第265話
純白の実験室。
床に立って沈黙していた機兵の眼に、ピカッと光が宿った。
『戦闘態勢へ移行。モード銃撃、開始します』
男女の区別もつかない機械音声が流れた後、直立不動を保っていた機兵がゆっくりと動き始めた。
相変わらずの、生気を一切感じられない不自然な動作。それを睥睨しつつ、黒髪の青年――ヤマトは刀を正眼に構える。
「いざ」
整息。
短く呼気を吐き、胸の内に静寂を描いた。
『―――』
「―――」
相対は一瞬。世界が時の流れから切り離されたような錯覚は、機兵の指が銃の引き金を引く音に破られた。
マズルフラッシュ。白光が閃き、音を置き去りにして銃弾が放たれる。人の身体では避けようのない、緻密に計算され尽くした暴虐の嵐。
「ふっ」
僅かに気迫を漏らしながら、刀を振り抜く。
一息にて四閃。それを八つ重ねる。ほとんど同時に放たれた三十二の斬撃が、急所を狙い澄ました弾丸を斬り捨てた。
残りの弾丸がヤマトの肌を掠めていくが、致命ではない遊戯にかまける暇はない。膝を軽く折り曲げ、床を踏み締める足裏に力を溜める。
『対象の生存を確認。続けて銃撃を――』
「遅い」
言い捨てて踏み込む。
即座に迎撃で放たれた弾丸は、盾のように構えた白刃で弾き返す。魔獣の一撃に匹敵する衝撃に顔をしかめるが、足は止めない。
切っ先がわずかに触れる程度の間合いまで肉薄、刀を腰溜めに構えた。
『対象接近。モード近接へ移行します』
大仰な銃火器を構えていた機兵が、何の躊躇いもなく得物を捨てる。代わりに腕から鋼の刃が飛び出し、ヤマト目掛けて突き出された。
「相変わらず容赦のない」
機兵の狙いは右肩。急所を貫いたところで斬撃は止まらないが、肩を破壊すれば刀を握れなくなる。
滲み出る設計者の辛辣さに毒づきながら、ヤマトも動きは止めない。先程まで巧みに銃火器を扱っていたとは思えないほど、鋭くブレのない刺突。その切っ先から目を逸らさず、機を見計らって刀を跳ね上げた。
「シャッ!」
衝突した鋼が悲鳴を上げる。黄色い火花が無数に散り、ヤマトの頬を焦げさせる。
咄嗟に目蓋を閉ざそうとする本能を御し、突きを外して体勢を崩した機兵の影を睨めつけた。
(この程度では、そう斬らせてはくれないか)
一見して隙だらけで無防備な姿だが、その裏に幾分かの余裕が秘められていることが見て取れた。
迂闊に斬り掛かっても、容易く対処され、逆に窮地に立たされることだろう。一撃必殺を信条とするならば、そのような愚は避けなければなるまい。
「ならば」
刀の柄から左手を剥がした。
ヤマトを誘うように横っ腹を晒している機兵目掛けて、姿勢を崩さずジャブ。
「ふっ」
『―――』
それ一つでは、とても脅威とは呼べないほどの軽い打撃。それでも直撃したならば、軽く体勢を乱す程度のことはできる。
繰り出された拳に対して、機兵が取った選択肢は迎撃。グルンと鋼の胴を大仰に捻り、拳を避けつつ腕の刃を薙ぎ払う。
(やはり反応するか)
読み通り。ゆえに、機兵の反撃に対する手段も講じてある。
空を裂いて襲い来る刃に対して、頭上から刀を振り下ろした。並の刀ならば到底使えない手だが、異様なほど硬い刀であれば、その手も有効打になり得る。
「ぬんッ!」
刀が折れる心配はない。すなわち、斬撃に迷いは浮かばない。
躊躇いなく振り下ろされた刀は、機兵の刃へ吸い込まれるように衝突した。金属音が鳴り響き、黄色い火花が再び空を舞う。
『腕部ブレードの破損を確認。後退を――』
「させん」
抑揚のない機械音声を響かせながら退こうとする機兵。
その身体を追って踏み込んだヤマトは、幾分か痺れる腕に喝を入れ刀を振る。
度重なる衝突にも歪まない鋼鉄の刃は、隙を晒した機兵の胴へと吸い込まれ――
『――棄却。脚部ブレードを展開』
「くっ!?」
本能が警鐘をかき鳴らした。直感に従い、即座に飛び退る。
直後、ヤマトが一瞬前までいた空間を白刃が斬り裂いた。その根本を見れば、刃は機兵の踵から生えていることが分かる。
「くそ、またやった」
自分の身が無事だったことに安堵の息を吐く暇もなく、後悔の念が脳裏にひしめいた。
まだ未熟。口では“一撃必殺”を謳いながら、現実にはかくも浅はかな動きばかりを繰り返していることが情けない。一人前面していた過去を蹴飛ばしたくなる。
口内に苦味がいっぱいに広がるが、それを味わう暇もなく機兵は眼を明滅させた。
『対象の静止を確認。続けて無力化を行います』
聞き届ける間もない。
機兵は両腕両足から四つの刃を生やし、加えて肩に担ぐような格好で銃を装備した。まともな思考の者が作るとは思えない。ただ眼前の敵を殺すという、殺意に溢れた姿。
『殲滅を開始します』
「ちっ!」
舌打ちと共に、脳裏に渦巻いていた暗い思念を捨て去る。
ヤマトが動くよりも一足早く、機兵の肩の銃が火を吹いた。先の弾幕に比べれば薄いものの、直撃して無事でいられるとは到底思えない。
「シ――ッ!」
思考の前に身体が動く。直感で危険を悟るに任せて刀を振るい、刃で銃弾を斬り捨て――手が足りない。
(間に合わない!?)
超至近距離ゆえに、刀一つでは手が回り切らない。
己の失態を後悔する間もなく、銃弾が身体を捉え始めた。何とか急所だけは守り抜くも、それ以外の弾丸はヤマトの身体を掠めていく。
不利を悟って後退る暇もない。機兵は弾丸を吐き出しながら前進。肩の銃座はそのままに、両腕の刃を振り上げて。
『これでチェックメイトです』
「ぐ……」
喉元に刃が突きつけられる。
思わず呻き声が漏れ出たところで。
――辺りに、けたたましいブザーが鳴り響いた。
『いやぁお疲れさん。テストは成功みたいだな!』
「……そのようだ」
拡声器を通じて、歓喜を隠そうともしないアナスタシアの声が響き渡った。
途端に溢れ出す疲労感のままに、ヤマトは思わず溜め息を漏らした。
『これまでの機体はどれも壊されてきたからな。ようやくスカッとしたぜ』
「そうか」
少なからず癪に障るが、努めて表に出さないようにする。
素直に首肯すれば、機兵がゆっくりと刃を引き始めた。戦闘時の激烈さが嘘のような、穏やかな動作。数歩後退してから、その場に跪くように膝を折り畳み、眼の光をふっと消失させる。
(敗けか)
ここ最近は敗北が重なっている気がする。
理由もなく叫びたい衝動に駆られながらも、グッと堪えて納刀。吐息と共に肩の力を抜いた。
『で、どうだったよ今回の新型は。欠点とかはあったか?』
「そうだな――」
目先の成功に満足せず、貪欲に改良を重ねようとする。
ある意味で己に厳格と言えるアナスタシアに感嘆しながら、軽く戦闘を思い返した。
「戦闘面に不足は感じられない。だが、初めから全力を出させておけばよかったのではないか? 力を温存させる意味もないだろう」
『初めから全部を晒していたら、相応の戦術を取られるからな。ここぞという場面で力を発揮させるからこそ、最大限に活かせるって話だぜ』
「……そうか」
少々他人事のように話すアナスタシアに違和感を覚えたが、すぐに忘れさせる。
現実に、ヤマトはその策略にまんまと引っ掛かったのだ。称賛こそすれど、あれこれと文句をつける権利はない。
「わざと音声を聞かせているのも、相手の思考を誘導するためか」
『おうよ。信用ならないと頭で理解していても、身体は敵の言葉にも踊るものだからってことでな』
それは、ある意味では機兵ならではの戦術になるのだろう。
感情と言葉が少なからず結びついている人間では、息を吸うように嘘を吐きながら戦うという真似は、もはや不可能に近しい。余計なことを考えていれば、その分だけ身体の動きが鈍ってしまう。
他方で、機兵ならばそうした弊害は生まれない。音声はただ機能として吐き出しているだけであり、そこに身体の動きを鈍らせるようなものは何一つ含まれていないからだ。
理屈として、その合理的な戦術に納得する。感情では「汚い」という思いを拭えないが、努めて意識しないようにした。
『他にはどうだ?』
「……いや。今すぐに思い浮かぶのはこのくらいだ。最後の形態としばらく手合わせすれば、また何か浮かぶかもしれんが」
『それはまたの機会に、だな』
テストとは言え、実戦同様の動きをした後なのだ。機兵のメンテナンスをしなければならないのだろう。
それに、ヤマトの方にも“やらなければならないこと”がある。
『つき合わせて悪かったな。そろそろ時間だろ』
「そのようだ」
ここに時計はないが、何となくの頃合いは身体の感覚で分かる。
想定以上に戦える新型機兵に心惹かれるものはあるが、先約は守らなければならない。名残惜しい気持ちを押して、沈黙する機兵から視線を剥がした。
『何か必要なものはあるか?』
「……刀を数本。予備が必要かもしれん」
『物置きに入れといてあるから、適当に持っていけ』
微妙に雑な扱いだが、既に慣れたものだ。
ふっと息を漏らして実験室を後にしようとしたところで、アナスタシアの声が再び響いた。
『そうだ。後で話があるから、用事が済んだら声を掛けてくれ』
「話? 今なら聞けるが」
『後でいいさ。立ち話程度で済むものでもないからな』
小首を傾げるが、ひとまず頭の片隅に仕舞い込んでおく。
「後でいい」と言っているのだ。緊急の案件という訳でもないのだろう。
「了解した」
『そんじゃ、堅物野郎によろしくなぁー』
ブツッと音を立てて、拡声器のスイッチが切られる。
それに思わず苦笑いを浮かべながら、ヤマトは約束の相手――第二騎士団長ヘクトルの元へ、足を運んだ。




