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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
竜の里編
272/462

第272話

 遠方から見た際にも感じられた、触れる者を拒まんとする刺々しい岩山。

 その印象は間近に迫っても減じることなく、むしろ二割増しの鋭さを周囲に振り撒いているようであった。迂闊に踏み込んだならば、その頑強な岩肌によって身を裂かれてしまいそうだ。


(もっとも、その最たる要因は“こいつら”にあるのだろうが)

『この地へ何をしに来たと問うているぞ、人間』


 嘆息を腹の内で押し留めたヤマトの頭上から、重厚な声が響いた。

 普通に人が発声するのとは少し違った音の響き。シュルッと何かが擦れる音の混じった声だが、文言を聞き違えるようなことはない。相手に惚けることを許さない剣呑な響きが、その声からは滲み出ていた。

 妙に強腰な態度に内心で首を傾げながら、ヤマトは顔を上げた。


(――大きい)


 相手を目の当たりにした率直な感想は、その一言に尽きた。

 大地に伏す岩々をも砕く、強靭かつ獰猛な四肢と爪。全長数十メートルにも至る巨躯は分厚い鈍色の鱗に覆われており、並の刀剣では傷をつけることすら叶うまい。彼らが魔物の一種であることを誇示するかの如く、雄々しい牙が姿を覗かせる。その他方、深淵までを見通す叡智を宿した瞳が穏やかな光を放っていた。

 竜種。

 この地に住む者全てが例外なく認めるであろう、大陸最高の生物種。

 その中でも指折りの力を宿しているだろう個体が、双眸を鋭く尖らせてヤマトを睥睨していた。


(さしずめ門番竜か。流石の威圧だ)


 ふと気を抜けば震えそうになる心胆を鼓舞し、真っ直ぐに竜の眼を睨み返した。

 この地に来た目的は偵察と交渉にある。そう何度も繰り返すものの、自ずとヤマトの眼には闘志めいたものが灯り始めていた。


「近頃、大陸の竜種が騒がしいという噂を耳にした。俺は、その真偽を確かめに来た」

『ほう? ただそれだけのために、わざわざこの地へ?』

「備えはしていた。それだけのことだ」


 彼(?)の言う通り、ただ噂の真相を確かめるために来訪するには、この北地という場所は過酷がすぎている。

 年中降り止まない吹雪が荒れ狂い、それに適応した獰猛な魔獣が闊歩する。加えて魔王軍が氷雪に紛れて潜伏しており、ヤマトのような人間がうかうかと踏み込めるような場所でないことは明らかだ。

 そのことを問う言葉に首肯を返せば、鈍色の竜は深く思案するように天を仰いだ。


「俺は目的を果たせたならば、速やかに立ち去ることを約束しよう。無論、その間の監視もしてくれて構わない」

『……その目的とは?』

「あなたたち竜種の目的が何なのか、見定めること。もしその矛先が魔族たちに向いているのならば、取り止めるよう説得をさせてもらう」

『生意気な』


 グルルッと竜が喉で唸ると同時に、嵐の如き気迫の波がヤマトの全身を叩きつけた。

 思わず数歩後退りかけたところで、懸命に堪える。


『矮小な身でありながら我らを悟ろうなど、思い上がるなよ人間。貴様の眼と言葉で、我らが動じると思うてか』

「さて。だが、試さなければ絶対に叶わないことだ」

『ククッ、やはり人は口が回る』


 竜が元々凶暴であった顔を更に厳つくさせ、鋭利な牙を剥く。喉奥からは紅炎の輝きが煌めき、ほんの気まぐれで自らの命が消し飛ぶことを、ヤマトに否応なく理解させていた。

 相手の意向一つで命が左右される。久しく感じたことのない経験だ。


(堪えろ)


 メラリと立ち昇ろうとする闘志の炎を、胸の奥底に封じ込める。

 先にアナスタシアと打ち合わせた通りだ。ここには交渉へ来たのであって、争いに来た訳ではない。ならば、不必要に闘志を見せて刺激することもないだろう。

 そう判断したヤマトに対して、門番竜はヤマトの内心を見透かしたかのように唸り声を上げた。


『隠そうとて無駄なこと。それに貴様が意気高揚としていることなど、我が気にすることでもない』

「……そうか」

『クククッ、一丁前に生意気な眼をする』


 門番竜は呑気に笑い声を上げるが、ヤマトとしては冷や汗ものだ。

 竜の一挙手一投足に心臓がドクリと跳ねていることを自覚しながら、黄金色の眼を睨む。


『そう急くでない。通さないとは言っていないだろうに』

「なに?」


 予想だにしていなかった言葉。

 思わず耳を疑って聞き返せば、門番竜は爬虫類独特の眼を僅かに細めた。


『本来であれば、そなたもこの地に入ることは叶わない。我らが里が如何なる状況にあろうとも、人と竜とが縁を築くことは禁忌に値する』

「禁忌?」

『至高の方々がお定めになられた、我らが命を徹して守るべき掟よ』

「至高の竜種が定めた掟……」


 竜の里を発見した大冒険家が伝えた、悠久の時を生きてきたという伝説の竜種。

 その力は大陸全体を変動させるほどに絶大であり、ゆえに滅多に人前には現れない。その存在を疑問視する声は少なくないが、この門番竜の言葉を聞く限り、彼らは間違いなく竜の里に君臨しているだろうことが伺えた。


「その掟はかなり重いものなのだろう? ならば、なぜ俺を追い返さない」

『我が本分からすれば、それこそ道理。人が入るなどあってはならない。――だが、何事にも例外があるらしくてな』

「例外?」


 門番竜の言っていることが理解できず、そのままに首を傾げる。

 そんなヤマトの反応にもさもありなんと首肯してから、門番竜は重々しく口を開いた。


『先日、我らが里に客人が訪れた』

「客人だと?」

『華奢な女子よ。肝っ玉こそ見上げたものであったが、それ以外は変哲のない』


 魔王軍の者としては、ヤマトが――と言うよりアナスタシアが、唯一竜の里へ手を伸ばした人物のはずだ。自然、軍内の者が竜の里に訪れたとは考えづらい。

 だが、魔王軍の者以外がこの地に訪れるとも考えづらい。


(冒険者か? だとしても、今の情勢下で北地に来る者などそうはいないはずだが)

『我としては、そやつも追い返すつもりでいたのだがな。何やら特殊な縁を感じるということで、至高の方々がお許しになったのだよ』

「それは……」

『あの方々の考えを問うても無駄だ。我とて知ったことではないからな』


 声音から察するに、この門番竜はその決定に不満を覚えているのだろう。だからヤマトの来訪を即座に追い返そうとしないし、あまつさえ受け入れてしまおうという様子すら伺える。


(至高の竜種への意趣返しか、それとも単なる反骨精神か)


 いずれにせよ、都合のいいことに違いはない。

 そして、ヤマトがそう考えているだろうことを門番竜の方もお見通しだったらしい。ニヤリと笑みを浮かべるように眼を細めて、ゆっくりと身体を地に伏せさせる。


『しばし待っていろ。すぐに通してやる』

「……いいのか?」

『案ずることではない。定めた方々が自ら破った掟に、もはや意味などありはしない。少なくとも、我は認めん』


 なかなか過激な発言だが、ヤマトとしては納得し易い言葉でもある。

 ふっと頬を緩めれば、地に身体を伏せさせた門番竜がグッと身体を伸ばした。


『さて。人化の術もずいぶん久方振りではあるが――』

「人化だと?」

『まあ見ていろ。ぬぅんッ!』


 裂帛の声。

 竜の巨躯から放たれた濃密な気配に、思わず眉間にシワを寄せたところで。

 門番竜の姿が、一息に小さくなっていった。


「な……っ!?」

「――よし、こんなところか」


 眼を開けば、にわかには信じ難い光景がそこに広がっていた。

 鈍色の鱗を輝かせ、門番を任じられるに相応しい力を感じさせていた成竜。その姿はもはや跡形もなく消え失せ、代わりに仁王立ちする長身痩躯の男が現れた。


(人化の術。面妖なことを)


 竜が人の姿を取る術、ゆえに人化の術。だが眼の前で行われた“それ”は、ただ姿を変化させるだけの術とは言えないものとなっていた。

 言うなれば、竜を人の姿に押し込める術だ。竜種という巨躯ゆえに自然の中に溶け込めていた莫大な力が、人間の小さな身体に凝縮されて規格外の気配を放っている。


「凄まじいものだな」

「そうか? まあ、そうかもしれぬな」


 素直な称賛の言葉を受けて、人化した門番竜はクツクツと得意気な笑みを漏らした。

 竜種としての姿ならば武人として競う気概は湧いてこなかったが、人化した今の姿は、ヤマトの闘争心を無性にかき立てる。武術を修めた者独特の気配は感じられないものの、それを補って余りあるほどの力強さに溢れているのだ。


(機会があれば、手合わせ願いたいものだが)


 平和交渉を建前としている以上、今回は厳しいだろうか。

 悶々とした気分を胸に秘めたまま、ヤマトは先導する門番竜の後に続いて竜の里へ足を踏み入れた。

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