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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
???編
234/462

第234話

(何がしたかった、か)


 アナスタシアの言葉を胸中で反芻する。

 物心ついたばかりの頃に“あの人”と出会い、刀術に打ち込んだ日々。神皇の近衛として見出されたことを契機に故郷を飛び出し、我武者羅に大陸の武芸者を探し回った日々。その最中で出会ったノアと共に、ヒカル率いる勇者一行として旅した日々。

 思い返してみれば、目が回るほどに忙しない毎日だった。己がどのような道を歩んできたのか、これから先にどのような道が続くのかなどを思慮する暇もなく、その一瞬を懸命に生き抜いてきた。道の先に描いた夢の姿を見たことも、いつが最後であったか。


(俺は何を夢見ていたのだろうな)


 幸いと言うべきか、ここ数日見てきた夢の景色で過去の記憶はかなり戻ってきている。かつての己を回想することは大して難しくない。

 夢というものを漠然と描き始めたのは幼少期。“あの人”と出会い刀に向き合ったときのこと。


(あの頃の俺は、“あの人”に近づくことで必死だった)


 何もかもが目新しく、一つに執着することもできず目移りばかりを繰り返した日々。そんな幼いヤマトの眼に映った“あの人”の輝きは、色鮮やかさが少々すぎていた。もはや他の何物にも目を移せぬと言えるほどに心惹かれ、その一端に近づくことがヤマトの全てであった。寝ても覚めても刀のことばかり考えていた理由も、全ては“あの人”に並び立てるようになるため。一年に一度だけの出会いを心待ちにして、脇目も振らず刀術の鍛錬に勤しんでいた。

 そんな日常が変化したのは、いつのことだったか。近衛として就任する話を告げられた頃か? ――いや、違う。

 きっかけは“あの人”の言葉。“あの人”を中心として完結されていたヤマトの世界が、その言葉をきっかけに広がり始めたのだ。




 “あの人”と出会って数年が経過した頃のこと。

 いつも通りの頭が茹だるような暑さの中、幼いヤマトは森で“あの人”との邂逅を果たしていた。


「――よし、今回はこのくらいにしておこうか」

「はい、師匠!」


 だいぶ手に馴染んだ木刀と共に、師の指導を聞きながら素振りをすること数刻。陽が中天を越して暑さが頂点に達した頃に、“あの人”が手を叩きながら口を開いた。

 声だけは威勢よく応じながらも、止まるところを知らず噴き出す汗に顔をしかめる。滝のように流れる汗で着物はびしょ濡れになり、もはや乾いたところを探す方が難しい始末。叶うならば、今すぐに着物を脱ぎ捨てて川目掛けて駆け出したいところであったが、“あの人”の前でそのような醜態を晒す訳にはいかない。

 そんなヤマトの痩せ我慢を悟ってか、苦笑いと共に“あの人”は立ち上がる。


「この近くに川があったと思うのだけど。案内してもらっていいかな」

「分かりました!」


 夏の暑さと極度の疲労が合わさり、凄まじい熱気が身体にまとわりついていた。

 何をしてもつきまとう不快感を堪えつつ、歩いて数分ほどの場所を流れている川を目指して腰を上げた。背や太腿の肉が悲鳴を上げるが、努めて無視する。


「ふふっ、ヤマトはいつも元気だね」

「そ、そうですか?」

「あぁ。私は適当に立ち止まることを覚えてしまったから。ヤマトみたいに真っ直ぐ走り続ける姿は、ちょっと眩しく見えるほどだよ」


 “あの人“の言葉はいつも抽象的で、幼いヤマトには今一つ要領を得られないことが多かった。それでも、“あの人”がどうやら自分を褒めてくれているらしいことだけは理解できて、その面映さに頬が緩んだ。何となしに先導する足も弾む。

 そんなヤマトの高揚が伝わったのか、“あの人”も笠の下で緩やかな笑みを浮かべた。


「里での暮らしはどうだい? 刀の鍛錬も、共に励む仲間はいるんだろう?」


 ふと“あの人”が淡麗な口を開いた。川で涼む道すがらの無聊を慰めるつもりだろうか。

 なかなか機会のない世間話に僅かな驚きを覚えながらも、ヤマトは脳裏に記憶を呼び起こして答える。


「師匠から刀を教わったおかげで、師範からも褒めてもらえてますよ。年始めにあった大会でも四位になれたから、次はそれより上を目指そうって具合です」

「へぇ! 去年は十位だったかな。ずいぶんと好成績じゃないか」

「同い年の相手にはだいたい勝てるようになって、そろそろ大人に混じって鍛錬してもいいだろうって」


 里の師範も類稀な力を有した剣士だが、それ以上の腕を持つ師匠に習っているのだ。そのくらいはやり遂げなくては、いつも指導してくれる師匠に顔向けできまい。

 そんな思いと共に口にした言葉だったが、“あの人”は存外に嬉しそうな様子を見せてくれる。


「それに、来月行われる隣里との交流試合に、僕も呼ばれることになったんです! まだ腕は未熟だけど、得るものはあるはずだって師範が」

「ふむ。確かに、別の流れを汲む剣士との試合は有意義だろうね。自分との差を比べることで、改めて刀を見つめ直す機会になるはずだ」

「そうですね」


 仔細は掴めないなりに、朧気にその言葉を理解した気分になって頷く。

 “あの人”はそんなヤマトの様子に苦笑いを浮かべてから、改めて口を開いた。


「ただ闇雲に素振りしているだけじゃ、道の頂に至ることはできない。刀を極めようと思うのなら、出自の異なる剣士と試合を重ねることだね」

「頂ですか?」


 “あの人”の言葉が無性に引っ掛かる。

 ヤマトにとっての頂――目指すべき姿とは“あの人”に他ならない。“あの人”は初めて出会った瞬間から変わらず理想を体現した人であり、それ以上に優れた人などこの世のどこにもいないだろうと、半ば本気で思えるほどの存在なのだから。

 そんな盲目的な思いを秘めた視線に、何を感じ取ったのか。しばし沈黙した後、“あの人”はそっとヤマトの横顔に視線を投げる。


「この世界は私たちが思っている以上に広いよ、ヤマト。私よりずっと強い人は何人もいるし、想像もつかない技を使う人もたくさんいる。この島国にもたくさんの人がいるけれど、それを遥かに上回るくらいの人が世界にはいるんだ」

「師匠よりも強い人、ですか?」

「あぁ。私なんかは未熟もいいところさ。だからヤマト、私くらいを目指して満足しちゃいけないよ」


 言いながら、笠の下の横顔は人生に疲れた老人の如き表情を浮かべる。

 幾つもの反論が腹の内から込み上げては霧消し、結局は喉から声として出ることなく失せていく。自分程度の若輩者が吐く言葉が“あの人”を揺るがせるとは思えなかったことが理由の一つ。そしてもう一つが、“あの人”が語ってくれた「頂」に惹かれる内心を自覚したからだ。




 幼き日のヤマトは、“あの人”が放つ圧倒的な才気に心酔し、それに一歩でも近づくことで世界が完結していた。他諸々の些事は“あの人”へ至るための手掛かりにすぎず、それ以上の価値を持つことはなかったのだ。

 だが、“あの人“の言葉はヤマトに外界の可能性を開かせた。極東の内側のみに留まっていた視野を広げさせ、海を越えた先の大地へとその眼を向かせたのだ。


(きっとそのときから、俺のやりたいこと――夢は変わっていないのだろうな)


 その想いは始め、吹けば消えてしまうほど儚い種火であった。幼さゆえの純心がもたらす柔風と薪がなければ、種火は瞬く間に勢いを減じ燻るだけの屑火になっていたことだろう。やがて想いは煌々と灯る炎となり、若き肉体を衝き動かすほどの力を得るに至っていたはずだ。


「あぁ、そうか。俺は――」


 いつ頃だっただろう。

 胸の内にあった炎は意識の彼方へ失せ、何とも知れない熱が身体を焦がすばかり。かつて抱いた想いは色褪せ、目まぐるしい日々の前に忙殺されてしまった。代わりに募った賢しさで目が眩み、一端に成長したつもりになっていた。――だが、それは違うはずだ。


「――へぇ、いい眼をするじゃねぇか」


 内心の変化を悟ってか、至近距離から眼を覗き込んでいたアナスタシアは歓喜の声を上げる。

 先は敵愾心ばかりが募っていたアナスタシアの顔が、そう憎らしいものと思えなくなっているのはどうした訳か。単に彼女のことを理解できたから――ということではない。


「お前も、俺と同じということか」

「ククッ! いいねいいね。どうせ手を組むならお前みたいに面白い奴じゃねぇとな!」


 眼を爛々と輝かせ八重歯をチラと覗かせる。人形めいた華麗な顔には似合わない、それでいて彼女には何より似合っている獰猛な笑み。瞳の奥にある光を覗き込んで、彼女が己と「同じ」であるという確信を強める。


「今のお前になら、もう一度聞いてやってもいいな。なあヤマト――お前がやりたいことって何だ?」

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