第254話
「冒険者……それに依頼だと?」
先代魔王が戦った時代、冒険者という無法者の集団が各所で軍を苦しめたという話は残っている。彼らは大陸各地を放浪する根無し草であり、ゆえに容易く鎮めることも叶わなかったらしい。倒しても倒しても際限なく現れて暴れ回る彼らに、当時の軍は手を焼かされたようだ。
その冒険者が、今眼の前にいる。
「うん。そんな訳だから、ちょっと相手をしてもらおうと思ってね」
「この狼藉者めッ!」
頭に血を昇らせた副官が腰元の剣に手を掛けたところを、咄嗟に制止する。
「ヘクトル様?」
「奴は手強い。我が相手をする」
「ですが……!!」
反論の言葉を口にしようとした副官を、ギロリと鋭い眼光を覗かせて黙らせる。
言外に「貴様では足留めもできない」と宣告しているのだ。そのことを否応なく理解させられた副官は、顔を苦渋の色に染めながら、ジリッと一歩後退する。
「我が戦う間、軍の指揮を任せる。頼んだぞ」
「……お任せください!」
既に大勢は決しているものの、統率を保たなければ不要な犠牲を払うことになりかねない。経験の未熟さや能力の甘さが目立つものの頭の巡りは悪くない彼に任せれば、ひとまず大事は避けられるであろう。
その信頼の言葉に、副官は不服そうな色を消し去り、勢いよく敬礼をする。
「どうかご武運を!!」
「あぁ」
陣を飛び出し、今も前線で戦っているはずの軍の元へ駆け去っていく。
副官の背をサッと一瞥した後、興味深そうな視線を投げ掛けていた冒険者ノアを睨み返した。
「待たせたようだな」
「いやいや。僕の依頼は貴方を殺害することだけだからね。それ以外に手を出すつもりはないんだよ」
「それは何よりだ」
ある意味で依頼に忠実な態度だが、依頼主としては到底受け入れ難いものだろう。だが、その姿勢のおかげで状況が悪転していないことも事実。ヘクトルとしては彼女に文句をつける理由はなかった。
辺りに同族や人の気配は感じられない。正真正銘、己とノアの二人のみだ。そのことを確かめた後、ヘクトルはふっと息を吐く。
「ならば、我が前に立ったことを後悔させてくれよう――!!」
構えるは、両腕それぞれを守護する二つの大盾。片方だけでも全身を覆えるほど巨大な鋼は、元来として守護を専らとする形状でありながら、振るえば容易に人の頭を砕けるだろう破壊力を秘めている。
左の盾を眼前に置き、右の盾は後方にて拳の如く構える。将軍としての意識から、徐々に一人の武人としての意識に切り替え始めたところで――気がつく。
「貴様、よもや……」
「あ、ようやく気がついた? あのときは世話になったね」
「厄介な」
脳裏に蘇ったものは、氷の塔での戦い。勇者一行を壊滅させる意気込みで臨んだ戦いにおいて、ヘクトルはすぐそこに立っている少女ノアと互角の勝負を繰り広げた。流石は勇者一行の一味だと感心させられたものだ。
だが、そんな彼女がなぜここにいる。情報収集は万全に行っていたはずだが、もしやこの場に勇者が――
「安心していいよ。勇者はここには来ていない。それに、僕は勇者一行の一人として依頼された訳じゃなくて、只の冒険者として依頼されただけだからね」
「……ずいぶんと口が軽いのだな」
「喋ったから困るものでもないから」
ノアの狙いは掴めないものの、勇者がこの場に来ていないという情報自体は喜ばしい。僅かに乱れた調子を整えた後、魔力を一気に練り上げる。
「さぁ来い冒険者! 貴様に我が盾が貫けぬことを教えてくれる!」
「ふっ、ずいぶんと自信があるみたいだね」
言いながら、ノアは手にした魔導銃をスッと持ち上げて。
「――じゃあ、行くよ?」
発砲音。
直後に強い衝撃が盾を打ちつける。片手で握れる程度の大きさしかない魔導銃から放たれたとは、俄に信じられないほどの威力。――なれど。
「軽い軽いッ!! その程度で我を殺すつもりか!?」
たかが魔導銃の一撃で、この大盾を貫くことは叶わない。巨大な鋼で受け止め、受け流し、滑らせ、弾く。矢継ぎ早に銃弾が繰り出されるものの、銃口を視野に捉えている以上は防げぬ道理などない。
初弾を防ぎ、続け様に放たれた八つを防ぐ。――二秒。銃撃の脅威度を下方修正し、一歩前へ出る。
「今度はこちらから行くぞ!!」
踏み込み、駆け出す。
間合いを詰めるごとに弾幕は分厚くなるものの、盾で防げる程度の威力に眼で見切れる程度の弾道しか描けぬならば、ヘクトルにとって脅威にはなり得ない。数歩で間合いを詰め、後方で腰溜めに構えていた大盾を突き出す。
「失せろ冒険者ッ!!」
「『障壁』に加えて『烈風』」
魔力が蠢く。半透明な壁が眼前にそびえ立ち、巻き起こる風がノアの身体を上空へ運び去った。
駆けながらの一撃で『障壁』を容易く貫くものの、盾の一撃は結局ノアを捉えられずに空を切る。歯噛みしてノアの行方に視線を投げれば、一瞬で数メートルの間合いを離して着地する姿が眼に入った。
「猪口才な……!」
「相変わらずの馬鹿力だね。掠っただけでも大怪我をしそうだ」
飄々とした調子で揶揄するように声を上げたノアに、ヘクトルはギリッと奥歯を噛みしめる。
思い出した。氷の塔での戦いも此度と同じような顛末だった。攻めに転じるヘクトルに対し、魔導術を駆使してヒラリヒラリと回避に専念するノア。結局、魔王が勇者を説得するその瞬間まで、彼女に一撃を与えることすら叶わなかったのだ。
(だが、今回は――)
将たる者は常に冷静であれ。かつて師に教わった言葉を繰り返し、頭に昇った熱を冷ます。
大局を見れば、この戦いはヘクトルにとって有利に働いているのだ。冒険者による奇襲という策を講じられたものの、魔獣部隊の活躍によって戦はこちらの優勢に傾いている。加えて、副官を派遣したことで陣営が崩れる心配も薄い。普通に考えれば、時間を使えば使った分だけ、ヘクトルら魔王軍が優位に立っていくはず。
ならば。
「ふぅ――」
大きく息を吐き、両盾を眼前に構える。前進という手を棄却し、専守防衛の構えへ。
「へぇ?」
「どうした、来ぬのか」
眼を見開き、ノアはヘクトルの動きを注視する。
「ちょっと時間をかけすぎたかな。もっと猪突猛進してくれた方がやりやすかったんだけど」
「吐かせ」
「ふふっ。だけど、これはどう攻めたものかね」
当惑したように小首を傾げたノアに、軽く鼻を鳴らして応える。
膂力魔力共にミレディやナハトを上回るヘクトルだが、その本領は防御にこそあった。全力で身を護ることに専心すれば、例えヘルガの猛攻であろうと凌ぎ切る自信はある。人間の小娘風情が貫けるようなものではない。
それでも油断せずに目を凝らすヘクトルに向けて、ノアは華やかな笑みを浮かべる。
「まぁ、色々やってみるしかないか!」
「やれるものならば、やってみるがいい」
応えた直後、周囲の魔力が不穏な動きを見せる。
「『霊矢』」
「無駄なことを!」
即座に十の魔法陣が空に描き出され、魔力の矢が顕現する。見つめる先で矢は四方八方に飛び散り、様々な角度から曲線を描いてヘクトルへ襲い来る。――それと同時に、魔導銃が唸りを上げる。
「フンッ!!」
気合の声を一つ。
正面から飛来する弾丸を左の盾で受け止めた後、身体から魔力の波を放つ。『霊矢』がヘクトルの魔力に当てられ威力を減じたところで、右の盾でグルンと空を薙ぎ、矢の尽くを払い落とす。
「力技だね。――『烈風』」
呆れるような溜め息を漏らしながらも、ノアは動きを止めない。即座に組み立てた『烈風』の術式がノアの足元で爆ぜ、華奢な身体を思い切り吹き飛ばす。荒れ狂う風に乗った身体が、およそ人には出せぬ速度で移動を始めて。
「じゃあ、これならどうかな!」
「無駄なことを!」
ノア自身が立ち位置を高速で変えながら、矢継ぎ早に魔導銃を発砲する。弾丸の雨の中、無詠唱の『霊矢』が混じりヘクトルの意識の間隙を狙う。
敵ながら天晴と言う他ない技量。己では、かくも素早く魔導術を組み立てることはできないだろう。ノアの動きに感心させられながらも、冷静に一つひとつの弾を落としていく。どれほど立ち位置を変えて錯乱させようとしても、ヘクトルの眼を逸らすことは叶わない。
「ぬんっ!」
数十秒。
四方八方から襲い来る弾丸の尽くを防ぎ切ったところで、ノアは移動の足を止めた。疲れたように溜め息。
「これは困った。正しく鉄壁の防御だ」
「何度も言わせるな。貴様では、我が盾を貫くことは叶わん」
「うーん、どうしたものかねぇ」
手の打ちようがないとばかりに溜め息を吐くノアだが、本音としては、ヘクトルも彼女と同様の心地であった。
今でこそ拮抗を保てているが、それは己が防御に専念しているからだ。万が一にも攻めに転じなければならなくなったならば、この均衡は容易く崩れ去る。攻めに意識を割きながら防げるほど、彼女の攻撃は生温いものではなかった。
(ミレディとナハトでは、少々荷が重い相手だ)
開幕戦ゆえに大きすぎる脅威はないだろうとしながらも、念には念を入れてヘクトルを遣った魔王。その判断は慎重にすぎるという思いもあったが、結果として王の懸念は的中していたらしい。ヘクトルかヘルガでなければ、ノアの奇襲を凌ぎ切ることは困難であっただろう。
主君の判断に内心で感謝しつつ、眼前の敵を睨めつける。
(今は時間を稼ぐより他ない。戦場の趨勢が決すれば、自ずとここも――)
刹那。
心の中で算段を立てていたヘクトルを嘲笑うように、巨大な炸裂音が響き渡った。
「な……っ!?」
「あ、始まったのかな」
聞こえてきたのは戦場の方だ。これほどの爆発を起こせる魔導術の使い手は魔王軍にいないから、人間たちが起こした現象だと推測できる。――だが、いったい何が起こった。
その答えを求めるべくノアの方へ視線を投げれば、彼女はややあってから肩をすくめる。
「簡単に言えば、僕も時間稼ぎを見込まれていたにすぎないってことだよ。この作戦の本命はあっち。高い指揮能力を持つ貴方を釘づけにして、戦場で一発逆転を狙おうって策さ」
「何だと?」
一発逆転。
言うは易く行うは難し。総勢万を越す規模の戦いにおいて、一手で趨勢を決する策は言うほど容易くない。古今無双を謳われる武人が暴れたとしても、それほどの結果をもたらすことは難しいだろう。
ならば、今ここで何が起こったのか。
「心当たりはあるんじゃない? 普通に戦えば十中八九勝てる戦だけど、ただ一手で覆すことができる存在」
「まさか――」
気づく。疑念がひしめく中、歯噛みする。
「帝国か……!!」




