第267話
現魔王軍のトップに立つ者は誰か。
そんな問いを投げ掛けられたとき、その答えは魔王軍内でも様々に分かれてしまう。
ある者は「魔王である」と答えるだろう。彼は事実として軍の指揮権を有しており、その一存によって軍全体を動かすことが可能だ。
ある者は「ヘルガである」と答えるだろう。第一騎士団長という肩書きを背負う身ながら、彼はその高すぎる実力によって魔王の支配を跳ね除ける。実力という面を取り出すならば、間違いなく魔王軍随一。
その二者共に、筋の通らない意見という訳ではない。だが現実には、それよりも大多数によって支持される意見があった。
「準備はできているかぁ?」
「……あぁ。問題ない」
続く思考の連鎖を断つ大声に、ヤマトは我に返って顔を上げた。
第二騎士団の訓練場。ヤマトから十メートル離れた場所に、戦意で瞳を爛々と輝かせるヘクトルが立っていた。その身から溢れ出す意気の高まりは、エスト高原で出会ったときのことを彷彿とさせる。
(手強い。相手にとって不足はない)
分かりきった事実だが、改めて心に刻む。
第二騎士団長ヘクトル。実力名声共に魔王軍トップクラスの男であり、彼こそが魔王軍の頂点に立つ存在。四つある騎士団の一角にすぎないながら、軍内ことごとくを心酔させるカリスマの持ち主。
そんな雲上人と、模擬戦であっても手合わせする機会に恵まれたことは、ヤマトにとってこの上ない幸運と言える。
(全力で臨むとしよう)
出し惜しみをして敗けてしまうのは、悔やんでも悔やみ切れない。
同等の相手――否、格上の相手と刃を交えるような心構え。腰から下げた刀に手を掛け、そっと腰を沈めた。
「団長! 彼は真剣を使うようですが……」
「問題ない。我も奴も、手を止め損ねるような腕ではないからな」
案じるような兵士の声を一蹴し、ヘクトルも構えを取る。
「―――」
「―――」
糸を張るように、緊張感が高まっていく。
ビリビリと肌が痺れるような感覚を覚えながら、ヤマトはヘクトルの得物に視線を投げた。
(両盾。防御偏重――否、攻撃は自前で充分という判断か?)
その一枚だけでも、ヤマトの背丈を覆い隠せてしまえるほどの巨大な盾。それを両腕それぞれに備えながら、まるで重さを感じさせない構えをしてみせるヘクトル。
急速に高まる闘志の渦を自覚しながら、立ち姿へ入念に視線を投げる。
(硬く、大きく、分厚い。斬るのは難しいか)
圧倒的な斬れ味を武器とする、極東の刀。
それをもってしても斬れるように思えないのだから、ほとほと常識外れな得物だ。その分だけ扱い辛くなっているとしても、ああもこなれた構えを取るヘクトルにとっては、大した問題ではないのだろう。
考えるだけで闘気が萎えるようだが、大盾を攻略しないことには勝ち目も望めない。
「いざ」
己を叱咤する意味も込めて、一声。
それに応じてヘクトルも腰を沈める。元々強固な要塞ほどにあった防御力が、相対するだけで威圧されるほど凶悪なものへ変じた。
(まずは一当て)
スルリと音を立てて、鞘に秘められた白刃が晒されていく。
光に煌めき存在感を放つ刃。それと反対に、ゆっくりと刀を抜きながらヤマトは気配を薄めた。
「ふっ」
脱力と共に、踏み込み。
加速度的に辺りの眼を惹く刀を置き去りに。誰にも悟られないままに二歩を進めてから。
駆ける。
「シ――ッ!!」
「―――っ!?」
刀から放たれる反射光で視線を誘導し、死角から間合いを詰める技。名をつけるほどでもない詐欺紛いの小細工だが、ゆえに人の眼を欺くことには長けている。
ヘクトルからは、ヤマトが一瞬の内に数メートルもの距離を詰めたように見えたことだろう。事態が急変する中で、彼我の間合いを測り損ねたことの意味は大きい。
「小癪な!」
苛立ちの中に歓喜を混ぜて、ヘクトルは吠えた。
左腕の盾を眼前に、右腕の盾を腰溜めに置いた迎撃の構え。
(生半可な刀であれば、容易く折られるだろうな。だが――)
ただ守りを固めているだけだというのに、薄ら寒いものを感じずにはいられない。
そんなヘクトルの鉄壁を眼前にして、ヤマトが頬に浮かべたのは笑みだ。
「俺の刀を、止めてみせろッ!」
抜刀と同時に上段へ。駆ける勢いをそのままに、全身の膂力を刃に込める。
対するヘクトルは微動だにせず、真正面から斬撃を受け止めようとしていた。
(その意気やよし)
ならば正面から、その自信を打ち砕いてみせよう。
上段から更に大上段へ。攻撃にのみ専心し、他所のもの全てを視界から排する。胸の内に描くは、不可避ゆえに必殺の一撃。
「『斬鉄』」
一閃。
頭上から振り下ろされた閃刃は、それが光として認識された瞬間には盾に到達する。
鋼鉄の刃がヘクトルの大盾に吸い込まれ、そしてその縁を斬り裂き――黄金色の火花が散る。
「ちぃっ!」
「ぐっ!?」
ヤマトの舌打ち、そしてヘクトルの呻き声が同時に漏れ出た。
半ば忘我の境地の中で刀を引き払えば、無数の火花と共にけたたましい金属音が放たれる。刀身が岩の内に飲まれたかのような重い手応えだが、無理矢理に振り切って。
「ぉぉおおッ!」
不意に、手の内の感覚が軽くなった。
荒々しく息を零し、それでも隙を突かれないよう飛び退る。ほとんど触れるほどに近かった間合いを一気に五メートルほどに離してから、手元の刀に視線を落とした。
「……これは……」
思わず眼を剥いた。
ここ最近のヤマトが得物としていた刀は、アナスタシアに言って作らせた特注品だ。本来の武器である斬れ味をある程度代償に、極端なまでに耐久性を高めた品。鋼鉄の両手剣と打ち合ったところで刃こぼれすらせず、少々どころか相当に乱暴な扱いをしても耐えられる逸品になっている。
そんな刀が、刀身半ばのところでポッキリと折れている。
(嫌な手応えはあったが、まさか折られるとは)
ヘクトルの盾がただ硬かったというだけならば、刃こぼれをしても折られることはなかったはずだ。
それが、こうも見事に折られた理由。それは一瞬の交錯の内に、ヘクトルも負けじと力を振り絞っていたことにあるのだろう。
だがヘクトルの方も、そうまでした代償を負うことになっていたらしい。
「ふははっ、よもや我が盾を断つとは」
一見して何の問題もなくそびえ立つ大盾。
だが豪快な笑い声が辺りに響いた瞬間に、大盾の表面に薄っすらと亀裂が浮かび上がる。加速度的に亀裂は深さを増していき、そして真っ二つに分かれた。
大盾が地響きと共に倒れる。中途半端に左腕で残った盾の残骸を払い落としながら、ヘクトルは快活な笑い声を上げた。
「見事見事! 我が盾を正面から破ってみせた者は、ヘルガに次いで主が二人目だな」
「ただ盾を斬っただけだ。これではな」
「そう謙遜するものではない。まだ我が身が無事とは言え、盾の片割れが失われたことは事実なのだから」
そうヘクトルは告げるが、ヤマトからすれば到底満足のいく結果でないことに違いなかった。
唯一の得物である刀を失った代わりに、ヘクトルの武器を片方失わせただけ。この交換は等価とは言えない。ヤマトに分の悪いやり取りだ。
(ヘクトルの力量、そして盾の硬さを見誤ったことが原因か)
知らず知らずの内に、ヘクトルのことを見くびる自分が――あるいは刀術の腕前に驕りを抱く自分がいたのだろう。そうでなければ、頑丈に作ったとはいえ元が脆い刀を、鋼鉄の塊へ安易に打ちつけようという考えは浮かばないはずだ。
まだまだ未熟と、自分を戒めること数瞬。
(まだ勝負は終わっていない)
気を取り直し、腰の右側――いつもとは逆の側から下げた予備の刀を抜き払う。
顔を上げれば、ヘクトルの方も闘志の炎を絶やさず燃やしていることが伺えた。視線が合うと、無意識に口端が釣り上がる。
「……行くぞ」
「来い。これで終わらせては、我も落ち着けぬからな」
思うことは同じらしい。
互いに似た笑みを浮かべながら、再びヤマトとヘクトルは向かい合った。




