の気は常人に気取られるものではないとは言われたが、ここまで変化がないものなのだろうか。
そんなヤマトたちの懸念が伝わったのか、垂れ幕の向こう側から物静かな笑い声が響いてきた。
「ふふっ。そう焦らずとも、確かに私の加護は伝わっているぞ。まだ身体に馴染まぬゆえ自覚は薄いだろうが、時を経れば分かる。それはそういうものだ」
「そう、か。ならば、その時を待つとしよう」
若干の未練を感じさせながらも、首を振ったレレイはさっぱりとした表情で首肯する。
元より加護を期待して来た訳ではないのだ。望み通りの結果が得られていないとはいえ、焦る必要もないと思い直したのだろう。
レレイの様子が一段落したことを見て取ってか、“白”は控えめな咳払いを一つ。
「さて。“青”の巫女はこれにて用件が済んだであろうが――」
垂れ幕の向こう側から、冷たい視線が飛んでくる。
「人の子よ。どうやら、そなたも私に用があるようだな?」
「……あぁ」
「聞かせてもらおうではないか」
周囲の空気が一段と冷え込むような錯覚。
“白“から放たれた威圧感が、そうした感覚をもたらしているのか。思わず身震いしそうになるところを、グッと堪える。
(ここからが本題だ)
アナスタシアから委ねられた任を果たすため。
そして、来る途中に芽生えた疑念を明らかにするため。
腹に思い切り力を込めて、グッと“白”の影を睨めつけた。
「近頃、竜がやけに騒ぎ出しているという話を聞いた。そのことは確認しているな」
疑問ではなく確認。
ある種の確信をもって問うたその言葉に、“白”は一考する間もなく首肯した。
「そうだな。それがどうした?」
「理由を尋ねたい。ただ個々が血気立っているというには大規模すぎる動きは、そちらが先導しているのだろう?」
「ふふっ、そう剣呑な眼をするものではないぞ。人の子よ」
のらりくらりとはぐらかすような物言い。
思わず視線を強めれば、再び笑い声が立ち昇る。
「冷静に考えてもみよ。この宮に引きこもるばかりの私に、大陸中の同胞を動かす力があると思うか? それに元来、竜とは独立心の強いもの。私の言葉を聞いた程度で、果たして易々と動くものかな?」
「………」
「他に要因があると考えるのが自然の帰結であろう。例えば――近々、人の子らが騒ぎ立てていることとか。のう?」
「……そうか」
「ふふふっ。殺気が滲んでいるぞ」
深呼吸をし、頭の中を整理する。
“白”が主張するところによれば、竜が動きを活発にさせた理由の根本には、人と魔族が戦いを始めたことがあるという。察するに、戦意に溢れた人間たちの気迫に感化されて、竜たちの闘争心がかき立てられているのか。
様々なことを隠すような言い方ながらも、判明した事実が一つ。
「竜たちを止めてほしい。そう要請したところで、聞くつもりはないのだな」
「無理だと言ったばかりであろう?」
肯定。
現実に“白”を始めとする至高の竜種に、大陸中の竜を統率する力があるのかは定かではない。ただ確実に、“白”はその竜の動きを止めるつもりはない。
(ならば、暫定的に敵と定めるのが道理か)
静観に徹するのか、あるいは竜たちを推進するのか。
いずれにしても、アナスタシアの目的を果たす上では障害となることに違いない。
この件について“白”の――至高の竜種の助力を得ることは叶わない。その事実を明らかにできただけで、今回の任は果たせたと言えよう。
「ふふっ、よい闘気を放つ」
腹の底を定めたヤマトの心意気を感じ取ってか、垂れ幕の向こうで“白”は小さな笑い声を漏らした。
「焦らずとも、奴らもすぐに仕掛けたりはせぬだろうよ。そなたやその周りの者が、無闇に騒ぎ立てたりしない限りはな」
「……忠告感謝する」
つまり、時期が来たならば攻める意思があるということ。
竜種の群れがどれほどの力を持つのか。門番竜と実際に刃を交えたヤマトには僅かながら想像できる。
(過酷な戦いになるな)
思わず闘気を堪えられないヤマトを窘めるように、“白”が手を打ち鳴らせた。
「話は以上か?」
「……いや、まだある」
首を振り、横に立っていたレレイへ視線を流す。
それでヤマトの意思は伝わったのだろう。レレイは僅かに眼を開いた後、小さく頷いた。一歩前へ進み出て、“白”の視線を惹く。
「……この宮の地下から、邪な力の波動を感じた」
「邪な力?」
「うむ。宮を守護する貴方たちの力とは別。貴方たちの力によって封印されているものだ」
生憎と垂れ幕で遮られているから、“白”がどんな表情を浮かべているかは伺い知れない。それでも、レレイの言葉に不気味なほどの沈黙を返している辺り、全く心当たりがない訳ではないらしい。
そのことを確信した様子で、レレイは更に言葉を重ねた。
「かつて、魔王に与する者から聞いたことがある。大陸各地には初代魔王の遺骸が封じられ、今尚守られ続けていると」
「そのような話があったとはな」
「ここにあるのはその一つ――魔王の左腕で違いないか?」
「さて」
明言することを極力控えながらも、その声音に楽観的な色はない。
それだけでも、ヤマトとレレイがおおよその事情を察することは可能だった。
「別に答える必要はない。ただ、少し聞かせておきたいことがあったのだ」
「言ってみせよ」
「五つに分割された初代魔王の遺骸。その封印の解放を目論む者がいる」
「……ふむ」
無論、クロたちのことだ。
レレイが口にした事実は“白”としても興味深いものだったらしい。惚ける演技を一旦取り止めて、彼女の言葉に耳を傾けようとする。
「初代魔王の封印を解こうとする目的までは定かではない。だが彼らは――」
「そこから先は私の方から言わせていただきますよ、レレイさん」
「―――っ!?」
突然割り込んだ声。
それを耳にした瞬間に、ヤマトは我を忘れながらも腰の刀に手をかけた。
「お前、なぜここに――」
「理由ですか? それは貴方と同じですよ」
背後を振り返れば、予想に違わない姿がヤマトの眼に飛び込んできた。
闇に溶け込むような黒いローブで、身体つきや顔立ちが伺えないように全身を覆い隠している。声音から辛うじて男と分かるものの、それ以外に掴める情報は皆無に等しい。
素顔や、その本名すら不詳。それでありながら、ヤマトたちの記憶に色濃く刻み込まれた男。
黒ローブの男は、特徴的な慇懃無礼な態度のまま“白”の方へ進み出て、そして一礼した。
「お初にお目にかかります、“白”の竜よ。私のことはクロとお呼びください」




