第249話
『よろしく頼むぜ?』
音量が大きくなった通信機からアナスタシアの声が響く。
いつも通り無駄に自信満々で傲岸不遜な物言い。ヤマトは既に慣れたものであるが、ともすれば人の反感を買う台詞であることに違いはない。
ノアはアナスタシアの言葉に驚くように眼を見開いた後、ふっと表情を緩める。
「僕はノア。ヤマトとは冒険者のタッグを組んでいたよ。こちらこそよろしく」
『ノアか。帝国出身、もっぱら魔導銃を扱う冒険者。勇者一行では後衛として援護していた。そうだな?』
「そうだけど、よく知っているね」
「話したの?」と問うようなノアの視線に、即座に首を横に振る。
『仮にも魔王軍に籍を置いていたんだ。敵対関係にある勇者一行のことくらい知ってなきゃ、何もできねぇだろ?』
「……そうだね。戦いを制するならば、まずは敵を知るべし。道理だ」
アナスタシアの言葉を認めて頷きながらも、ノアの表情は悔恨に彩られている。
勇者一行としてヒカルと共に旅をする最中、ヤマトたちは結局魔王軍について仔細を知ることはできなかった。単に情報がほとんど完璧に隠蔽されていたという側面もあるが、本腰を上げて調査しようとしなかったことも原因の一つ。充分に警戒を払っていたならば、魔王軍が陣取る北地へ迂闊に踏み込むようなこともなかったかもしれない。
(だとしても、全ては過去の話。今やら悔やんだところで仕方ないことだ)
幾ら悔み嘆いたところで、過去が変わるはずもない。今を生きる者は、過去の失敗を元に教訓を得て、未来に同じ失敗を繰り返さぬように努めればいい。
ヤマトと同じく屈折を経たようで、ノアも数秒ほどで表情から後悔の色を隠す。
「その口振りだと、僕についての話は必要なさそうだね?」
『おう。さっきのヤマトとの会話も聞いていたし、俺の方でも調査は済ませてある。大方は知っているぜ』
「それは凄い」
感心するようなことを口にしながらも、その声音には警戒心がありありと滲み出ていた。
知らぬ間に己のことを根掘り葉掘り調べられていたとあれば、易々と気を許そうという思いが湧かないことも自然だろう。――いや、それだけではないか。
ノアの横顔から警戒心のみならず、極僅かな敵意が読み取れる。表面上はにこやかな笑みを絶やさないため、アナスタシアでは察知することはできないだろう。だがヤマトからすれば、彼の様子が常ならぬこと――今すぐ銃の抜き撃ちができるほどに身構えていることは明らか。ヤマトでは感知できないものの、ノアの周囲にある魔力はより不穏な動きを見せているのかもしれない。
やや過剰にも思えるノアの反応に内心で首を傾げつつ、表情では平静を装う。
「それで、ヤマトが何をしていたのかって話だったよね。聞いても?」
『一言で言えば、俺がヤマトを匿っていたのさ。そのままにしておいたんじゃあ、魔王共がそいつを殺すことは目に見えていたからな』
実験室に軟禁し実験することを「匿う」と表現するのであれば、確かにアナスタシアの言う通りだ。魔王たちの前で力尽き、今にも首をはねられるところを匿われた以降、彼らの眼が及ばぬところで傷を癒やし力を蓄え、今はこうして外を歩くことができている。そのことに恨み辛みを口にするつもりはない。だが、白塗りの研究室ですごした日々は、決して「匿われた」と素直に認められるほど生易しいものではなかったことも事実。
素直に賛同し難いという微妙な心地。その機微を悟ったらしいノアは曖昧に頷く。
「ならお礼を言わないといけないね。相棒を助けてくれてありがとう。おかげで、こうして再会することができた」
『気にすることはねぇさ。俺としても得のない話って訳じゃなかったからな』
「ふぅん?」
『俺には俺の目的があるってことさ。そのために、ヤマトの存在は都合がよかった』
表情と心持ちを改める。
いよいよ本題が近づいてきた。
「都合がよかったというのは?」
『一つは、生かしておけば勇者側と通ずることができるという点。もう一つは、ヤマトならばいざってときのための切り札になれそうという点だ』
ヤマトもかつてアナスタシアから直接述べられた言葉だ。アナスタシアが秘めた目的を知ったならば、前者については理解が容易い。だが後者については、正直今になっても得心まではできていないというのが本心。
ノアとしても即座に理解できる内容ではなかったらしく、僅かに黙考した後に小首を傾げた。
「切り札になるっていうのはどういうことかな? 正直、ヤマトくらいの使い手ならば探せば見つかると思うけど」
『古代文明の遺跡――魔族が氷の塔と呼ぶ場所で、こいつは魔王に一太刀浴びせてみせた。それが全てさ』
「……そう」
理解できた訳ではあるまい。だが、今は理解を後回しにしてでも話を聞き届けるべきと判断したらしい。ノアは小さく頷く。
それに満足気な吐息を通信機越しに漏らしたアナスタシアは、続けて言葉を紡ぐ。
『話が前後したがな。俺の目的ってのは、勇者と魔王の戦いを止めることにある』
「魔王か勇者を暗殺するってこと?」
『それも手段の一つではあるな。勇者は敗北した例がないから断言はできねぇが、少なくとも魔王については、討伐されれば百年単位で活動を停止させられる』
先代魔王が大陸を荒らし回ったという話も、今や正確な記録が残されていないほど太古の出来事。魔王が――魔王の加護がどれほどの周期で授けられるかは不明瞭なものの、一度勇者の手によって殺されたならば、相応の時間を稼ぐことは可能だという。
今代魔王と直接顔を合わせて力量を測った具合から考えるに、魔王の暗殺自体はそう難しくない。魔王の加護という規格外の力が授けられているとは言え、魔王自身の実力はせいぜい腕自慢の戦士程度。ヤマトが真に魔王の加護を貫くことができるならば、今すぐにでも息の根を止めることは可能そうだ。
『だが、今のところは採用できねぇ。魔王亡き後に残された魔族に暴れられると、結局起きることは同じだ』
「戦いそのものを止めたいって訳か」
『そう考えてくれていいぜ』
アナスタシアが秘めたる願いは、果てしない知的好奇心を満たすというものらしい。人や魔族が長い年月を経て作り上げる文明の行く末までをも見届けなければ、それが果たせたとは言えない。激化して文明を破壊する戦争などはもってのほか。
そうした彼女自身の事情は知らないなりに、ひとまずノアは納得に至ったらしい。軽く頷く。
「最適な形は和睦。少なくとも大規模戦争は起こさせないようにしたい。ヤマトを助けたのは、その橋渡し役にするためか」
『ククッ、その通りだ。話が早くて助かるぜ』
「人選ミスな感じがするけどね」
失礼なノアの言葉だが、ヤマトとしては同意したい限り。元より刀を振ることばかりに明け暮れた武骨者ゆえに、平和に向けた話し合いに貢献できるとは思えない。サクッと魔王を倒してくれと言われた方が百倍も気楽だっただろうに。
そんなヤマトの嘆きを他所に、アナスタシアは笑い声を上げる。
『言われずとも、ヤマトに交渉事は期待してないさ。それでも、放浪生活で培った縁は利用できる』
「……面倒事の予感がするね」
『勘がいいじゃねぇか!』
矛先が自分に向けられたことを察したか。ノアは嫌そうに顔を歪める。
それに愉快そうな笑い声を上げてから、アナスタシアは詰め寄る。
『こいつが本題だぜノア。どうだ、俺たちと手を組んでみないか?』
「………やっぱりか……」
ノアは天を仰ぎ、そのまま溜め息を漏らす。
かつて同じように誘われたからこそ、彼の心情は共感できるところがある。話を途切らぬよう沈黙を保ちながらも、ヤマトは内心で合掌した。




