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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
竜の里編
281/462

第281話

 薄い垂れ幕越しに、ヤマトと同程度の背丈の者が現れるのが見えた。

 男女の判別もつかない、中肉中背の人影。その薄影は貴族と呼ばれる者たちと相違ないものであり、ふわっと柔らかい花の香りが立ち昇ってくる錯覚さえ覚える。

 ここが竜の里と呼ばれる秘境であることを忘れそうになる光景だが、その人影を前にして、ヤマトは思わず脂汗を滲ませた。


(これが“至高の竜種”か。なるほど、確かに別格と言う他ないな……)


 早朝に手合わせをした門番竜を思い起こし、そして改めて眼の前の人影を見つめる。

 至高の竜種とは、総じて長寿な竜種の中でも格別に長い年月を生き抜いた竜のことを言う。その寿命の長さゆえに、彼らは途方もない力をその身に宿しており、元来が獣に近しい竜の尽くが本能で臣従を誓うのだとか。

 現実に竜と出会ったからこそ、にわかには信じ難い話だった。ただでさえ人を凌駕した力を宿す竜種を、更に一目で心酔させるほどの力。それは、例えば“神”と呼ばれる者であっても備えることの難しい類のものであろう。それだけの者が、人目に晒されることなく潜み続けているとは、正直考えづらかった。

 ゆえに、眼前に立つ存在は驚嘆に値する。


(力の底が知れない――いや、力があるのかすら感じ取れない? 立っている場がそもそも異なっているということか)


 己が戦うならばどうするか。

 普段ならば強者を前にして浮かぶはずの考えが、今この時に限っては、一向に浮かんでこようとしなかった。手立てが思いつかないというよりも、そもそも戦おうという気にすらならない。本能自体が、戦うことを放棄してしまっているようだ。

 それでも、交渉を前に気は抜くまいと腹に力を込めたところで。


「ほう?」

「―――っ!」


 垂れ幕の向こう側から、視線が飛んできた。

 それを自覚した途端に、ヤマトの膝が笑い始めた。止まらない脂汗で額が濡れ、ガチガチッと歯が噛み鳴らされる。


「そなたが、この里へ新たに迷い込んだ人の子か」

「あぁ」

「なに、そう怯える必要もあるまい。心配せずとも、理由もなくこの場から追いやるような真似はせんよ」

「……そうか」


 つまり、何か悪さをすれば即座に追い出す――もしくは殺すということ。

 言葉の上では穏やかながらも、薄幕越しに投げられる視線に暖かさはない。直接殺意を向けたりはしないが、自ずと反骨心を抑えつけるような無言の圧力が伸し掛かった。


(予想はしていたが、厄介なことだな)


 思わず顔をしかめる。

 そんなヤマトの様子に怪訝そうな眼を向けたレレイだったが、すぐに薄幕の向こう側の人影へ気を戻した。


「お初にお目にかかる。貴方が、話に聞く至高の竜種で相違ないか?」

「ふふっ、いかにも。故あって顔は見せられぬが、私がその一柱“白”で相違ないよ。“青”の巫女殿」


 ヤマトと相対したときとは打って変わって、レレイへは身内を歓迎するかのような声が降ってくる。

 その言葉を受けたレレイは小首を傾げた。


「“青”の巫女?」

「ふむ。その様子だと、自らの出自も理解し切れていないようだな。……察するに、それがそなたの来た理由か」


 レレイが曖昧ながらに感じていたという、竜との縁。

 それを端的に当ててみせた言葉に、レレイは驚きで眼を見開いた。


「なぜ――」

「そう驚くことでもあるまい。そなたが竜と縁を感じているのと同様、我らもそなたとの繋がりを感じているだけのこと」


 「本当にあったのか」と水を差すような真似はしない。

 レレイと至高の竜種。その両者共が認識しているならば、確かにその絆は存在しているのだろう。加えて、今もたらされた言葉が信用を後押ししている。

 無言のまま。それでも、話を聞き逃すまいと耳をそばたてたヤマトの前で、レレイと至高の竜種“白”の話は進んでいく。


「“青”の巫女とは、何のことだ?」

「読んで字の如く、“青”に仕える巫女のことよ。“青”が司りし大海を見守り。その安寧を守護する者を言う」

「見守る……。あの鏡が、そのための眼ということか」


 レレイの言葉に、ザザの島で見た鏡のことを思い出す。

 水竜の巫女に任じられた者に与えられる家。その地下には、島周辺の海図を示した鏡が秘められていた。巫女の役割はそれを用いて周囲を監視することにあり、ゆえにレレイはザザの島に縛りつけられていた。

 彼女にとっては、素直に受け入れることの難しいものだろう。

 そんな心境を慮ってか、薄幕の向こうにいる“白”は重々しく頷いた。


「“青”の領分ゆえ、私から多くを語ることはできない。だが、かつての鏡は間違いなく必要なものであり、巫女も進んでその任に就いたと聞いている」

「……そう、だろうな」


 僅かに眼を伏せる。

 その瞳が何の感情を浮かべているかを読み取れないままに、レレイは気を取り直して面を上げた。


「では、私が竜と――貴方たちと縁を感じていたのは、その巫女の役割が理由なのか」

「かつて巫女として選ばれた者の中には、私たちの気が流れていた。恐らくは、それが私たちとそなたを結んだのだろうよ」


 言われて、ヤマトは思わずレレイの体内を巡る気を探った。

 既に幾度となく触れたことのある、馴染みのある気。離島暮らしやその後の鍛錬で精錬された気からは、一廉の武人に相応しい確かな力強さが感じられる。


(だが、竜の気か)

「人が容易く感じ取れるようなものではないぞ」


 疑わしく思うような視線を察知してか、“白”が先んじて口を開いた。


「竜と共に生きてきたならばともかく、そなたはそうではあるまい? ならば、探ろうとしても無駄というものよ」

「……そうか」


 確かに、ヤマトが竜と初めて出会ったのは数ヶ月前。言葉を交わした経験については、ザザの島での戦いを除けばつい先日からだ。“白”が語った竜の気とやらも、その在り方を思い描けるような知識もない。

 探ろうとするだけ無駄。その言葉にヤマトが首肯したことを見て、“白”は視線をレレイの元へと戻した。


「――さて。“青”の巫女よ。そなたは自らの正体を知り、かつての役割を知った。その上で問い掛けよう。そなたは、何を望むか」

「何を望む?」


 話の転換。

 咄嗟に思考が追いつかずに聞き返したレレイへ、“白”は鷹揚に頷く。


「そなたは“青“の巫女なれど、“緑“の祝福をも得た。自然、私の“白”、“黄”に“赤”を得ることも可能であろう。その果てにあるものは、とても人の身には収まらぬほどの力」

「“黄”に“赤”? それに“緑”は……」

「それをもってすれば、そなたが勇者に成り代わることも――魔王に成り代わることも叶うだろう。他人の思惑全てを一蹴し、世を意のままにすることも容易だ」


 俄かに雲行きが怪しくなってきた。

 思わず口を開きかけたところで、垂れ幕の向こう側から強い視線が飛んでくるのを感じた。どうやら“白”は、レレイとの直接対話がお望みらしい。


「そなたも自覚しているであろう? 私たちの加護を得るたびに、その身に力が蓄えられていることに」

「………」

「今はまだ二色を不完全な形で継ぐに留まっている。だが、五色を完全に受け継いだならば、どうなるであろうな?」


 先程“白”が自らの口で語って聞かせた通りだ。

 竜の加護を得たレレイが、新たな勇者として剣を手にすることも可能、新たな魔王として君臨することも可能だ。第三の道――勇者と魔王の戦いを、その力をもって終息に導くことも可能なはず。

 強い力には大きな責任が負わされる。単なる気紛れが許されなくなるほどに、その加護がもたらす力は絶大だ。


「私は――」


 “白”が問い掛けていることの意味を理解したのだろう。レレイはその大きな瞳を揺らし、そして僅かに眼を伏せる。

 深呼吸を数度。己の芯を確かめるように小さく頷いてから、再び眼を開いた。


「私は、友のために力を使う。その心は何があっても変わることはない」

「……ほう? 友のため、か」


 ちらりと“白”の視線がヤマトへと向けられる。

 それを素知らぬ顔で黙殺すれば、やがて何も情報を得られないことを理解したのか、“白”は視線をレレイの方へと戻した。


「美しい文言だ。己の欲に惑わず、友の助けとなるべく力を振るう。なるほど、確かにそれが叶うならば、そなたは加護を授けるに相応しい」

「何が言いたい」

「簡単なことよ。人の身に余るほどの力を見て、果たしてその友は、そなたをまだ友人と認めるだろうか」


 “白”の言葉は、竜の加護による力を真に求める者には、確かに深く突き刺さるものだったのだろう。

 人と竜が容易く手を取り合えないように、強者と弱者の間に情は成立し難い。人は自ずと劣等感と優越感に惑わされる生き物であり、それを抱いた瞬間には、素直な眼で友を見ることも難しくなる。

 例えばヒカルが同じく問い掛けられたならば、答えに窮していたことだろう。彼らは是が非でも力を得んとする者であり、その根源には純粋すぎる思いを抱いている。

 だが、今回ばかりは相手が悪かった。


「――ふふっ、面白いことを言う」

「ほう?」


 一蹴。

 “白”の言葉を鼻で笑い飛ばしたレレイは、真っ直ぐな眼で垂れ幕の向こう側を見つめた。


「私は友のために戦う。そこに力の大小は関係ない。例えこの身に宿る力が僅かなものであっても、やはり私は友のために戦うだろう」

「その友が、そなたを拒絶したとしても?」

「私の力が恐れられたならば、それを捨てるまでのこと」


 その言葉に迷いはない。

 思わず感嘆するような吐息を漏らした“白”だったが、代わってレレイは僅かな怒気を滲ませた視線を叩きつけた。


「だが――あまり友を侮辱しないでもらおうか。一時の優越感に浸るために他者を斬るような狭量などと、知った風な口を聞かないでもらいたい」

「ほう」


 息の詰まるような緊張感。

 思わず呼吸をすることも忘れて見守る中、先に身動ぎをしたのは“白”の方であった。


「……ふ、ふふふっ!」


 威勢のいい啖呵。

 彼我の力量差を考えれば不敬にも程がある言葉と、敵意すら感じさせる強い眼差し。

 それらを受けて、“白”は愉快そうな笑い声を上げた。


「いや失礼。最近は、こうして啖呵を切られることもなかったのでな。ついつい……ふふっ!」

「……勝手に笑っていればいい」


 微妙に拗ねたようなレレイに、“白”はすぐに謝辞を述べる。


「だが、“青”のみならず“緑”も気に入ったというのも、確かに納得できた。そなたならば、私たちの加護を授かったとて誤った使い方はすまい」

「と言うと?」

「そなたは不要と跳ね除けるかもしれぬが。私の――“白”の加護も授けるとしようか」


 先程の問答が余程気に入ったのか、ひどく上機嫌そうに言う“白”。

 その提案に、レレイは複雑そうな表情ながら、不承不承頷いたのだった。

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