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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
開戦編
262/462

第262話

「これは……」

「残念、時間切れか。向こうの決着がついたみたいだね」


 鉄錆の匂いが混じった風に乗って、血気盛んな鬨の声が響いてきた。

 ジクジクと痛みを訴える右肩を無視して見やれば、遠い曇天の下に、放たれた炎の赤い光が散っていることが分かる。


(ヘクトルは勝ったのか)


 あれほどの将が戦場へ赴き、敵地にて玉砕したとは考えづらい。自然、魔王軍が辛くも勝利を収めただろうと予想できた。

 その見解はノアの方も同様だったらしい。ふっと息を吐くと同時に身体の闘志を霧散させ、筋肉の緊張を解す。


「それじゃあ、僕も退散しようかな。軍と鉢合わせると面倒なことになりそうだし」

「……そうだな。それがいいだろう」


 道理に則るならばノアの足留めをするべきなのだろうが、それは芸がない。手元の折れた刀を放り捨てて、深々と溜め息を漏らした。


「これからどうするつもりだ」

「さて。何のプランもないけれど、ひとまず南に戻ろうと思うよ。ヤマトのことをヒカルたちに伝えておきたいし。その後は……流れに身を任せて、って感じかなぁ」

「気楽なことだな」

「まあね。ヤマトもついてくる?」

「いや、遠慮しておこう。ここにいた方が面白そうだ」


 風雲急を告げる大陸情勢とは裏腹に、自由気ままに動くという気楽さ。それは少し羨ましくもあるが、ヤマトには成し遂げたいことがある。今ここを離れてしまうのは、不義理どうこうを言うよりも前に、面白くない。

 その言葉に嘘がないことを察してか、ノアは呆れたような笑みを浮かべた。


「そっか。まあ確かに、そうした方がヤマトらしいかもしれないね」

「……俺らしいか?」

「うん。初めて会ったときのヤマトだったら、そうするだろうから」


 ノアと初めて出会った頃。すなわち、極東を飛び出して武者修行の旅を続けている最中のことだ。当時のヤマトは世の道理をわきまえず、ただ己の可能性を信じて闇雲に刀を振り回していた。無駄に自信満々に、世に名高い武者たちに決闘を申し込んで回ったものだ。

 数ヶ月前のヤマトであれば恥と捉えただろうその言葉は、今のヤマトにとってはどことなく誇らしく思える。


「そうか。そうかもしれないな」

「そうだよ。あれからずいぶん大人しくなってたけど、また吹っ切れたみたいだね」

「どれほど取り繕ったところで、俺はそう容易く変わらない。それを思い知っただけだ」


 結局、世に馴染めるよう振る舞うこともできない愚者だった、というだけの話。愚者ならば愚者らしく、己の衝動がままに振る舞い突き抜けて果てた方が、潔く見えるというものだろう。言ってしまえば、単なる開き直りの境地だ。

 自虐するようなことを口にすれば、ノアは温かい表情を浮かべた。無茶をする我が子を見守る母の如き、慈愛に満ちた笑み。

 むず痒さに耐えられず空を見上げれば、戦勝を祝う鬨の声が段々と近づいていることが分かった。凱旋。それを歓迎すべく、陣の外が段々と騒がしくなっていく。


「いよいよタイムリミットか。――それじゃあヤマト、また会う日まで元気でね」

「あぁ。そちらもな」


 ニコリと華やかな笑みを浮かべた後、ノアは指を鳴らす。同時に、本陣を覆っていた結界が霧散するのを肌で感じた。

 それに気を取られて視線を流した瞬間に、ノアの気配までもが失せる。先程まで死闘を繰り広げていたことが嘘だったかのような、痕跡一つ残さない退却。




「――終わりか」




 身体の緊張を解せば、直後に右肩に痛みが走った。戦闘の高揚が忘れさせていたが、銃弾で貫かれた傷は相当に深い。

 ダラダラと血が右腕を伝って滴り落ちる光景を見下ろしながら、その場に腰を下ろした。


『……――おっ、ようやく繋がったか。おいヤマト、無事だろうな? 無事ならさっさと返事を』

「悪い」


 懐に仕舞い込んだ通信機から、アナスタシアの声が聞こえてくる。ノアが張った結界の影響で戦いを見届けられなかったからだろう、その声には心配そうな色が滲み出ていることが分かった。

 そのことに申し訳なさを覚えながらも、ヤマトは通信機のスイッチを切る。抗議するような声が聞こえた気はするが、それに構う余裕はない。

 今は少し、独りでいたい気分だった。


(……敗け、だな)


 地面に転がる折れた刀。辺りに点々と散らされた血痕。絶えず痛みを訴える全身。

 それら諸々を一つ一つ眼で見るたびに、えづきたくなるほどの苦味が口内に広がる。気を抜けば顔が歪みそうになるところを堪え、記憶を振り返る。


(油断はなかった。準備も万端だった。戦場に不備もなく、むしろ俺が有利な戦いだった)


 ノアが手強いことなど分かりきっていた。アナスタシアの協力を得て訓練に励み、その中で新たな得物を手にした。ノアの結界は張られていたが、元々魔力を感知できない体質のヤマトにとっては関係ないどころか、むしろノアにとって不利に働いているようなものだった。

 そんな好条件で戦いに臨み、そして破れた。結果だけ見ればノアとの痛み分けだったとしても、己の一方的な敗北であったことは、誰よりも己自身が痛感している。


「―――」


 敗因は何か。それは明らかだ。

 ヤマトが弱く、ノアが強かった。

 残酷なようだがその一事以外に理由などないし、それ以外に求めるつもりもない。強者が弱者を下すという当然の摂理は、これまでにも散々に経験してきたものだ。――だと言うのに、なぜこんなにも胸が苦しい。


(見下していた、のか)


 自覚する。

 言葉では対等な相棒だと口にして、実際にそのつもりでいた。だが実際には、彼のことを格下と見下していたのだろう。確かにノアは頭がよく回るが、荒事に関しては己の方が上手だと、無意識に自惚れていたのだ。

 ゆえに、ノアがあっさりと己を上回ったことが悔しくて堪らない。


「くそっ、情けない」


 敗北したことが情けないのではない。ノアに敗北した事実を受け止め切れず、こうしてグダグダと理屈を回して座り込んでいる自分自身が、何よりも情けない。

 そんな理性の言葉が間違いなく正しいことを認めながらも、腰は重石を載せられたかの如く微動だにしない。


「―――」


 息が熱い。

 顔が熱い。

 身体が熱い。

 グツグツと腹の底でマグマが煮え滾り、全身の血を熱く巡らせる。心臓が脈打つたびに右肩から血が溢れ出るが、それすらも気にならない。

 体内に燻る炎を自覚し、座り込んだまま俯くことしばらく。何者かの足音が耳に滑り込んできた。


『――おいヤマト。生きてるか?』

「む」


 聞こえたアナスタシアの声に顔を上げれば、刀を背負った機兵がすぐ近くに控えていることに気がつく。通信機を切ったから、機兵を介して音声を届けているらしい。


『よし生きてるな。さっさと手当てするから、そいつに掴まれ』

「……そうだな」


 辺りに気を巡らせれば、ヘクトルたちがすぐ近くまで帰ってきているらしいことが分かる。凱旋を称える魔族兵たちの声が聞こえた。ふと空を見上げれば、いつの間にか曇天模様に切れ目ができ、赤い夕陽が差し込んでいることが分かった。いつの間にか、それほどの時間が立っていたらしい。

 深呼吸を数度。身体の芯に溜まった熱を逃すように呼気を荒げてから、ゆっくり立ち上がる。


(ノアが強く、俺が弱かった。その事実は認めねばなるまい)


 しばらく思考の海に沈んでいたことが功を奏したか。今一度事実を確かめても、それほど腹の中が荒れることはなかった。


(――強くならねば)


 口いっぱいに広がる苦味と共に、肝に銘じる。

 今回の戦いで敗北を喫した事実は変えられない。これを軽んじていいはずはないし、軽んじられるほど気楽な性格はしていない。


「ふぅ――」


 己が未熟であり、また才に乏しいことを認める。ヤマトが十を費やして得たものを、ノアはただ一をもって会得した。その才の差は埋め難く、改めて思えば絶望に足るほど大きい。――だが、だからと諦めてやる筋合いもない。

 十を凌駕してくるのならば、百でも二百でも重ねてやるまでのこと。それでも足りないのならば、更に千を積んでやる。そうしてノアが折れるほどのものを築けたならば、そのときがヤマトの勝ちだ。


(感謝するぞ、ノア)


 まず目標とするべき者が定まったのだ。感謝こそすれど、恨む筋合いなどあるはずもない。

 雪辱を果たすことを魂に誓う。

 いったいどれほどの困難があるのか。その道程の長さに気が遠くなるが、それを遥かに面白さが上回り、思わず胸が踊りだす。疲労困憊な身体を他所に、ヤマトの魂は留まるところを知らずに沸き立ち続けていた。

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