第250話
「手を組むねぇ」
溜め息混じりにノアは口を開く。
「具体的には? 勇者を説得しろとか言われても、正直可能性は見込めないよ」
『馬鹿にするな。幾らお前が勇者の知り合いだからって、それが見込めない程度のことはわきまえている』
かつて共に旅をしていた頃であれば、ヒカルに直接語り掛けて意思を曲げさせることも可能だっただろう。だがノアの話によれば、彼女は太陽教会の名の下に行動を制限された環境下にあるらしい。もはやヒカル一人の意思が変わった程度では、大陸全土を飲み込む戦乱の流れを止めることは叶わないということだ。
『追って仔細を説明するが、当面は人間の動向を報告してくれればいい。どこでデカい戦が起きそうか、どこに勇者がいるか、戦時中の人民感情はどうか、とかだな。俺が遣る機兵の管理を頼むこともあるはずだ』
「ふぅん。諜報活動ってことかな」
『そう言っていいだろう。俺たちがいよいよ魔王軍から独立するときには、その連携を頼むことになる』
アナスタシアの目的は「勇者と魔王の戦いを阻止、もしくは小規模化させる」点に集約される。直接的な和平交渉を講じることも手段の一つだが、大規模戦闘の報せに応じて戦場を駆けることもその一つ。北地に居残ったままで収集できる情報量には限りがあるから、勇者とも深いつき合いがあるノアと繋がろうという計画は、決して無駄なものではない。
彼女の言葉に道理があることを認めてか、ノアはやがて小さく頷く。
「裏からの工作を頼むのだから、身が制限されない冒険者に依頼することは不思議じゃない。それに僕はヤマトと知り合いだから、裏切る可能性も低いって訳だ」
『……ククッ、まぁそうなる』
返答寸前における一拍の間。
それが何を意味するものなのかを思考する前に、ノアは再び口を開いた。
「話は分かったよ。それで、続きは?」
『俺から依頼したいことは以上だ。報酬については、可能な限り用立てるとしか言えないな。生憎と俺はお前の願望なんざ知らねぇから、こちらから提案できることはない』
「なるほど。どのくらいを期待してもいいのかな?」
『反魔王一色の人間共の中で、俺たちと繋がれって言うんだ。相応の危険がある。俺が秘匿している技術を開示しろとかでも、一応検討するくらいは考えているぜ』
「結構太っ腹なのかな」
ノアは今一つピンと来ていない様子だが、アナスタシアは技術者として破格の能力を有していることを鑑みれば、相当な好待遇と言うことができよう。なにしろアナスタシアは、大陸で急成長を遂げた帝国の根幹とも言える魔導技術を開発した張本人なのだから。しばらく前に帝国と縁を切ったという話は聞いたから、魔導列車のような、画期的な技術を隠し持っている可能性も充分考えられる。
たかが技術一つと言っても、上手く利用すれば帝国に匹敵する国家が築けるかもしれない。ノアが野心家であったならば、一も二もなく即決してもおかしくない条件だ。
だが。
「ただ、そういうものは僕の手に余りそうだね。革新的な技術を得たところで、それを発展ないしは普及させる下地がないことには宝の持ち腐れだ。それに、その技術が貴方にとってどれほど価値があるものなのかが分からない。残念だけど、今のままじゃ頷くことはできなさそうだ」
『クハハッ! 言いやがるじゃねぇか! だが、出し惜しみをするつもりがないってのは本音だぜ。何ならお前の希望を言ってみればいい』
「余程無理なものじゃなければ叶えてやる」と言いたげなほど、自信満々な口振り。
それを受けてノアは、しばし思案するように視線を宙に彷徨わせた後、ピタリとヤマトに合わせる。数秒の沈黙、やがてニヤリと口角が釣り上がる。
「む?」
「――じゃあ提案。報酬前払いでヤマトを欲しいって言ったら、どう応える?」
『へぇ』
同性ながらに蠱惑的な美貌を備えたノアから放たれた言葉に、少し妙な気分になる。
口をへの字に歪めるヤマトに構わず、通信機の先のアナスタシアはクツクツと愉快そうな笑みを漏らした。
『愉快なこと考えるじゃねぇか。ヤマトが欲しいねぇ?』
「特におかしいことじゃないでしょ? 今は変な仮面着けてウロウロ徘徊する不審者になっていたとしても、元は僕の仲間だからね」
「おい」
自身でも妙な仮面だとは思っていたが、そこまで酷評することもないだろうに。
恨みがましい視線をノアへ送れば、どこ吹く風と軽く受け流される。
「それで、どう? この要求に応えるつもりはあるかな?」
『……前払いってのは気に食わねぇな。報酬をかっぱらって逃げられると、俺は大損どころの騒ぎじゃねぇ』
「必要ならば契約書を使えばいいさ。帝国謹製、魔導術を織り込んだ契約書をね」
甲と乙の間に交わされる契約を記載するだけの一般の契約書と異なり、ノアが口にした帝国謹製の契約書は、署名した契約者に対して魔導術による制約を課す。紙面に書かれた事柄を遵守することを求めるものであり、もし破られた際には、契約者当人に重い罰を背負わせることができる。
その仕掛けゆえに量産できず、用立てることだけで相応の労力を要するような代物ではあるが、契約の確実性は飛躍的に高まる。ときに国家間の契約に用いられるほどの品だ、信頼性の高さが察せられるというものだろう。真っ当に契約を結ぶ意思があるのならば、それ以上に安心できる品はない。
ここに来てようやく、ノアの意思を把握する。
(アナスタシアを推し測るつもりか)
ノアの提案を断るのならば、契約の裏をかく意思があると表明するも同然。契約書とは元来、互いが契約に対して潔癖であることを求めるのだから、普通は断る道理はない。
更に、ダメ押し。
「別にヤマトを作戦から除外しようって訳じゃない。当人が希望するならば好きにさせるし、貴方から要請があれば従うこともあるはず。だけど、ヤマトがこのまま貴方の下に居座り続けるっていうのは、ちょっと不健全かと思ってね」
『………』
アナスタシアは無言のまま応えない。ノアの言葉の信憑性を疑っているのか、それとも下手に同意できない事情があるのか。
相方から立ち昇る鬼気に気圧されながら、ヤマトは静観し続ける。
「それで、どう? その報酬は払うことができそう?」
『……即答は、しかねる』
「そう。そっか」
何かを納得したらしい。
数度頷き、そして満足気な笑みをたたえて。
「ならば、僕は貴方の手を取ることはできなさそうだね」
その言葉を口にした。




