第252話
「ちっ、魔力を遮断しやがったのか」
けたたましくノイズをかき鳴らす通信機を一瞥し、舌打ちを漏らす。
焦りと苛立ちを鎮めるべく手元の水を煽りながら、アナスタシアは深く溜め息を吐いた。
(見誤ったな。想定以上の切れ者だ)
ヤマトと協力し、勇者と魔王の戦いを沈静化させようという大義。
それに則ってノアの説得にあたったのだが、ものの見事に玉砕してしまった。常であればそれも一興と笑うことができただろうが、そう呑気に捉えるには、ノアという青年は頭が回りすぎていた。ただ説得を跳ね除けられるのみならず、アナスタシアが大義の裏に秘めていた目的についての不審感を抱いてしまったらしい。
いっそのこと駆け引きも何もなく、己の思うがままをぶちまけてしまった方が成功を見込めたような気がするが、出会って一時間もしない少女相手にそんな真似はできない。
「だが、どうするか……」
冷たくなった頬を手で揉み解しながら、視線を虚空に彷徨わせる。
ノアの説得に失敗したという一事には、それほど大きな意味は含まれない。交渉事である以上は失敗の可能性も想定していたし、その後のフォロー案も幾つか用意していた。今回の問題は別――ノアがヤマトと予想以上に近しい人物であり、尚且つアナスタシアの本性と言うべき性質に気づいたらしい点にある。
ノア一人が敵対する程度ならばいざ知らず、ヤマトを誑かすような事態になるのは御免だ。当人に明かしていない部分は多いが、ヤマトはアナスタシアの計画の中核を担える人物。ゆえに、不審感を抱かれて協力願えなくなることは問題と言える。
「いずれにしても、奴らの話次第になるか」
アナスタシアへの疑念と警戒心を抱いたノアが、ヤマトに何を吹き込むのか。それに対してヤマトがどう答えるのか。
募る焦りのままに、机上の通信機のスイッチをカチカチと弄る。幾度となく通信の魔導術が発信されるものの、それが成功した感覚が返ってこない。
「くそ。ずいぶんと達者な腕をしてやがる……!」
『――そんなに褒められると照れくさいね』
耳を通じて怖気が走るような砂嵐が、一瞬にして晴れる。直後に通信機からは少女の――ノアの声。
束の間だけ頭が混乱するものの、即座に冷静な思考を取り戻す。
「通信に割り込みやがったか」
『ご明答。暗号化も何もしていない単純な術式だったから、解析はすごく簡単だったよ。仮にも技術者名乗るなら、そのくらいの対策はやらないと。これじゃ帝国の劣化技術だよ』
「……生意気言いやがる」
額に青筋が浮かぶ様を自覚しながら、努めて平静に応じる。
「魔王が治める北地では通信傍受するような者がいないばかりか、そも通信する相手もほとんどいなかった」。そんな言い訳が飛び出そうになるが、そうすれば己がひどく見すぼらしい者になるような気がして、口をへの字にして閉ざした。
「それで? 何の用だよ」
『いやなに、ちょっとした雑談でもしようかと思ってね。そう忙しい訳でもないんでしょ?』
通信機のスイッチをオフにしてやろうかと一瞬悪巧みするが、即座に棄却。ひとまず情報収集するべきか。
「雑談ねぇ。俺には特に用はないがな」
『ふふっ。心配しなくても、ヤマトはまだ貴方の手を取るつもりみたいだよ。健気なものだよね』
華やかな笑い声の後にもたらされた情報に、知らず知らずの内に安堵の溜め息が漏れた。
ヤマトが離反するという事態になっていたら大事であったが、この様子ならば必要以上の懸念はいらない。彼がこちら側についている限りは、アナスタシアの計画が破綻するようなことにはならない。
「そうかよ」
『強がるね。老婆心で忠告するけど、あまりヤマトを利用しようとか考えない方がいいよ。アイツは脳筋な単細胞だから簡単に転がせるけど、変なところで頑固な上に、相当な馬鹿だから』
「ご忠告どうも」
冷たく突き離すような口振りを保つ。
やはりノアは、アナスタシアがヤマトを利用して“何事か”――戦争の調停以外のことを成そうとしていることに気がついたらしい。頭の巡りがいい人間は好きだが、今はそうも言ってられない。
「で? それ以上グダグダと御託を並べるようなら、通信を切るぞ」
『待った待った。せっかちがすぎるんじゃないかな』
苦笑いと共に軽い調子の陳情が口にされたが、右から左へ聞き流す。
「いいから早く話せ」
『まったく強引な……』
場を改めるような咳払いの後、ノアの声が通信機から響く。
『――宣戦布告だよ。貴方が何をしようとしているかは知らないけど、相棒を使って悪巧みしているみたいだからね。僕は邪魔をさせてもらう』
「ケッ、面倒な」
『だろうね。けど、もう決めたことだ。ヤマトは是と判断したみたいだけど、僕から見れば貴方は邪悪がすぎる。自分の目的のために何かを――ヤマトを犠牲にする程度は造作もない。そんな人間に見えた』
図星。
かつて口にしたことがあるが、アナスタシアはヤマトと同類。つまり、自身の目的のためなら手段を選ばないところがある。「武の頂を目指したい」と公言するヤマトは可愛いものだが、アナスタシアが秘めた目的は些か趣が異なる。それこそ、目的成就のためにヤマトを殺す程度ならば躊躇わないだろう。
思わず眉をひそめたアナスタシアへ、ノアは言葉を重ねる。
『あんな脳筋馬鹿でも、一応は相棒だからね。妙な悪巧みをするようなら許さない』
「怠ぃな」
口では嫌々応じつつ、思考を高速で巡らせる。
これまでの口振りから察するに、ノアは「ヤマトを守る」という一事のために動いていると見ていい。アナスタシアの手を取れない理由も只一つ、ヤマトにとって危険な取引だと察知したからだ。彼女の行動原理には常にヤマトが絡んでいる。
逆を言えば、ヤマトを優遇さえすれば、彼女を味方につけることが可能ということ。何をもってヤマトの利益とするかで意見は食い違いそうだが、接し方を誤らなければ友好関係を築くことも可能だろう。
(これは、好機かもしれないな)
渋い表情とは裏腹に、腹の底ではふつふつと興奮が込み上げる。
ノアはアナスタシアと同等以上に思考の冴える女だ。敵として相対するならば厄介極まりないものの、味方にできるのであれば心強く――何より面白いことこの上ない。味方とまでは行かずとも、一時的な協力関係を見込める程度の間柄になれればいい。
今はノアとの間に溝を感じるものの、今回の一件を越せば埋まる見込みもある。まだ諦めるには早い。
「まぁ、好きにやればいいさ。俺としても、余程邪魔じゃなければ関わるつもりはねぇ。話は終いか?」
『うん。長々とつき合わせて悪かったね』
少しも悪びれた様子のない謝罪の後、通信音声がブツッと音を立てて切り替わった。砂嵐とノアの声など名残も感じさせず、どこか呑気そうなヤマト周辺の音を通信機が拾う。
「……やれやれ。面倒な奴に眼をつけられたな」
疲労を滲ませた溜め息。
それとは裏腹にアナスタシアの眼は、新しい玩具を前にした童女のようで、それよりも些かギラギラとした輝きを宿していた。




