第247話
「む」
『何だ、揉め事か?』
怒声が上がった方へ視線を投げる。
声を荒げた者は魔族兵、それも相応に上等な鎧を身にまとった高位の兵だ。手に炊き出しの食器は握られていないことから、炊き出し参加ではなく監査としてここにいたらしいと察せられる。ムンと鼻の穴を膨らませた顔が高慢なそれに見えるのは、果たしてヤマトの偏見が混じった結果なのか。
そんな彼に怒声を向けられている者は、炊き出しの場に相応しくない汚れた服を着た魔族兵だ。見るからに下級兵士と察せられる外見の彼は、ヘコヘコと兵に頭を下げながらも、口元に厭らしい笑みを浮かべている。
(何かの余興か?)
ヤマトがそう感じ取った理由は二つ。一つは叱咤する魔族兵とそれに恐縮する魔族兵、双方共に本気の色が伺えないこと。声ばかり張り上げて迫力を出そうとしているようだが、その表情から真剣味を感じることができない。もう一つは、明らかな揉め事を前にして動こうとせず、むしろニヤニヤと見守っているらしい他の魔族兵たちにあった。
何が起きようとしているのかは分からない。だが、兵たちの悪意が渦巻き、この場所全体の空気がどんよりと重くなり始めていることは理解できる。
「よくない空気だ」
『なら止めるか?』
「………」
囃し立てるようなアナスタシアの言葉に、沈黙をもって返答する。
ひとまず事の成り行きを静観しようと目を凝らしたヤマトの先で、大根役者二人による茶番劇は着々と進行していく。
「持っている札は一枚だけのはずだな!? だというのに、貴様はなぜ皿を幾つも持っていく!!」
「は、ははぁっ! これらは捕虜共に――人間共に食わせる分でさい!」
「なぁにぃ? 人間の分だとぉ?」
「へいっ! 奴ら牢でぎゃあぎゃあと、腹が減った腹が減ったと煩いんでさぁ!」
少々棒読みがすぎるようだが、声量ばかりは達者のようだ。兵士二人の寸劇に周囲の眼が惹きつけられ、わざとらしい話しっぷりに聞き入る者も多数。
売れない大道芸人の茶番にしか見えないヤマトとアナスタシアからすれば噴飯ものな演劇だが、魔族兵らにとってはそうでもないのか。
「えぇい生意気な人間だ! 奴らに喰わせるような飯はないと黙らせておけばいいだろうに!」
「私めもそう言っているのですが、どうにも聞き分けの悪い奴ばかりでして! キゾクがどうたらって騒いで、夜も眠れない始末なのです」
「ふぅむ。これは一度、綱紀粛正のためにも罰を下してやるべきかな……!?」
思わず、溜め息が漏れる。
『馬鹿丸出しな連中だな』
「違いない」
魔族兵たちが語る捕虜のこと、では無論ない。
ここで行われているものは紛れもなく茶番だ。兵たちを鼓舞するためなのかは分からないが、捕虜の人間という明確な弱者を槍玉に挙げて蔑み、己らの優位を確かめようという寸劇。戦場に立って気が昂ぶっているのか、それともここが命懸けの戦場と心得ていないのかは定かではないが、いずれにしても場違いな感は否めない。
下劣と言うことすら馬鹿らしくなるやり取りから、意識を遮断しようとしたところで。
「むむ!! まさかそこにいるのは、人間ではあるまいな!!」
わざとらしい叫び声が再び耳朶を打った。
『おっ、マジだ人間だぜ』
「……何を考えているんだ」
機兵の眼を通じてか呑気な声を上げるアナスタシアと、更に深い溜め息を吐くヤマト。
再び視線を渦中の寸劇へ投げてみれば、確かにそこには人間の少女がいた。紺色の髪と瞳、華奢な身体。肉づきは薄いものの、街中で見れば十中八九美少女と認められる容貌。無地のシャツとズボンは土に汚れ、一目でみすぼらしさが伝わってくる。
魔族兵らの目的は理解できる。人を蔑み兵らの戦意を高揚させる一環として、人間を実際に罰してみせようというのだろう。目の前で人が無力に傷つけられる姿を見れば、好むと好まざるとに関わらず、人への見方に影響を及ぼす。――だが、捕虜を迂闊に牢から出してしまうことは問題だ。
「行ってくる」
『は? ちょっ、おい――』
アナスタシアの返答を待たないまま、人混みをかき分け渦中へ。
輪になって茶番を見守っていた兵たちは、仮面を着けたヤマトの風体を前に後退り、道を開けていく。その間をすり抜け、わざとらしくも朗々と台詞を読み上げていた兵二人の前へ躍り出た。
「き、貴様、何のつもりだ!?」
「捕虜を外へ出すことは認められない」
意気揚々として罰則を口にしようとしていた魔族兵だったが、突然現れたヤマトを前に口ごもる。台本にはない突発的な事態ゆえに、大根役者二人では対処方法にまで頭が回らないのであろう。
咄嗟に動くことのできない魔族兵を尻目に、冷めた眼で場を静観していた少女の腕を掴む。
(―――?)
再び違和感が脳裏をよぎる。
その正体を掴まんと視線を巡らせたところで、手元の感覚に覚えがあることに思いが至る。そう遠くない過去に、何度か触れたことがあるような――
「………。牢へ戻す」
「そ、その前に罰を与えるべきだ! 牢から出た罪は重い!」
気を取り直した魔族兵が高らかに声を上げた。
彼の言葉は事実その通りで、捕虜が牢から勝手に出たならば罰を下さなければならない。とは言え、兵らの余興につき合わされて外に出させられただけの人間を傷つけるという蛮行は、到底見すごせないということも事実。
ゆえに。
「ならば、そこの看守も罰する必要があるな」
「―――っ!?」
ヤマトが出て以降は沈黙していた兵に視線を向ける。同時に、軽い威圧。
それだけで下級兵士役の魔族は顔を青ざめさせ、小刻みに身体を震わせる。元は知り合いらしい魔族が罰せられることへの罪悪感ゆえか、魔族兵も再び口ごもる。
もはや引き留める者がいないことを確かめた後、クルリと踵を返した。
「では、行くぞ」
「………」
ヤマトが腕を引く力に従って、人間の捕虜は歩き始める。
先程までの不気味な熱気が冷め、誰しもが反応に困った様子で目を逸らす。足を向ければ道を開け、迂闊に絡まれないようにと足早に立ち去っていく。
得も言えぬ居心地の悪さを無視しながら、魔族らの視線をかい潜り逃れるように天幕の間を抜けること数度。周囲に魔族の姿が失せ、念の為にと気配探知を行って誰もいないことを確かめた後。
立ち止まる。
(ここならば、ひとまず問題ないか)
掴んでいた捕虜の腕を解放し、改めて向き直る。
紺色の髪と瞳。肉づきは薄いものの儚い印象はなく、目の光が輝きを取り戻したこともあって、野原を駆け回れるような快活さが感じられる。中性的ながらも、振り向かずにはいられない美貌の持ち主。
まじまじと見てみれば、もはや疑う余地などない。
(まさか――いや、なぜここに――)
仮面の中でモゴモゴと口を動かしながらも、喉から声が出てこない。
そんなヤマトの様子を見かねてか、捕虜の人間――ノアがニヤリと笑みを浮かべて。
「こんなところで何してるのさ、ヤマト」




