第28話
太陽は空高く上がり、海沿いのアルスを直上から熱く照りつけている。
肌を焼く直射日光から逃れるようにして、ヤマトたちはとある店へとやって来ていた。ヤマトを先導しているのは、「いい店を紹介してあげる!」と明朗に言い放った少女だ。
「――ここがその店さ!」
少女は店の前で胸を張る。
その店構えを見上げてみれば、大きくない代わりに年季の入った看板が目に入る。「海鳥亭」という名前の店らしい。軽く覗き込むと、そこそこに繁盛した店内の様子が伺える。
「お母さん! お客さんをお連れしたよ!」
少女は声を上げながら店に入っていく。
店内の客は、そんな少女をちらりと見ただけで、すぐに目を離す。どうやらここでは日常茶飯事の光景らしい。
「ララ、お客様の前では大人しくなさいといつも言っているでしょう?」
店奥の厨房から一人の女性が出てくる。
ほっそりとした体躯に穏やかそうな表情。家庭的な雰囲気が全身から放たれているように思える。少女――ララとは正反対な性格のようにも見えるが、目の奥の利発そうな光などは似通っているようにも見える。
「はぁい」
「ごめんなさいね、娘がご迷惑をおかけしました」
「いやいや! 僕たちも楽しかったですし」
人当たりのいいノアが応じるに任せて、ヤマトは一歩下がって店内の様子を観察する。
ずいぶんと男性客が多いのは、ララやその母親などが目当ての客なのだろうか。見たところ観光客ではなく、漁師や海賊などの地元民らしい。筋骨隆々な男たちが穏やかな表情でララたちのやり取りを眺めている姿は、ある種異様な雰囲気すら感じる。だからこそ、ララと共に入店してきたヤマトとノア――特にヤマトへ鋭い視線が飛んできているのは、つまりはそういうことなのだろう。
ざっと見渡した程度ではあるが、単なるチンピラよりは遥かに腕が立ちそうな男たちだ。
「注文は何になさいますか?」
「お勧めで。お金はあるから、何でもいいよ」
確認するノアの視線に、ヤマトも首肯する。
かしこまりました、と礼をして去っていくララとその母親の背中を見送って、ヤマトたちは席につく。
見た目は海賊さながらの荒々しい男たちがひしめく店内だが、静かな時間が流れている。普通の海賊が集まる場所は騒がしくなる。
「地元の人だけ知ってる、隠れた名店ってやつなのかな?」
「さてな。料理が美味ければ何でもいい」
「あんだけ食べたのに、まだ食べるつもりなんだ」
呆れるノアの視線に対して、肩をすくめる。
「これだけの臭いがしていてはな」
目を厨房の方へ向ける。どんな料理を仕込んであるのかは分からないが、香辛料と魚が焼ける香りが漂ってきて、ダリアの実で散々に満たされたヤマトの食欲を刺激してくる。胃が急に動きを活発にして、中を一気に消化しているような気すらしてくる。
待つこと数十秒ほど。簡素な皿によそわれた料理を手に、ララがヤマトたちの卓へ歩み寄ってきた。
「お待たせしました! ご注文の料理です!」
満面の笑みと共に卓上に乗せられた皿には、香辛料がまぶされた焼き魚や、魚の香りが漂うスープ、魚以外にも烏賊や貝などをまとめて炒めた料理などが並んでいる。その香りを目前にして、ますますヤマトの腹が刺激される。
「それじゃあ、いただくとしようか」
無言のまま首肯して、箸を手に取る。
スープは見た目は黄色がかっただけの透明なものであったが、その味と香りは複雑の一言だ。一番強く感じるのは魚由来の潮の香りだが、それ以外にも貝や野菜などの風味も重なっている。一杯口に含めば、その豊かな味と芳香が身体に染み渡っていく。
焼き魚は白身らしく、淡白で上品な味わいが口を満たす。添えられた調味料もその味を損なわないように刺激の弱いものを選んでいるらしく、魚の味を一層引き立てる。これまでは内陸の川魚ばかりを食べてきたが、それと比べると潮の香りがある分、味が豊かなようにも思える。
炒めものについては、豪華の一言に尽きるだろう。色も形も様々な海産物が入ったその料理は、ともすれば別々なままに分離してしまうその具材が、香辛料によって一つにまとめられることで完成している。
「これは……」
「どう? うちの自慢の料理は」
湯呑を三つ持ってきたララが、そのうちの一つを手にしながら卓に座る。
「店番はいいのか」
「うちは常連さんしか来ないからね、どうってことないよ」
ララの母親は少し困ったように眉尻を下げていたが、特に何も言わない辺りは、確かに何とかなる範疇ではあるのだろう。
箸で焼き魚の身をほぐしながら、ヤマトは首肯する。
「美味いな。前に来たときも来ればよかった」
「へぇ、お客さんはアルスに来たことあるんだ?」
「数年前の話だ」
そのときは香辛料が豊富に入ってはおらず、塩のみで味つけした焼き魚を出す店が大半だったように記憶している。
それはそれで美味くはあったが、数日も食べれば段々と飽きてくるのも事実であった。代わり映えのない食事から逃げ出すようにアルスを立ち去ったのは、苦い思い出だ。
「見たところ店を始めて長いようだな」
「うん。数年前はまだ細々とやっていたけどね」
何かを思い出すように、ララは目を細める。
せっかくだから、ここ数年でアルスに起こった出来事を聞いておく方がいいだろう。そう決めたヤマトは独特の渋みがある茶を口に含んでから、言葉を出す。
「そのときと比べると、この街はずいぶんと静かになったな」
「……そうかな?」
途端に、店内の雰囲気がピリッと痺れた錯覚を覚える。
ノアもそれを感じ取ったのか、雰囲気はいつも通りのままで、すっと目を細める。
「あぁ。騒がしく危うい街だった、そんな記憶があるのだが」
「今もそれなりに騒がしいでしょ?」
「あれでは騒がしい内には入らない」
一歩道の外へ行けば、闇社会で海賊同士の抗争が繰り広げられている。市場で屋台を並べる海賊も、表面上は穏やかに振る舞いながらも、その内側で虎視眈々と刃を研ぎ澄ませている。そんな、一般人が歩くには危なっかしく、ヤマトにとっては心躍る街だったアルスは、ずいぶんと様変わりしてしまった。
海賊がいなくなったということはない。だが、その牙はことごとく抜かれてしまったように思える。
「いったい何があった? 外面では何もなかったように見えるが」
「……まあ、アルスに住んでいれば皆知っていることか」
それまでの快活な様子からは想像できないほど重苦しい溜め息をついてから、ララは口を開く。
「お客さんの言う通り、ちょっと前まではここはずいぶんと騒がしかった。皆が馬鹿みたいに、アルスで一番になるんだってはしゃいでいたんだ」
それは、ヤマトも知っている時期のアルスのことだろう。
海賊は新たな海域の開拓を目指し、そのための航路の知識を求めて争い合っていた。それはひとえに、海洋諸国アルスで一番の権力を握るため。
「だけど、グランツって男が現れてから、何もかもが変わったのさ」
「グランツ?」
聞き覚えはない名前だ。
首を傾げるヤマトに対して、ララは何かを懐かしむ目つきになっている。
「あのときのアルスは、二つの海賊が中心になっていた。一つが『海鳥』を首領とした派閥で、もう一つが『刃鮫』を首領とした派閥」
「聞き覚えがあるな」
確か、『海鳥』と『刃鮫』は互いに数十年の長い年月を競い合ってきた海賊団の首領に与えられる称号だ。当代の『海鳥』は南海由来の二刀流剣術、『刃鮫』は東洋由来の曲刀の使い手として名を馳せていたはずだ。
「事件は『刃鮫』の跡継ぎとして、グランツって男が選ばれたことさ。グランツは当時敵対していた帝国と手を結んで、かなり強引に勢力を拡大した。『海鳥』もそれに対抗しようとしたんだけどね」
「帝国か」
「海沿いの街は見ただろう? あんな風に整備されたのも、グランツが『刃鮫』を継いでからだよ」
一概に悪いとは言えないのだろうが、従来の体制から急激な変革を強いたのは一つの事実なのだろう。
「金の力は絶大だったってことさ。凄い金額をばらまいて街中を従えたグランツは、ついには『海鳥』を越えた。今じゃ『海鳥』の名は堕ちて、グランツが評議会でも幅を利かせているってわけ」
自嘲気味に言い捨てたララの横顔を見ながら、ヤマトは思い返す。
海洋諸国アルスとはその名の通り、幾つもの島国が連なってできた国家群だ。その経営は、各国から代表者を集めて開く評議会の決定によって行われるという。
つまるところ、かつてアルスで行われていた海賊の権力争いは、グランツ率いる『刃鮫』の勝利に終わったということなのだろう。そして、この店「海鳥亭」はつまり――。
「話は理解した。すまないな、聞き出すようなことをして」
「別に構いはしないよ。他に聞きたいことはあるかい?」
これで、この話は終わり。
そんなヤマトの意図を汲み取ったらしいララが、表情を明るくして会話を続ける。話題がすぎたことを察したらしい男たちも、剣呑な雰囲気を鎮めて、再び穏やかに食事を楽しみ始めている。
「――お待たせしました。こちら食後のデザートです」
穏やかな笑みを浮かべたララの母親が、皿を一つ持って現れる。
その皿の上に乗せられたのは、果実の切り盛り――ダリアの実の中身がふんだんに使われた料理だ。
「おぉ!」
「お客様はダリアがお気に召したと娘に聞きまして。大丈夫でしたか?」
「あぁ、問題ない。むしろ大歓迎だ」
今となってはすっかり慣れてしまったダリアの芳香が、ヤマトの鼻をくすぐる。
遠い目になってしまったノアや店内の男たちを尻目に、ヤマトは皿に添えられた木匙を手に取った。