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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
竜の里編
276/462

第276話

「ふぅ――」


 正眼に構えた刀の重みを意識しながら、整息する。

 静かに鳴る脈動の音は、いつもよりも若干静かだ。早朝ゆえ寝ぼけているのか、それとも慣れない環境の中で無意識に萎縮しているのか。


(いずれにせよ、万全の力を出せないようでは問題外)


 せっかく巡り合えた好機。後にも先にも、人化した竜種と刃を交えられる経験などそうあるものではない。ここで奮起せずして、いつどこで奮起するというのか。

 体内の隅々に至るまで気を巡らせ、指先に通う血流を思い描く。

 手中の刀が身体へ沈み込み、その刃先が己と一体になる心地を覚えた。


「これは……」

「準備はできているな?」


 何かに呆けるような声を上げた門番竜へ、挑戦状紛いの言葉を投げつける。

 気を抜いているようならば、容赦なく斬り捨てる。

 そんなヤマトの本心は間違いなく伝わったらしい。すぐに気を取り直したようで、ニヤッと好戦的な笑みと共に拳が構えられた。


「ククッ、格の差というものを教えてやる」

「よく吠える。……加減はしない、上手く凌げよ」


 軽く一蹴しながらも、門番竜の言葉に一つの理があることを認める。

 ヤマトは人であり、奴は竜種。これまでの生涯を鍛錬に費やし、己が人にしては枠外へ至れるほどにまで成長したことをヤマトは自覚していたが――それでも、竜種が秘めるポテンシャルは測り難い。


(膂力と反応速度は確実に奴が上手。こちらに分があるとすれば、磨いてきた技と戦いの駆け引きだが――)


 それも、最低限の土俵に立たないことには無意味。

 ただ腕を振るえば吹き飛ぶような相手を前に、誰が駆け引きをするというのか。

 ゆえに、ある程度はヤマトの力を認めさせなければならない。この手にある刃が奴を脅かすものであり、無視することはできないと知らしめないことには、何も始まらないのだ。


(まずは、一太刀)


 その一撃をもって、奴の心胆を震え上がらせるとしよう。

 気力を高め、刀の刃を立てる。


「行くぞ」


 一声。

 それに門番竜が応じるのを確かめないままに、一息に踏み込んだ。


「ほぅ」

「シ――ッ!!」


 刹那の内に最高速へ至り、地を這うほど低姿勢のままに間合いを詰める。

 人の目ならばそれだけで欺けるだろう踏み込みだが、門番竜の眼を誤魔化すには至らない。未だ直立不動な姿勢のままだが、彼の視線が己を捉えていることを理解した。


(だが、それでいい)


 攻撃を目前にして動こうとしない、その慢心を砕くとしよう。

 刀を腰溜めに、身体を捻り力を蓄える。門番竜の身体を一メートルほど前方に捉えたところで、一気に膝を深く沈め込んだ。


(『斬鉄』!)


 横薙ぎの変則型『斬鉄』。

 ただその一太刀のために、全身を総動員し膂力を結集させた。渾身の力が乗せられた太刀は、だがただ力任せには留まらず、刃が秘める斬れ味を最大限発揮できるよう振り抜かれる。


「小癪な!」


 不可避かつ必殺の一撃。

 それを目前にしたところで、門番竜も己の失策を察知したらしい。焦りの色を顔に一瞬浮かべ、それでもすぐに平静な表情へ戻って。


「退けッ!」


 何の変哲もない足踏みを一つ。

 その瞬間、門番竜の足元から底知れない力が放たれた。大地に深々とヒビが入り、無数の岩塊が周囲へ撒き散らされる。


「厄介な……!」


 人の頭ほどはある岩が幾つも殺到する。一つだけならばまだしも、それを幾つも身に受けて無事でいられるほど、人の身体は頑丈にはできていない。

 既に放ち終えていた『斬鉄』の軌道を強引に修正。

 すぐ眼前に迫っていた大岩を真っ二つに断ち、返す刃で飛来する礫を弾く。身体の緊張を解かないままに、残心。


「いつまでそこに突っ立っているつもりだ?」


 周囲へ気を巡らせていたヤマトの感覚が、門番竜の手がグッと突き出されることを察知した。

 岩が身体に衝突することを物ともしない、強引な接近。人化したゆえに柔らかくなった肌に傷がついているが、それに堪えた様子は一切見せないままに、門番竜の手がヤマトの胸元を掴み上げた。

 反応は間に合わない。

 息が詰まるままに、声が潰れる。


「ぐっ!?」

「お返しだ人間!」


 息苦しいながらに眼を見開き、場の状況から意識を逸らしていなかった。それでも、自分に何が起こったのかが束の間だけ理解できなくなる。

 強烈な浮遊感。

 気がつけば喉元を塞いでいた力から解き放たれているも、周囲の景色が矢のように流れていく。

 困惑。次いで、半ば当てずっぽうの理解。


(投げ飛ばされたのか!?)


 ただ片手の膂力をもって、玩具を放るかの如くして、ヤマトは空に投げ飛ばされていた。

 僅かに身動ぎするので精一杯。凄まじい速度ゆえの風圧に、全身の動きが押さえ込まれている。必死に手足を藻掻かせるが、大した手応えもなく指が空を切る。

 このままでは地面に叩きつけられる。そうなれば、勝負は決したも同然だ。


(奴の力量を、見誤っていた――?)


 刹那の後悔。

 すぐさまにそれを忘れて、必死に対抗策を模索したところで。

 更に絶望を告げる声が耳朶を打った。


「どこを見ているのだ、俺はここにいるぞ?」

「この――っ!?」


 門番竜の声が聞こえたのは後方――すなわち、ヤマトが投げ飛ばされている進路上だ。そこで仁王立ちをした門番竜は、弾となって飛来するヤマトを撃ち落とすべく、その拳を構えていた。

 ヤマトを放り投げた後に、その行く方向へ先回り。いったいどれほどの身体能力があれば、そんな常軌を逸した真似が可能となるのか。


(いや、今はそんなことよりも)


 この緊急事態を、どうにかして脱しなければならない。

 とても常道では覆し難い状況。どうあってもヤマトは門番竜が待ち構える元まで投げ飛ばされ、そして叩き落とされる。

 ならば、常理を己の中から消し去ってしまえばいい。


「ぉ、ぉぉおおおッッッ!」


 思考を棄却。本能が衝き動かすに任せて、思い切り身体を捻った。

 すぐ眼前にまで迫っていた門番竜の姿。それに驚愕する間もなく、刀を振り抜く。


「シャァッ!」

「ちっ、人間風情が無茶をする」


 自爆覚悟の特攻。

 拳を避けられないというならば、同時に奴へ致命傷を食らわせてやる。

 そんな破れかぶれな攻撃を前にして、門番竜は舌打ちを漏らして身体を捩った。斬撃の軌道から逃れ、弾丸のように飛ぶヤマトの姿を見送る。


(ひとまず、窮地は脱せた――っ!?)


 刀は空振ったが、胸元に拳がめり込むような感触もない。

 何とか命拾いできたか。

 そのことに安堵するのも束の間、ヤマトの視界に硬い地面が飛び込んできた。直感的に歯を食いしばる。


「ぐ、がっ!?」


 大型魔獣に跳ね飛ばされるときを彷彿とさせる、強い衝撃が全身を打ちつけた。

 あまりの衝撃に肺から酸素が吐き出され、視界が真っ白になる。頭が平衡感覚を失ってグラグラと揺れて、喉奥から鉄錆の味を感じる。ややあって、全身が鈍い熱を放ち始めた。

 それを“痛み”と理解するよりも速く、重苦しい殺気の塊が近づくことを悟る。


「いつまで寝ているつもりだ!!」


 即座に眼を開けば、天上から迫る門番竜の姿がそこにあった。

 大きく拳を振りかぶり、一直線にヤマトの元へ飛び込んでいる。勢いをそのままに、トドメの一撃を食らわせるつもりか。


(容赦のないことだ――!)


 声は出せないながらも、胸中で悪態を吐いた。

 未だ自由にはならない身体を酷使して、必死に門番竜の拳から逃れようとする。拳の衝撃点から身体を逃し、可能な限り遠くへ避難しようとして。

 着撃。


「ぐ――ッ!?」


 大地が受け止めきれずに溢れ出した衝撃波が、寝そべったヤマトの身体を持ち上げる。次いで、再び砕けて四方八方に散らされた岩塊が身体を打ちつける。

 あまりにも至近距離。避ける術は残されていない。

 呻き声を漏らすこともできずに、身体が更に空を舞った。


「クハハッ、今度こそ捉えたぞ!」


 脂汗と血が滲み、何が起きているのかを定かに掴み切れていない。

 それでも全身を巡った悪寒のままに、刀を持ち上げて身体の正中線を庇った。

 暗滅した視界が回復した瞬間、拳を振りかぶった門番竜の姿を認識する。


「砕けろッ!!」


 迷いのない正拳突き。

 直撃することを微塵も疑わず、ただ愚直なほどに威力を高めることに専心した一撃。直撃すれば――いや掠めただけでも、腕や脚の一つが吹き飛んでもおかしくない。

 正しく、決定打たるに相応しい一撃。

 だが。


(これは、好機か)


 度重なる衝撃でネジが飛んでしまったのか。

 白く霞む頭の中で、そんな思考がふとよぎった。

 誰の眼でも明らかに必殺の一撃で、ゆえに門番竜も勝利を確信している。だからこそ、つけ入る隙がある。


「こ、の……!」


 自由の利かない身体に鞭打ち、無理矢理にその角度をズラす。

 刀の位置はそのままに、そっと握り方を変えた。


(ここで、決めるしかない!)


 世界の時の流れが緩やかになる。

 そんな中でも知覚し難いほどに速い拳を、片時も意識を逸らさないままに刀で受け止めて。


「『柳枝』――」


 押し寄せる暴虐を受け入れ、飲み込み、傾け、受け流す。

 一手間違えれば全身が砕けるほどに強大な力を、針に糸を通すような繊細さをもって制御する。万が一にも身体の中で威力が爆発してしまわぬよう、五体を総動員して力を循環させる。

 そして、次手。


「『斬鉄』ッ!」


 身体に飲み込んだ力を、再び刀に結集させた。

 己が持っていた力に加えて、拳のインパクトを通じて伝わった門番竜の力を乗せる。元来より神速の名を冠するに相応しい斬撃は、ヤマト自身が捉えられないほどの鋭さとなって振り抜かれ――


(くそ、制御できない!?)


 荒れ狂う刀の切っ先を鎮めることができない。

 門番竜目掛けて振るったはずの刃だが、その軌道を大きく乱して空を切った。

 圧倒的な力ゆえに触れたもの全てを断つだろう一撃だが、当たらないことには意味もない。――それでも、門番竜の意表を突くことはできたようだ。


「ぬおっ!?」


 如何に強靭な竜の身体とはいえ、その斬撃を受けるのはマズいと直感したのだろう。

 驚愕の声と共に、門番竜は大きく後退った。


「まさか、切り返してくるとはな。驚かされたぞ」

「……よく言う」


 称賛の言葉を口にする門番竜。その瞳には、確かに言葉通り驚嘆の色が浮かんでいた。

 ひとまず場が収まったところで、ヤマトはゆっくり体勢を立て直す。


(くそ、想定以上に負担が大きい)


 外には出さないものの、心の中で溜め息を零した。

 身体の節々は悲鳴を上げているし、骨が鉄棒に変わってしまったかのような疲労感が全身を包んでいた。傍目に流血をしていないから軽傷に見えるが、刀を握る力もずいぶんと頼りないものにまで減じてしまっている。

 無理無茶無謀を通した代償と思えば、それでも軽いものかもしれない。だが、それを放ったはずの門番竜がケロリとした顔をしていることには、今一つ納得し難いものを覚える。

 憮然とした面持ちのヤマトに気がついてか、門番竜は気安く構えを解いた。


「さて」

「む」

「まだ、続けるのか?」


 既に満身創痍であることを見抜くような言葉。

 それに甘えたいという弱音を自覚しながらも、己の意地っ張りな部分が怒声を上げるに任せて、ヤマトは刀を正眼に構えた。


「吐かせ。まだお前を斬れていない」

「ククッ、強がるな強がるな」


 煽るような物言いながらに、門番竜もヤマトに応じて拳を構えた。

 存外に懐が深い門番竜への感謝。圧倒的な力を見せつけられたことへの不甲斐なさ。見返さねば気が済まないという反骨心。そして、更に続く激戦への気後れ。

 それら諸々をまとめて飲み込み、ヤマトは門番竜へ再び踏み込んだ。

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