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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
開戦編
237/462

第237話

 歴史研究家によれば、帝国という超巨大国家の誕生によって大陸の状況は様変わりしたという。

 直近に行われた勇者と魔王の戦争により荒廃した大陸は、各地に乱立した諸国家による紛争に突入した。一日とて安寧が訪れないほどに戦火がありふれ、戦争での死者とは比べ物にならないだけの犠牲者が出る時代。明けることのない夜、一寸先も見通せない闇を斬り裂く流星のように現れた男が、帝国の初代皇帝だった。


「獅子の如き髪と髭をたなびかせ、幾万の軍勢を百騎で蹴散らす英傑か」


 それは帝国に残された伝説。

 無論誇張された部分も多いだろうが、彼が千に満たない少数の軍勢で大軍を蹴散らしたことは事実。騎兵の扱いで彼の右に出る者はなく、開けた大地――ノアの眼前に広がるエスト高原のような地においては、特に無類の強さを発揮したという話だ。


 ――そんな男が現代にいれば、この光景に高揚したのだろうか。


 見渡す限り障害物のないエスト高原。その遥か北方の地平を黒い影が埋め尽くしていた。仁王立ちする巨人、俊足で駆ける狼、天を舞う鳥たち。そのいずれもが理性なき魔獣であり、ゆえに彼らが群れをなしていることは明らかに異様。

 奴らこそが魔王軍。人を凌駕した力を有する魔族に率いられ、如何なる手段によってか魔獣共を統率した軍勢。奴らについて分かっていることは只一つ――間もなくこの地へ押し寄せ、その力をもって人を蹂躙せんということのみ。


『陣の構築を急げ! 奴らはすぐそこにまで来ているぞ!』

『柵が足りない! 責任者は誰だ!!』

『歩兵部隊整列、奴らの接近に備えろ!!』


 阿鼻叫喚。そこかしこで男共の怒号が飛び交い、時代遅れな魔導銃を手にした兵士たちが隊列を組む。

 皆一様に焦りの色を顔に浮かべて、すぐ近くに迫った脅威に心胆を震え上がらせているようだった。バタバタと慌ただしく駆け回る兵士たちを眺めながら、ノアはそっと溜め息を漏らす。


(帝国兵以外はろくに鍛えられてないってヤマトから聞いていたけど、ここまでとはね)


 魔王軍迎撃のため諸国からかき集められた兵士たち。彼らも自身の国を守る責務を果たしてきたはずだが、その佇まいは新兵と言って相違ない。エスト高原の風に乗って運ばれる獣臭を受けて、顔を青ざめさせるほどだ。そんな情けない姿を晒す彼らが、間もなく訪れる実戦で奮起できるとは到底考えられない。

 想像を絶する悲惨さを目の当たりにしたからだろう。魔王軍が姿を現す前は商魂逞しく動き回っていた商人たちが、今や我先にこの場から離れんと駆け回っている始末だった。


「そこの嬢ちゃん! 何をしに来たのか知らないが、ここは危ないぞ! さっさと後ろに避難しろ!」


 荷車を手にした男が声を上げる。彼も戦争前に稼ごうとやって来た行商人の一人だろう。言葉遣いが荒く、外見も正しく荒くれ者という風情であるものの、その視線にはノアを気遣う色が濃く表れていた。

 誰もが我が身可愛さに逃げ惑う中、彼のように他人を気遣える人は珍しい。思わず唇を緩ませながらも、ノアは首を横に振った。


「分かってる。だけど、まだ用が残っていてね」

「用だと!? 俺もあまり言いたくはないが――ここは駄目だ。直に破られる」

「勿論、それも承知の上だよ。だけど大丈夫、こう見えても冒険者だから」

「クソっ、雇われってことかよ……!!」


 魔王軍襲来に際して、平和な世にあって魔獣退治に精を出してきた冒険者は真っ先に招集された。経験値を見込まれ、大多数を魔獣で構成された魔王軍の戦力を削るために動員されるのだ。その強制依頼で動員された冒険者たちは、元が根無し草に等しい身の上であるがゆえに、軍の意向に逆らって逃げ出すことを許されない。

 そんな事情を知っているのか、行商人の男は忌々し気に唾を吐いた。


「嬢ちゃんが戦うってんのに、あいつらは……! こんな無様を晒すくらいなら、素直に帝国の手を借りとけってんだ!」

「確かに、帝国を除外したのは冷静な判断とは言えないよね」


 大陸でまともな戦力と言うべき唯一の集団――帝国軍は、この陣に姿を見せない。その理由は、エスト高原に陣を敷く諸国が帝国を除け者にしたことに集約された。

 魔王軍襲来に際して、大陸の諸国は一つの決議を下した。すなわち、帝国の手を借りず戦争に勝利するということ。戦果を帝国に独り占めされ、必要以上に帝国の力を強める結果を恐れたのだろうが――この場合は失策だったと嘲笑せざるを得ない。

 帝国を知らぬ者ならいざ知らず。帝国生まれのノアから見れば、ここの連合軍はあまりに幼稚な集団であった。あまりに時代遅れな武装、非効率的な軍隊運用、無茶苦茶に交錯し兵を惑わせる指揮。少しでも兵法を囓った者であれば、もはや勝つ気がないのではないかと疑わしくなるほどの有り様。この戦いを勝ち抜けないことは、もはや火を見るより明らかだ。


(帝国を除け者にした自業自得――とは、一概には言えないんだけど)


 スッと目を細めて、ノアは視線を転じる。北方から徐々に迫りつつある魔王軍の影から、遥か南方にそびえ立つ施設――帝国のエスト高原駅へ。

 駅と銘打っておきながら、並大抵の城塞以上の堅牢さを見せつける砦。その内側では帝国兵が静かにひしめいているはずであり、魔王軍が押し寄せたとしても易々と陥落することはあるまい。この陣を抜け出す商人たちが目指している場所も、エスト高原駅だろう。駅を守護する兵の内、ほんの一割程度が出陣するだけで戦況は一変するに違いない。初代皇帝は類稀な軍才によって百倍の敵を蹴散らしたというが、現代の帝国軍もそれに近しい結果はもたらせるはずだ。

 それでも、帝国軍は頑なに出陣しようとしない。――なぜか。


(見殺し。そして様子見。連合国軍のことを、魔王軍の戦力を測る捨て石としか考えていない)


 事は単純。連合国が帝国を除け者にしたのと同じくして、帝国も連合国を見限ったのだ。連合国軍が幾ら傷ついたところで帝国の痛手にはならないのだから、せいぜい捨て石として使い潰してやるということ。

 残酷で冷酷な判断ではあるが、一国家として合理的でもある。そのことをノア自身が認めてしまったがゆえに、ノアは帝国を非情と謗ることもできない。


「ともかく嬢ちゃん! 奴らを庇う必要なんざねぇ、絶対に死ぬんじゃねえぞ!」

「ありがとう。そっちも気をつけてね!」

「……くそったれ!!」


 自棄になったような叫びを残して、男は荷車と共に駆け去っていく。戦場へ出てくるだけあって身体は頑丈らしく、その足取りはなかなか天晴と言いたくなる頼もしさだ。


(親切だけど強か。ちゃんと生き残ってくれるといいんだけど)


 並大抵の兵士よりも分厚い背中を見送ってから、ノアは周囲に視線を巡らせる。

 エスト高原南端に設けられた簡易砦。魔王軍襲来の報せを受け、連合国軍によって作られた防衛施設だ。幅深さ共に一メートル前後の堀や柵の他に、遥か遠方の敵を蹴散らすための魔導砲などが置かれている。彼らがこの場に到着して一週間足らずであると考えれば、それは充分以上の出来栄えと言える。

 だが、稚拙であることに違いはない。


「動き出した」


 視界の端。エスト高原の遥か遠方に陣を敷いていた魔王軍が、ゆっくりと動き始める。

 まだまだ遠いと気を抜くことは許されない。もう数時間もしない内に軍はここへ到着し、目を覆いたくなるほどの惨状が広がることだろう。そのことに思うところがないではないが――ノアには、やらなくてはならないことがある。


「やれやれ、大変なことになったね」


 思わず声に出して、隣に友の姿がないことに気がつく。

 共に旅をして数年。つかず離れずとは言わずとも、相当な時間を共有した人物の喪失は、自覚していた以上の影響を心にもたらしていたらしい。そのことに改めて苦笑してから、前方の魔王軍――その影を更に越えて、目に見えない北地へと思いを馳せる。


(あれからだいぶ時間も経ったけど。ヤマト、すぐにそっちへ行くよ――!)

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