第241話
「―――」
黒いフードの中から深い笑みを覗かせるクロへの返答は、沈黙。
当然の帰結だ。クロとは散々に争い合ってきた上に、彼が慇懃無礼な佇まいの裏に秘めたものをヤマトは知らない。あまりに不明瞭なことが多すぎるクロという男は、天地が引っ繰り返ろうとも信ずるに値しない。
さっさと結論づけて立ち去ろうとするも、その前方を困ったように肩をすくめたクロが遮った。
「ちょっと待ってください。少し話を聞くくらいはいいじゃないですか」
「………」
「あらら、嫌われてしまったものですね。貴方にとってもそう悪くない話だと思うのですが」
飄々とした態度を崩さず、よよと泣き崩れる素振りながらも懐を見せようとしない。嫌というほど見慣れた姿だ。
ヤマトとクロの関係が平行線を辿っていることを見かねてか、脇に控えていた青鬼ジークが声を上げた。
「クロ。まずは僕たちの理念を明かすべきだ。誰とも知れぬ相手と手を組める者なんて、そうはいない」
「ふふっ、それもそうですねぇ。それでは、私たちが何をやっているのかを簡単に説明するとしましょうか」
仮面の中で僅かに視線を動かす。
たったそれだけの動作に、ヤマトの関心を惹けたことを察したらしい。口元の笑みを深めてから、クロは朗々と語り始める。
「端的に言ってしまえば、私たちの目的は一つだけ――今の世界を変えようということです。勇者と魔王との戦いが幾度となく繰り返され、ろくに成長もできず荒れていく大地。勇者を奉るがゆえに権力を有し、大陸を牛耳る教会。加護という果てのない力にばかり目を奪われ、自ら足掻くことを忘れた諸国。そして、圧倒的な技術力を後ろ盾に大陸に覇を唱えんとする帝国。今の世界は少々歪なものですからね、貴方も何か不満を抱くところはあるでしょう?」
「………」
即座に否定することは、できなかった。
そもそもアナスタシアとの同盟も、今の世で繰り返されている勇者と魔王の戦いを止めさせるためのものなのだ。この世界に不満など何一つないと言えるのならば、彼女の手を取ることもなかった。
「理由も方法も結末も、私たちは何一つとして統一はしない。ただ「世界を変革する」という一事においてのみ手を組み、そして互いの力を利用し合う関係。ひとまず手を携えることにしていますが、不必要と断じたならば仲間内で争うこともある。その程度の同盟です」
ずいぶんと都合のいい関係のように聞こえる。
必要なときだけ手を組み、不必要ならば即座に斬り捨てる。そんな非情と謗られる行為であろうとも、クロの同盟においては正当なものと認められる。己の信念・夢を叶えるという一事に専念するのであれば、それは拒む理由を探す方が困難なくらいには、理想的な関係だ。
グラリと心の天秤が傾いたことを悟ってか、クロは更に言葉を重ねる。
「貴方に損はさせませんよ? 勇者を守りたいのであれば、私たちは貴方の魔王殺しに力を貸しましょう。世から争いを断ちたいのであれば、私たちと共に争いの根源を探りましょう。世に覇を唱えたいのならば、共に帝国を乗っ取りましょう。――武の頂を欲するのならば、それに至る敵手を用立てましょう」
「―――ッ!?」
それは、ノアとアナスタシア以外に話したことのない子供じみた夢だ。
この現実が見えているならば即座に諦めて然るべき。それでも諦め切れないゆえに、胸の奥に秘めた炎。例え愚者と謗られようとも譲るつもりは毛頭なく、そのためならば世の道理を変えるくらいは難なく行えてしまう。
だが、なぜクロがそれに言及できる。
惑うヤマトの心を見透かすように、クロは笑みを深めた。
「貴方には今の世界はどう映りますか。帝国が起点となり仮初めの平和が訪れ、かつてのように武に投じる者は数少ない。貴方が幾ら道の果てを目指そうとも、この世界では道は長くは続かない」
「………」
「想像してみてはどうでしょう。戦いに満ち、貴方を高揚させるに足る武芸者が溢れる世界。誰もが武を磨くことに専心し、才ある者が称賛と名誉を得ることができる世界を」
子供のように遮二無二に刀を振るい、己の腕を磨くことが認められる世界。それはきっと、想像するよりも遥かにヤマトにとって生きやすい世界なのだろう。そんな世界があるのならば、確かにそこに身を投じたいという気持ちはある。
「私たちは皆が、それに類する願望を有している。加えて、それを成し得るだけの力を有している。一人では険しく困難な道であろうと、私たちを利用すれば叶えることは可能でしょう」
ヤマト自身も腕に覚えがあるゆえに、理解せざるを得ない。クロたちの実力は本物だ。彼らの助力を得れば大陸を変革することは容易い。それこそ、勇者と魔王の戦いを粉砕してやることも、太陽教会の威光の下に築かれた秩序を作り変えることも、それこそ帝国を解体してしまうことすら、不可能ではない。
――だが。
(こいつらに――クロに背を預けることは、危険だ)
直感する。根拠も理屈もないが、彼らは信ずるに値しないと本能が叫んだ。
ヤマトが戦士として培った直感からすれば、クロは実に危険な人物だ。敵に回せば手強く、さりとて味方に回せば裏切られる。背を向けたならば心臓を貫かれ、さりとて眼を逸らさずにいては幻惑させられる。叶うならば即座に斬り捨て、金輪際関わり合うことのないよう追放するべき存在。
人智の及ばぬ神算鬼謀に計り知れない技術力を宿していても、アナスタシアの方が信ずるに値する。彼女はまだ一本通った信念を持ち、ゆえに理解ができた。
だが、クロからはそれを感じられない。とうとうと熱を込めて語られた言葉、その全てがおよそ真なるものと思えない。青鬼と赤鬼はそれに同意して手を結んでいるのかもしれないが、少なくともクロは――全く別の目的を秘めているように見える。
そして、それを明かさぬのならば手を組むことはできない。
「……やれやれ、振られてしまいましたか」
固辞する意思を確かめてか、クロは笑みを引っ込めて首を横に振る。青鬼と赤鬼はその結末を半ば想定していたのか、反応らしい反応を見せることもしない。
落胆を隠そうともしない溜め息を漏らした後に、クロは軽く指を鳴らした。――途端に、耳元の通信機にノイズが走る。
『――そいつらに何を言われても口答えするなよ? 下手に会話をすれば引き込まれるぞ』
「……?」
まるで、クロが通信を遮断した瞬間から一瞬たりとも隔たりがないようなアナスタシアの言葉。
思わず首を傾げそうになったところで、クロは仰々しい礼をした。
「それではヤマトさん。私たちはこれにて失礼します。何か用があれば気兼ねなく声を掛けてくださいね。皆、行きますよ」
『ケッ! 間違ってもそいつらを信用するんじゃねぇぞ。平気な顔して刺されかねねぇ』
アナスタシアが通信機の向こう側で怒声を上げていることに気づいているのか。クロは苦笑するように肩をすくめた後、青鬼と赤鬼を促して歩き始めた。
「………ふぅ」
その背を見送り、曲がり角の先に姿が見えなくなったところで。
ようやく身体の緊張を解し、そっと息を吐く。時間にしてほんの数分も経っていなかったはずだが、それを遥かに上回るだけの疲労感が身体に蓄積していた。刀の柄から手を外せば、その手の平に汗が滲んでいることが自覚できる。まるで、一戦交えた後のような状態だ。
『ったく胡散臭い奴らだ。ほらヤマト、また妙な連中に絡まれる前に戻って来い』
「そうだな」
ただ会話を交わしただけだというのに情けない。
そんな忸怩たる思いを僅かに覚えながら、ヤマトは重い身体を引きずってアナスタシアの研究室目指して歩みを再開させた。




