第268話
「むぅ」
「……今回は打ち止めか」
刃と盾を交えて戦うこと数十分。
いい加減に身体の疲労が無視できなくなってきた頃合いで、ヤマトとヘクトルは互いに眼を見合わせ、得物を振る手を止めていた。
『まさか、団長の盾を二つとも落とすとは……!?』
『いや。既に奴の剣は一つも残っていない。団長の勝利でいいはずだ』
『だとしても、尋常ではない腕前。流石、団長の友人というだけはある』
試合を見守っていた外野のざわめきが、空気を震わせてヤマトたちの耳に滑り込んでくる。
それらを努めて無視しながら、ヤマトは手元に残った得物に視線を落とした。
既に百合は優に越えていただろう。それほどの数を全力で打ち合わせてきただけあり、ヤマトの刀は原型を保てないほどに壊れてしまっていた。刃の部分は粉々に砕け、無事に残ったのは柄の部分だけ。
こんな有様では、とても満足に使うことはできなさそうだ。
対するヘクトルの大盾も、中央のところで真っ二つに断ち切られている。元々が全身を覆い隠せるほどであった盾だが、今や腕部を辛うじて覆っている程度でしかない。
「我はこのまま拳で戦ってもいいが、そうなれば訓練の域から外れてしまう。今回はここで止めるべきだろうな」
「そうしてくれると、俺も助かる」
素直にヘクトルの提案には頷く。
拳での戦闘となると、体格で劣るヤマトの方は分が悪い。そう簡単に敗けてやるつもりはないと言っても、あまり好ましくない戦いになることは間違いなかった。
人知れず安堵の溜め息を漏らしながら、刀を鞘に収めた。
ヤマトとヘクトル、互いが得物を下げたからだろう。辺りの空気が一気に弛緩し、自ずと頬が緩んだ。
(反省点は多いが、得難い経験をさせてもらった。感謝しなくてはな)
たかが数十分程度の戦いであったが、ヘクトルが並大抵ではない強者だったゆえに、そこから得られたものは途方もなく大きい。これを糧として鍛錬に励めば、更に力を伸ばすことが叶うだろう。
今すぐにでも鍛錬に戻りたい心地ながらも、身体の芯まで溜まった疲労がそうさせない。
思わず腰を床に下ろせば、そこから根が生えたように身体が動こうとしなかった。
(まったく情けない)
もどかしさのあまりに溜め息をそっと漏らしたところで、ヘクトルが強面に似合わない笑顔で近づいてくる姿が眼に入った。
「見事であった! 流石、“彼女”が最高傑作と言うだけはあるな」
「最高傑作か。それを期待していたならば、少し外れていたかもしれんな」
「そんなことはない。素の実力が高いことは無論、更なる伸び代も感じさせる。“彼女“の下にいるのでなければ、勧誘したかったところだ」
「そうか」
こうも正面切って褒められることは、ここ最近はなかったように思える。
何となく視線を合わせていられず、仮面の中で眼を逸らした。
微妙な雰囲気を放つヤマトに気づかないのか、それとも意図的に無視しているのか。ヘクトルは嬉しそうな顔を止めず、話を続ける。
「ともあれ、そうだな。それほどの力を持っているならば、エストであの娘と戦い、そして退かせたことも納得できる」
「……娘? あぁ、奴のことか」
首を傾げたところで、ヘクトルが誰のことを言っているのか理解した。
ノアのことだ。
確かに彼は、容貌については女子にしか見えない。わざわざ自らの素性を明らかにすることもないから、ヘクトルにとってノアは冒険者の少女という認識なのだろう。
ヤマトの見せた反応にヘクトルも小首を傾げるが、やがて表情を改める。
「うむ。敵ながら天晴、と言わずにいられないほどの腕前であった。奴ほど巧みに術を使いこなす魔族は、今の魔王軍には……ミレディくらいしかいないだろう」
「確かに、尋常ではない使い手だ。魔導術のみならず武術もこなせる者となれば、この軍にいるかどうか」
ヘクトルが名前を出した、第三騎士団長ミレディ。
察するに彼女は相当な魔導術の使い手らしいが、ヤマトが垣間見た限りでは、体術の方にはほとんど心得がないようだった。その意味で、ノアに並び立てるほどの者とは言えないだろう。
(ならば後は……クロか、ジークか)
ヤマトが脳裏に思い浮かべた二名は、共に魔王軍所属とは素直に言い難い存在だ。ゆえにヘクトルも名前を出さなかったのだろうが、魔導術と武術の両方を高い水準で修めた者となると、そのくらいしか思い当たらなかった。
(そう思えば、相当な逸材だったのだな)
今更ながらに、元相方がどれほど常識外れな存在だったかを思い知らされる。
誇らしい気持ち半分、それに至らない己への不甲斐なさ半分。
仮面の下で形容し難い表情を浮かべるヤマトだったが、ヘクトルはそれに気づく様子もなく言葉を続けた。
「ゆえに、あの娘と渡り合ってみせた主には興味があったのだ。こうして手合わせをして、理解することもできた」
「……渡り合ったとは言っても、手加減はされていただろう。途中で戦いが区切られたから、辛うじて拾えた命だ」
「であろうな」
あっさりと頷いたヘクトル。あまりにあっさりとした様子に、不甲斐なさより先に清々しさが浮かんだ。
耐えられずに笑みを零せば、ヘクトルは慌てて取り繕うように言葉を続けた。
「我も奴に苦汁を舐めさせられたから、奴の強さは理解している。だから――」
「構わない。己の未熟さは、己自身がよく知っている」
長らく並び立っていたつもりでいたが、現実にはノアに先を行かれてしまっている。
そのことは既に受け止めているし、今更文句を口にするつもりもなかった。
(とは言え――)
そのリードを、今後も許し続けるつもりは毛頭ない。
また会ったときには再び並び立てるように――むしろ後ろに置いていくくらいの気概で、鍛錬に励む必要がある。ノアの度肝を抜くくらいのことはしてやらなくては、胸中の燻りが鎮まることはないだろう。
ふつふつと湧き上がった闘志に任せて、重い腰を持ち上げた。
「得物がなくては、手合わせもできないからな。俺は一足先に切り上げるとしよう」
「そうか? ならば、見送るとしようか。――いつまで手を休めているつもりだ! 組手を始めろ!」
手合わせが終わってから、鍛錬の手を休めて和気あいあいと歓談に興じていた騎士たちへ、ヘクトルが大声で指示を飛ばす。
それに慌てて従う騎士たちを尻目に、ヘクトルはニヤッと不敵な笑みを浮かべた。
「行こうか」
「あぁ」
先導するヘクトルの背を追って、訓練場を後にする。
宿舎の窓口で待機していた男に会釈してから、ヤマトは部屋から廊下へと出た。
(そうか。また長い道を歩かねばならないのだったな)
ポツポツと仄かな光を出す照明が並ぶばかりの、人気がなく長い通路。そこに住まう者ですら全貌を把握できないほど、複雑に入り組んだ回廊。
ここまで来た際に苦労させられたことを思い出して、どんよりと気が重くなる。
そんなヤマトの内心を悟ってか、ヘクトルは顔に浮かべた笑みを深めた。
「ではな。帰り道は分かるだろう?」
「……あぁ、世話になった」
嫌味のつもりか。
仮面の中でジトッと湿度のこもった視線を向けてから、小さく溜め息を零したところで。
「――そういえばお主、名は何という?」
「む」
名乗っていなかっただろうか。
そう首を傾げかけたところで、思い直した。
(人であることを隠していたからな。名乗らなかったのだったな)
魔王軍の下、アナスタシア一味として活動していく上で、ヤマトが人であることを悟られるのはマズい。そんな事情だったはずだ。
名乗らずにやりすごそうかと思案するが――ヘクトルの眼を見て気が変わった。
「ヤマトだ」
「ほう。ヤマトか」
興味深そうにヘクトルは頷いた。
何事かを躊躇うように視線を彷徨わせてから、ゆっくりと口を開く。
「なあヤマト。“彼女”は――アナスタシアは、危険だ。目的のためならば他を顧みず、容赦なく犠牲にしようとする。ああした者は得てして強烈な輝きを放つが、同時に、すぐ消え失せる定めにある」
「………」
「他というのはヤマトも、アナスタシア自身も例外ではない。目的を果たすため己をも犠牲にできる、そんな女」
「それは、勧誘のつもりか?」
ヘクトルの言わんとすることは理解できる。
その内容と、裏に秘められた彼の心情を理解した上で――ヤマトは茶化すように口を開き、首を横に振った。
「諸々の覚悟は既に定めている。悪いが、今更何を言われても揺らぐつもりはない」
「……そうか」
魔王軍という立場から身を案じられるというのは、なかなか経験できることではない。
珍しい感覚に何とも言い難い心地になりながら、ヤマトはヘクトルに背を向けた。
「ではな。また機会があれば、ここに来るとしよう」
「あぁ。そのときを楽しみに待つとしよう」
騎士団長としての顔を捨て、一介の男として友人を見る顔になるヘクトル。
その視線にむず痒さを覚えながらも、ヤマトも応じるように軽く腕を上げた。




