第24話
数日前に来たときと同じくらいの人が、駅構内にひしめいていた。
大陸各地から、グランダークに用がある商人や旅行者に貴族。そして、グランダークから大陸各地へ旅立つ、ヤマトたちのような冒険者や旅行者の姿。
それを眺めて、ヤマトは小さく溜め息をついた。
「凄い人の数だね……」
「普段よりも多いと思うがな」
武術大会を目前にしていたときと同程度の盛況。それには無論、理由がある。
大陸中に報せは届いたものの、眉唾同然として真剣には受け止められなかった勇者ヒカルの存在。そこで、魔王軍を名乗る魔族バルサ率いる集団の襲撃を、勇者ヒカルが撃退したという新たな報せが大陸を駆け巡った。好奇心を刺激された人々は、少しでも勇者の存在を知るべく、まだ復興作業で忙しいグランダークへ大挙して押し寄せているのだ。
猫の手でも借りたい状況のグランダークからすれば、彼らの存在は天恵であっただろう。バルサが残していった傷痕も、すぐに修復が進められているという。
「それにしても、ヒカルはまだかな?」
「さて。それらしい姿は見えないな」
グランダークでは復興作業が続けられている。ヤマトたちもそれに参加してもよかったのだが、結局は新しい地へ旅立つことを決めていた。その理由は多岐に渡るが、一番には、冒険者としての血が騒ぎ始めたというのが大きい。生粋の夢追い人である冒険者にとって、一箇所にじっと留まり続けること以上に退屈なことはない。
そうしたヤマトとノアの旅立ちに、ヒカルは見送りに行くという言伝を残していた。復興作業の陣頭指揮を一部取らなければならない立場なため、バルサとの戦いの後はほとんど会う機会がなかったのだ。このまま会わなくなってしまうには惜しいと、ヒカルも思ってくれたのだろうか。
「……ん? あれって」
ノアが訝しげな視線を人混みの中に向けている。
そちらの方をヤマトも見てみるが、特に変わったところは見当たらない。仲睦まじげに歩くカップルや家族、忙しなく小走りになった商人の男、どこか必死な様子でこちらに駆け寄ってくる少女……。
「――あぁ」
少女の顔を見て、脳裏が刺激される。数秒ほど考え込んでから、その正体に気がついた。
ヒカルだ。森の中で一瞬だけ見た横顔に、似ているような気がしないでもない。
ノアが手を振ると、少女はパァッと顔を輝かせた。
「ごめん! 待ったかな?」
「いやいや。それにしてもずいぶんと雰囲気が変わったね?」
「あぁ、二人にはもう話そうって決めたんだ。あのときにも言ったでしょ?」
少女はやはりヒカルであったらしい。ノアと仲よさげに話している。
絶世の美少女とは少し趣が違うのだろうが、人当たりがよさそうで、親しみを持てる顔をしている。コロコロと表情が変わる様は小動物にも似ている。兜を被って勇者らしく振る舞っていたときは、やはり無理をしていたのかもしれない。今ノアと話している姿は、かなり生き生きとしているように見える。
「その姿でここまで来たんだ。止められなかった?」
「止められるよ? 仕方ないから、抜け出してきちゃった」
「えぇ!? まったく……」
勇者の素顔は誰も知らないのだから、問題ないと言えば問題ないのだろうか。
それでも、ヒカルの無茶な行動にノアも驚きを隠せなかったらしい。
「それと、もう行くんだよね?」
「うん。まだ行き先は決めてないけどね」
そう言ってノアは大陸地図を指差す。
王都グランダークがあるグラド王国は、大陸の中南部に位置している。グラド王国にほど近く目ぼしい場所は、すぐ北にある聖地――太陽教会の総本山か、南部の海洋諸国アルスか。それ以外にも鉄道は大陸中を縦横無尽に走っているため、どこに行くこともできる。
鉄道の路線が赤く記された地図を眺めたヒカルは、口を開いた。
「勇者の旅はね。歴代勇者が使ったっていう勇者の遺物を探し出すことが目的なんだ」
「へぇ、勇者の遺物」
ヒカルは空間を歪ませ、その中から聖剣の柄を覗かせる。どうやら、聖剣もその遺物の一つであるらしい。
「もうどこにあるのか、正確な情報はないんだけどね。少し前まではあったらしいっていう情報はあるから、これからはそれを頼りに大陸を回ることになる」
「グラド王国に来た理由は?」
「本来なら来るはずはなかったんだけど。あまりに私が戦い慣れてないから、武術大会で慣らそうって話になったみたい」
「なるほどねぇ」
「話を戻すけどね。次の私の目的地も、実は決まっているんだ」
そう言って、ヒカルは一点を指差す。
「海洋諸国アルス、だよね? ここに勇者の鎧があったんだって」
「鎧か……」
かつて、アルスに赴いたときの記憶に掘り起こす。特にそれらしいものを見聞きした覚えはないが。
ヤマトが首を傾げるのを尻目に、ノアとヒカルの話は続く。
「その、できれば二人にも、ね」
「うーん……、僕は構わないんだけど、教会の人は許してくれるの?」
「……難しいと思う。けど、何とか頼み込んでみればもしかしたら――」
勇者は太陽教会の切り札とでも言うべき存在だ。
実を言えば、ただの冒険者にすぎないヤマトやノアがこうして仲よくしていることすら、教会の目に留まればどうなるかは分からない。
申し出こそありがたいが、ヤマトたちがヒカルの従者として旅に同行することは難しいのだろう。
「ごめん、ヒカルに迷惑はかけたくないから、遠慮するよ」
「……そっか」
しょぼんと表情を暗くするヒカルを尻目に、ノアは地図をしばし眺めて、
「ねぇヤマト、そろそろ夏だねぇ」
「………? あぁ、そうだな」
突然の話題に目を白黒させながら、ヤマトは頷く。
「夏なんだから、思い切り暑いところに行きたくならない?」
「醍醐味ではあるんだろうな」
「だよねだよね」
砂漠にでも行くか、と茶化したくなる気持ちは堪える。
こうして回りくどい言い方をしようとする辺りは、ノアらしいのかもしれない。ヒカルには若干気の毒であるが。
「アルスはさ、結構有名なリゾート地でもあったよね」
「あぁ。鉄道が開かれて以来、大陸各地から旅行者が絶えない観光名所だな」
話の流れを把握したのか、ヒカルの表情は徐々に明るくなってくる。
素知らぬ顔をするノアに溜め息をつきながら、ヤマトは口を開く。
「なら、アルスに行くか」
「そう? ヤマトがそう言うなら仕方ないかなぁ」
喜色満面なヒカルの背から、尻尾がぶんぶんと振られている幻覚が見える。
微妙に面倒くさい相方に呆れながら、ヤマトはノアを促す。
「アルス行きは二番ホームだ。行こうか」
「そうだね。じゃあヒカルも見送りありがとう! どこかで偶然会うかもしれないけど、そのときはよろしくね!」
「あぁ! 偶然会えることを期待してる!」
勢いよく手を振るヒカルに手を振り返しながら、ヤマトたちはその場を後にした。
◇◇◇◇◇
ゴロゴロとトランクを引く音を耳にしながら、ヤマトは前方に佇む人影を見つけた。
「あれって……」
「………」
ノアの目つきから逃れるように、すっと視線を逸らす。
身の丈はヤマトと同程度。身体つきは若干華奢だが、それに反するように頭から巨大な角が二本生えている。――魔族だ。もっと言うならば、バルサだ。
「今回の事件の主犯者って、確か拘束されたんじゃなかったっけ。それで、数日後に処刑されるって」
「………そうだな」
「捕らえられたのは、魔獣用の檻。魔力を封じ込める他に物理的にも超頑丈で、魔獣が突進しても壊れないって折り紙つきの」
「………よく知ってるな」
「そういえば、その檻が今日、真っ二つになった状態で発見されたらしいよ? 鋭利な刃物で切断するって無茶苦茶な方法で破壊されて、中に捕まえていた魔族も逃げ出したんだとか」
「……………」
ずいぶん詳しい。
まるで見てきたかのような詳しさだ。
「土下座されて頼まれたから見逃したけど、結局どういうつもりだったのさ」
「特に、深い意味はない」
詰問するノアの視線に脂汗を滲ませていると、バルサの方もヤマトたちに気がついたらしい。
鼻をふんと鳴らして、足音荒く近づいてくる。流石の回復能力と言うべきか、その身体には既に傷は残されていない。
「――余計なことをしたな」
「本当にね」
ヒカルに迷惑がかかるよ、とノアは額に手を当てている。
二方向からじろりと厳しい視線に晒されたヤマトは、大きく息を吸ってからバルサに対峙する。
「まだここにいたのか」
「……俺には帰る場所はなくなったからな」
魔王軍からは、命令違反者として処分された扱いになったのだったか。クロが紅い宝石を埋め込んだという辺りからも、そこは確実であろう。
少なくとも、しばらくは騒ぎを起こすつもりもないらしい。そうして落ち着いて見てみれば、バルサの雰囲気は幾分か険が取れているように思えた。
「なんか、雰囲気変わったね」
「ケジメをつけた、ってところだ」
ノアの言葉にも応じて、バルサは虚空を遠い目で眺める。
「俺はずっと、過去に囚われていた。『あの人』と決別したつもりでいて、ずっと縛られていた」
「………」
「あのときのお前は、なぜか『あの人』と重なって見えた。即興で構えを真似るなんて、ふざけたことをされたからかもしれんが……」
バルサにとって、『あの人』という者はよほど大事であったらしい。そんな『あの人』と重なったヤマトと対峙し、そして拳を交えたからこそ、何か新しいものが見えたのだろうか。
詳しい事情は分からないが、言えることは言っておいた方がいいのかもしれない。そんな直感に突き動かされて、ヤマトも口を開いた。
「お前は剣か拳か、どちらか片方だけに集中した方がいい。俺が真似た拳の型も、実際は半端もいいところだったはずだ」
「……分かってるさ」
そんな半端な型ですら、師を想起させた。バルサは、ただの紛い物と認められなかった。
それほどまでに、バルサの拳も紛い物――中途半端であったということなのだろう。事実、最後のバルサとの戦いは、力だけを見ればバルサが圧倒していたはずだった。それでもヤマトが抗えたのは、バルサはほとんどその力を発揮できなかったところに理由がある。
「次は力の全てを出してこい。そのときを楽しみに待っている」
「……力の全て、か」
クロが埋め込んだ紅い宝石は、確かに強力な力をバルサに与えた。そして、その力は未だに失われてはいない。
気を抜けば身を食い荒らすような、獰猛かつ凶悪な力。それを扱う。
「さながら、悪魔に渡された力って感じだよね」
「ククッ! 魔族の俺が、悪魔を語るか……」
ノアの茶化しに笑みを零しながら、バルサは自身の拳を見下ろした。
「だが、そうだな。このまま力に飲まれるというのも癪だ。せいぜいあがくとしよう」
その表情は、どこか邪悪さを混ざらせながらも、すっきり晴れ晴れとしている。道を定めた男の顔だ。
それに満足気に頷いて、ヤマトは拳を突き出す。
「ではな。また会おう」
「ふん。そのときは後悔させてやる」
拳では応じず、鼻で笑ってバルサはその場を立ち去る。
その背中を見送るヤマトに、ノアはやれやれと肩をすくめる。
「ずいぶんベタな青春マンガみたいだったね」
「うるさい」
少なからず自覚していただけに、改めて言われると気恥ずかしさが込み上げてくる。
ヤマトの視線から逃れるように、ノアはさっさと二番ホームを目指して歩き出す。
「――さあヤマト! 次の目的地は海洋諸国アルスだ! 忘れ物はないね?」
「ああ、無論だ」
冒険者が忘れてはいけないものは、果てなき好奇心ただ一つ。それが確かに胸の内に灯っていることを自覚して。
ヤマトは、ノアの後を追って足を踏み出した。
グランダークの空は、透き通る水晶のように青々と輝いている。
徐々に姿を見せる暗雲の気配を感じながらも、夢や期待を胸に抱いて。
ヤマトとノアの冒険は、まだまだ続く。