第245話
「――宿舎はこちらになります」
「ご苦労」
ヘクトル直属らしい魔族兵に連れられて歩くこと数分。ヤマトと機兵たちは用意された宿舎へ到着した。
人の軍との決戦に備えられた一角とは真反対。陣営の北端に位置したその広場には、一行の中で唯一休息を必要とするヤマトが泊まる天幕以外、何一つ物は置かれていない。ともすれば軍の演習地として使えそうなほどに開けた場所だ。
鋼鉄の身体と意思を持たない電脳ゆえに、機兵たちは地べたで直立不動にさせておけば充分なのだから、確かに効率的な配置ではあるのだが。
(些か物寂しくは見えるな)
『機兵用の天幕なんざ用意されても怠いからな。別にいいじゃねぇか』
耳元から聞こえたアナスタシアの言葉に「それもそうか」と思い直す。どうせヤマトが就寝している間は機兵に見回りをさせるのだから、下手に休憩施設を用意された方がやり辛いというもの。
「それでは、私はこれにて失礼します。何かご用がありましたら、気兼ねなくお声掛けください!」
「うむ」
案内役の魔族兵が一礼し、元いたヘクトルの天幕の方へ駆け戻っていく。
その背中が広間を去り、やがて遠巻きにこちらを眺める魔族兵たちの中に紛れていく姿を見送ってから、ヤマトはそそくさと天幕の中に身を隠した。
『レーダー探知と魔力探知をさせた。ここら辺には特に細工はされてないみたいだぜ』
「そうか」
『ひとまず、この中なら誰かの眼を気にする必要はないってことだ』
その言葉を聞いて、ホッと一息吐いた。
特別態度を取り繕っていた訳ではないものの、やはり周囲の眼を警戒し続けることに気疲れはする。だからと弱音を吐く暇などないのだが。
何となしに重い肩を解しつつ、顔面に貼りついていた仮面を外す。
『無事入り込むことはできたな。後は、明日から物資支給任務をこなしつつ、人間の中から協力者を探してくれればいい』
「簡単に言ってくれる」
『人の捕虜も、数は少ないが一応いたんだ。その中から手を伸ばしていけば、そう難しいことじゃないだろ』
アナスタシアの言う通り、陣内を歩いている最中に多少の捕虜を見掛けることができた。元々エスト高原に住んでいた遊牧民や、高原南部で陣を構えている軍からの脱走兵らしい。特別痛めつけられた様子はなかったものの、周囲を魔族に囲われた状況は彼らにとって快適とは言い難いはず。その不安に漬け込めば、難なく協力者を得ることはできるだろう。
「その通りではあるがな」
『お前が口下手なのは分かってるから、交渉の一から十まで任せようだとかは考えてねぇよ。適当にフォローしてやるから、気楽にやれって』
「むぅ」
アナスタシアと出会う前は、こうした猪口才な細工はノアの担当であった。口達者な彼は、あれよあれよと言う間に心を惑わし都合のいいように人を転がすことが、ヤマトでは到底及ばないほど得意だったのだ。その分、ノアが気乗りしないらしい荒事全般をヤマトが請け負うという、ある意味分かりやすい役割分担ができていた。
(過去を懐かしんだところで今が変わる訳でもなし、か)
溜め息を飲み込む。
今この場所にノアはいない。自分ができることを愚直にこなす他ないのだ。過去を懐かしんでいる暇があれば、明日からの仕事に備えて身体と精神を休めるべし。
そう思い直して凝り固まった身体を解し始めたところで、アナスタシアの声が再び通信機から響いた。
『そういや、堅物ヘクトルと会った感想はどんなもんだった? 結構腕は立ちそうだったろ?』
「そうだな」
今度は溜め息を隠さない。むしろ、通信機の先にいるアナスタシアへ聞こえるよう大げさに息を吐いた。
「驚かされた。一度顔を合わせたことはあるはずだが、そのときよりも“大きく”見えたな」
『へぇ? まあ確かに、魔王の坊っちゃんと比べたら器はデカいか』
他人事ながら哀れになるほど魔王が軽んじられているが、それも致し方ないことなのか。世間一般で見れば魔王も充分“王”らしい風格は備えている。平穏な世であれば名君と讃えられ、乱世であろうと名を残せる君主に足る力ではあるはずだ。だがアナスタシアの言う通り、彼が従えているはずの騎士団長――特にヘルガとヘクトルと比べてしまうと、“王”という名が滑稽になるほど魔王は青く見える。
「奴は一騎士団の団長に留まっていい器ではない。人の間であれば、諸国随一の英雄と称されていいほどの傑物だ」
『ずいぶんと大きく買うんだな』
「それだけのものを感じた、という話だ」
長らく大陸諸国を旅して回ったが、その最中にヘクトルと肩を並べる傑物はいただろうか。魔王は開幕戦の必勝を信じてヘクトルに先鋒を任せたと聞いたが、確かにあの男ならば信ずるに値する。
無論、戦に絶対はない。とは言え、ヘクトル率いる魔王軍を前にした人間が苦戦を強いられることは、どうやら間違いなさそうだった。
「奇策を講じなければ、人が勝つことは難しいだろうな」
『奇策ってのは例えば?』
「さて。暗殺、夜討ち、特攻、陽動。戦場に規律など存在しない。奴が如何に優れた将であろうと、死兵の剣を幾百も浴びせられたならば死ぬだろうよ」
『おっかないねぇ』
もっとも、そうした死に物狂いながら起死回生の策があったとして、実際に仕掛けられるかは別問題。ヤマトが住んでいた極東の戦狂いならば躊躇いはしないだろうが、久しく戦乱を経験していない大陸の兵が敢行できるとは、正直思えない。人の切り札たる勇者ヒカルが姿を現したとしても、ヘクトルならば退き立て直すくらいは容易いのではないか。
やはり、高い確率でヘクトルが勝利すると見立てた方がいいだろう。ヤマトが考えつく程度の奇策ならば彼も用心するはずであり、ゆえに敗北する可能性は下がっていく。
そう考えたヤマトであったが、アナスタシアの方は少々違っていたらしい。小さな唸り声が通信機越しに耳に入る。
「どうした」
『いや、奴がそんな大層な野郎とは思えなくてね。お前がもてはやすほどの才はないと思うぜ?』
「実際に対面していないからだ」と言い返しそうになって、口をつぐむ。
ヤマトよりも遥かに長い時間を魔王軍と共にすごしたアナスタシアだ。言うまでもなく、彼女は散々に魔王軍の連中と顔を合わせているはずであり、その実力を正しく知っていることだろう。ヤマトが見落としていたものをアナスタシアは捉えていたのかもしれない。
続きを促すように通信機を耳へ押し当てれば、ややあってから再びアナスタシアの声が響く。
『確かにお前が言う通り、ヘクトルは有能なことに違いないんだけどな。あいつはどこまでいっても“堅物”なんだよ』
「ふむ」
『規律の中ならば有能。思考停止して愚直に任をこなすことは天才的。――だが、そこから外れることができない』
彼女の話を聞きつつ、天幕の中に設置されたベッドに腰掛ける。
『分かりやすく言えば、対応ができないのさ。マニュアル通りの問題対処、訓練で習った課題解決はできるが、それ以外は駄目。常に思考停止している』
「……そんなことがあるのか?」
『あるさ。現にお前の正体に気づいていても、何も言わなかっただろ? あれは見逃したんじゃなくて、見なかったことにしたんだよ』
酷い言い掛かりのようにも聞こえるが、そうと否定できないだけの力がアナスタシアの言葉から感じられる。
思えば、アナスタシアはただ一人の力によって魔王軍から半独立状態を勝ち取れるだけの規格外な存在だ。ヤマトの眼から見てヘクトルが規格外であろうとも、同程度――いやそれ以上の規格外たるアナスタシアからすれば、ヘクトルなど可愛いものなのかもしれない。
今一つ納得し切れない心地のまま頷けば、アナスタシアの方は話を締めくくるように声音を変える。
『ま、必要以上にビビることはねぇって話さ。戦いにルールはないから、あっさりあいつが負ける可能性もあるしな』
「ふっ、そんな場面はなかなか想像できぬが」
『人の中にも化け物は混じってるんだ。あっても不思議な話じゃねぇよ』
それは、確かにその通りなのだろう。
将としてヘクトルに比肩できる者に心当たりはなかった。だが一介の武人としてならば、ヘクトルを上回る才の持ち主に出会ったことはある。そもヤマトからして、ヘクトルとの間に隔絶した差を感じるかと問われれば、そんなことはないと答えられる。
『ただ、今からそんなことを心配しても仕方ないし、どうだっていい。俺たちがやるべきは人側との協力者を見つけ出すことだ。寝不足で舌が回らないなんてことないように、しっかり休めよ?』
「そう、だったな」
再び気が重くなりかけたところを、首を振って払拭する。
どこか楽しげなアナスタシアの笑い声が耳の奥で木霊することを感じながら、ヤマトは重い頭をベッドに預けた。




