第27話
「――ふぅ」
腹を満たした幸福感に、思わず溜め息が漏れる。
「凄い食べたね……」
「いい食べっぷりだったね!」
若干引いたような様子のノアに対して、店番の少女は快活な笑みを浮かべる。
言われて見てみれば、ゴツゴツとした外皮が屋台の上に無数に積み重なっているのが分かる。正確な数は分からないが、数個で済む程度の量ではないはずだ。
「食べすぎだな。すまない、金は払う」
「いやぁ、私も調子乗って出しすぎたしね。少しでいいよ?」
見れば、少女の額に汗粒が浮かんでいる。ヤマトが次々に果実を平らげる速度に合わせて、彼女も次々に果実をかち割っていたのだろう。
食べ終えた名残を楽しむように深呼吸をしながら、ヤマトは辺りを見渡した。臭気を避けて人気もすっかり少なくなってしまったが、一部の物好きな人間は、遠巻きにゴツゴツの果実を眺めては目を逸らすことを繰り返している。
「そんなに美味しかった?」
「そうだな。始めは独特な感じがあるが、慣れれば美味い。食べてみるか?」
ヤマトの言葉に続いて少女が屋台から新しく実を取り出すが、ノアは必死に首を横に振る。そこまで忌避するものでもないと思うのだが。
「人によって好き嫌いは分かれるよね、こいつ。好きな人はとことん好きになるし、嫌いな人は絶対に食べない」
「ふむ。やはり臭いが問題か」
「けど、この臭いがあるからこそとも思うから、難しい話だね」
それは確かに頷ける話だ。
人の脳を破壊するような強烈な臭いの中にある、天国のような甘味のコントラスト。それにこそ、この実の魅力が詰まっている。
「でも、旅人さんがこれを気に入るとは思わなかったよ」
「好まれないのか」
「試食する人も滅多にいないかな」
そう言って笑う少女に、ノアは首を傾げる。
「じゃああまり売れないんじゃないの?」
「んー……、まあそうだよね」
ならば、なぜ店先に置いているのだ? というノアの視線に、少女はどこか自嘲気味な笑みを浮かべた。
「見てもらえれば分かると思うけど、こいつを扱える店は私のとこだけなんだ。珍しいものではあるから、置けば多少は売れるかなって期待してみたんだけど」
「扱えるのはここだけっていうのは?」
「簡単さ。こいつを育てている島に行けるのが、私の一派だけってこと」
今ひとつピンときていない様子のノアに、ヤマトは説明する。
「航路の情報は何よりも重い。それは説明したな?」
「うん、一応」
「この辺りには数え切れないほどの島が存在する。それこそ、国でも把握できないほどにな。だからこそ、商人が島を丸ごと所有するような状況すらも、珍しくない」
「島一つを所有か……」
「公的に認められるわけではないがな」
その島を占拠できたならば、島特産の物品を元手なしで自由に扱える。そこから生じる利益は、正しく無限の可能性を秘めている。それを見込んでいるからこそ、航路の価値は更に跳ね上がっていくのだ。
納得できたらしいノアはふむふむと頷いている。
「でもさ、その情報って独占できるものなの?」
「その価値によるな。見るからに小さな島ならば誰も狙わないが、資源の豊富な島ならば話は別だ」
島を所有しているのが明らかな大海賊ならば、手を出そうとする者も少ないだろうが。
「私らが行ける島には、こいつが呆れるほど自生していてね。ちょいと借りて売ってるってわけ」
「……ほぅ」
ぜひとも、一度は行ってみたいところだ。
自分で空にした果実の皮を眺めて、ヤマトは思いを馳せる。それとは対照的に、ノアの方は皮を見てひどく顔をしかめていた。
「名は何というのだ?」
「こいつ? ダリアの実って呼ばれているよ」
ダリアの実。
時間があれば――いや、時間を作ってでも、その島に行かなくてはなるまい。
決意を固め、舌に残る甘味の余韻を噛み締めていたところへ、その声は聞こえてきた。
「――なんだぁ? この臭いはよぉ」
「鼻がひん曲がっちまいそうだなぁ?」
「こんな臭いを出す屋台は取り壊しても、文句は言われねえよなあ!?」
聞くからに柄の悪い連中だ。
ノアと目を見合わせたヤマトは、屋台からそっと離れる。
「またあんたたちか。いつも飽きないねぇ」
「なんだその生意気な態度は?」
見れば、店番の少女に絡んでいるのは三人の男だ。痩せぎすで長身の男、がっしりとしているが短身の男、リーダー格らしき中肉中背の男。
それなりに物騒な雰囲気ではある。
「毎日毎日ご苦労さまって言ってるんだよ。で? 今日は何か買っていくのかい?」
「はぁ!? 買うわけねぇだろ!」
「なら失せな。暇人の相手をするほど、私は暇じゃないんだ」
急速に緊張感が高まる。
そんな中、男たちの一人――リーダー格の男が、ノアに目をつけたことに気がつく。
「なんだ売り子でも雇ったのか? ずいぶんな別嬪さんじゃねぇか」
「あっ、おいこら!」
少女の制止の声を聞かずに、男はノアに近づいてくる。
思わず溜め息が漏れる。ノアの表情を伺えば、ニヤニヤと楽しそうに笑みを浮かべていた。その目がヤマトの方を見やる。
「そこまでにしてもらおうか」
「おうおう? なんだ兄ちゃん、俺たちとやろうってのか?」
「ひゅーっ! 格好いいねぇ!!」
「ただまあ? 相手は選んだ方がいいよなぁ?」
三人はやたらと囃し立てる。
そんなに自信があるのかと男たちを観察する。喧嘩慣れしたチンピラ程度にしか考えていなかったが、その動きは僅かながら武をかじっているようにも見える。とは言え、それも僅か程度。本格的に修練した者とは比べ物にはならないレベルでしかない。
そんな半端者が切り抜けられるほど、この街の暗部は浅くなかったはずだが。
子供同士の喧嘩で勝てて調子に乗ってしまった類だろうか、と適当に当たりをつける。
「問答は面倒だ。来るなら来い。去るならば早くしろ」
「はぁ!? そこまで遊びたいなら、遊んでやるよ!!」
短気そうな長身の男が叫んだ直後、短身の男が無言のまま突っ込んでくる。
音も気配も隠そうとはしていない、素人丸出しの動きだ。三人とも成功を確信しているのか、ニヤニヤと薄い笑みを浮かべている。
「……はぁ」
面倒だ。
未熟者であろうとも、武人であるならば挑戦は歓迎する。だが、武の心得を何一つ掴んでいない者をあしらったところで、得るものはない。
溜め息をつきながら、一歩身体を横にずらす。
すぐ真横を通り抜けていく男の足を払い、その場に転がす。音を立てて倒れ込んだ男の腹を軽く足で押さえてから、残り二人を睥睨。
「何を笑っている。早く来い」
「な……っ!?」
一瞬だけ額に青筋を浮かべたものの、すぐにヤマトの足元に転がっている男を見て、二人は青ざめる。
このくらいでいいだろうか。
腹を押さえていた足を除けると、短身の男は咳き込みながら立ち上がり、仲間の元へ戻っていく。
「もう一度だけ言うぞ。来るなら来い、去るなら去れ」
「……くそっ! お前ら行くぞ!!」
中肉中背の男に続いて、三人組はヤマトたちに背を向ける。
その姿を見送っていたヤマトとノアに、店番をしていた少女が駆け寄ってくる。
「ごめんよお客さん! 巻き込んじゃったね」
「気にするな、不可抗力と言うやつだ」
面倒ではあったが、それ以上の何物でもない。
特に何の被害もなかったのだから、謝られても困るというものだ。
「あいつら、いつもここに来るの?」
「……そうだね、いい加減しつこくて迷惑してたんだ」
いつも追い払ってるんだけどね。と少女は肩をすくめる。
ヤマトやノアのような身元不詳の冒険者ならばまだしも、いつも決まった場所に店を開く商人ともなれば、ああした手合いの厄介さは相当なものだろう。
とは言え、疑念は残る。
「追い払うくらいはできるだろう」
「……まぁ、そういうわけにもいかない事情があってね」
少女の表情に陰が落ちる。
それを見てヤマトとノアは目を見合わせて、頷き合う。あまり深入りはしない方がいいだろう。
「そうだお二人さん。ここの街には観光に来ているんだろう? よければ街案内とかするけど、どうよ?」
少女が提案する。それで手打ちにして、これ以上の事情は聞かないようにということか。それとも、本心から巻き込んだことへの罪滅ぼしのつもりなのか。
問うようなノアの視線に頷きを返す。
「じゃあお願いしようかな。僕はこの街は初めてなんだ」
「おぉ、初見さんか! お客さん向けの見所は多いからね、どこから案内したものか」
少し考え込む少女を尻目に、ヤマトは頭上を見上げる。
太陽は空高く上り、そろそろ真上に差しかかる。刻限は真昼と言った頃だが。
少女が次に口に出す言葉を半ば直感して、ヤマトはダリアの実でそれなりに膨れている腹を擦った。