第278話
使者の青年が訪れてから、十数分後。
早速荷造りを終えたヤマトとレレイは、彼の案内に従って険しい山道を歩んでいた。
「お気をつけください。道を外れてしまうと、少し厄介なことになりますので」
「分かった。気をつけるとしよう」
人化した竜の青年の言葉に、レレイは即座に首肯した。
北地元来の厳しい寒気に加えて、高山特有の荒々しい風が辺りを吹き荒れている。吹雪の中を歩むために整えた防寒着だが、その分厚い生地をもってしても、この冷気を遮ることは難しいらしい。
秒ごとに低下していく寒さに身体を震わせつつ、ヤマトは辺りを見渡した。
「ずいぶんと殺風景な山だな」
「氷雪に煽られてなお、葉を生い茂らせられる草木は多くない。それにこの山は、ただでさえ竜の出入りが激しそうだからな」
「竜の気に当てられて、草木が萎えたか?」
人里ではなかなか見ることのできない光景だ。
強すぎる存在を前に、身体の内に秘めていた生気が抜け出る。危険な魔獣がひしめく秘境では見られる以外には、帝国が理論だけを提唱していた事実。ヤマトとしては話半分で聞いていた上に、自身の眼で見ていないゆえに半信半疑なところだったのだが。
グルリと辺りを見渡す。
(見事なまでに、草一本生えていない。それどころか、竜以外の気配も感じられない)
それは、ここが北地であることを加味しても異様なことだった。
如何な秘境であっても、少し探せば地中に潜む虫が見つけられるもの。だがここ竜の里においては、どれだけ気を巡らせても帰ってくるのは竜の息吹ばかり。虫やそれ以下の生物がいる気配もない。
竜たちの眼を気にせず口にしてしまうならば、こここそが「死の大地」の名を冠するに相応しい場所だ。
(何にせよ、あまり長居したい場所ではないな)
麓の街並みと比べると、ヤマトの眼に馴染む場所ではある。だが、ここの空気は異質がすぎる。
無意識にささくれ立つ己を自覚し、ふっと溜め息を零す。
「お疲れですか? 宮までもう少し歩くのですが……」
「いや、そういうことではない。気にしないでくれ」
「分かりました。何かありましたら、気軽に申しつけてください」
いったいどこで礼節を学んだのか。薄い笑みを浮かべた青年は、そのままに優美な仕草で頭を下げた。
得体の知れない居心地悪さのままに、思わず視線を逸らす。
(こいつもこいつで、薄気味悪いところがあるな)
聞けば、普段は至高の竜種の下に仕えている個体らしい。野性らしからぬ賢さを見出されて、至高の竜種直々にスカウトされたのだと、道中でやや誇らしげにヤマトたちに語ってくれた。
その言葉通り、確かに他の竜とは些か異なる知性を感じさせる双眸をしているのだが。
(何かを隠している――いや、奥が読めない? それほどに表情を作っているのか、それとも達観しているのか)
いずれにしても、あまり仲良くなりたいと思える性質でないことは確かだ。
どうせ至高の竜種がいるらしい宮殿までの間柄。無理に仲を深める必要もないだろう。
さっさと青年から興味を失わせると、ヤマトは隣を歩くレレイの方へ視線を向けた。
「む。どうかしたか?」
「……あぁ、少しな」
一瞬だけ逡巡して、言葉を続ける。
「レレイがなぜこの地にいるのかと。そう考えたのだ」
「ふむ、私がここに来た訳か」
「伊達や酔狂というだけでもないのだろう?」
それらの要素を否定しなかったのは、レレイならば酔狂で北地にまで来かねないと直感したからだ。
思慮深く、世間知らずながらに道理を弁えている少女。精神的には十分以上に熟達しているレレイだが、それとは逆に、己の衝動に身を任せる動物的な部分があることを、旅路を通してヤマトは理解していた。
加えて、寒風が吹き荒ぶ北地へ来るような輩に、酔狂の混じっていない者がいるはずもないという考えもある。
そのことを改めて確認するように視線を投げれば、レレイは僅かに頬を赤く染めて頷く。
「まぁ、そうだな」
「聞かせてはくれるか?」
「構わない。特別、隠し立てするようなことでもないのだから。……ただ、あまり言い触らさないでもらえると助かる」
そう言ったレレイは、どことなく恥ずかしげな様子だ。
その理由が分からず小首を傾げたまま、ヤマトは彼女の次の言葉を待った。
「竜との間に奇妙な縁を感じた。言ってしまえば、ただそれだけのことだ」
「縁?」
「ザザの島で巫女を務めていたこと。ヤマトたちが来て、竜と初めて相対したこと。高原でミドリと縁を築いたこと。その全てで、私の中に竜と通ずるものの存在があった。上手く言い表せるものではないのだが」
「それは……」
何とも曖昧な話だ。
これを口にしているのがレレイでなければ、ただの世迷い言だと一蹴していたことだろう。
そんなヤマトの思いをレレイも理解していたのか、苦笑いと共に軽く首肯した。
「我ながら、荒唐無稽な話だろう? ただ、他にやることもなかったからな」
「ヒカルたちは、魔王軍との決戦に向けた準備か」
「あぁ。共に旅をしていたからとは言え、そのことについて私は門外漢だ。いつまでも世話になり続ける訳にもいかないだろう?」
きっとヤマトが同じ立場に立たされたならば、レレイと同様の決断を下したことだろう。
「大事な用がある」とでも言い残して、さっさと立ち去ってしまう。やや薄情なようではあるが、後腐れがないという意味では気楽な選択だ。
納得したように頷いたヤマトだったが、レレイは続けて、躊躇いがちながらに言葉を続ける。
「……それと、ここに来ればヤマトの墓でも立てられるかと思ってな。形見の一つでも残っているならば、それを探しておきたかった」
「ふふっ、墓か」
「笑うな。……すまない、生きていると期待していなかった訳ではないのだ」
「気にすることではない。普通ならば死んでいるし、俺も十中八九死んでいた。それは事実だ」
軽口を叩くように笑い流せば、ようやくレレイもホッと安堵した笑みを浮かべた。生者を勝手に死んだものと扱っていたことが、それなりの重荷になっていたのだろうか。
彼女の表情に陰りがないことを確かめつつ、ヤマトは先日の出会いを思い返す。
(先日のノアもそうだったが、相当心配させているようだな)
エスト高原で開かれた魔王軍と人間たちの開戦。その最中で行われた、ヤマトとノアの再会。
万事平穏とは行かなかったものの、ヤマトが生存していることは彼の知るところとなった。予定通り彼が大陸南部へ帰還したならば、そう間もない内に、ヒカルとリーシャの下へ報せが届くことだろう。
ノアとレレイもそうだったが、ヒカルとリーシャも相当に心を乱しているはずだ。
(何とか、一度だけでも顔を合わせることができればいいのだが)
それは、難しいだろう。
今のヤマトは、仮がつくとは言え魔王軍一味の武人。アナスタシアの指示の下、表面上は魔王軍に味方するように振る舞わなければならない。人目を忍んだとて、迂闊に彼女たちと接触する訳にはいかないのだ。
それでも、アナスタシアは魔王軍に与している訳ではないところに、救いどころがあるにはあるのだが。
「なるようになる、か」
「何の話だ?」
「気にするな」と軽く応じて、ヤマトは意識を眼前へと引き戻した。
「死にかけたとは言え、こうして五体満足のまま再会することができた。ならば、きっと再び皆で旅することもできるはずだ」
「……そう、か。そうだな、そうなることを私も願っているよ」
仲間たちと共に、再び大陸各地を巡る旅に出る。
それはきっと、今考え得る限りで最も幸せな未来だろう。容易な道のりでないことは想像に易いが、それでも成し遂げたいことでもある。
そのためにも、まずはこの地で果たすべき使命を遂行するとしよう。
胸に灯った確かな炎を頼りに、ヤマトは荒い山道へ大きく足を踏み出した。
 




