第233話
「………何を」
思わず、反応に困る。
ヤマトの自己評価とは打って変わって、アナスタシアの方はヤマトのことをずいぶんと大きく評価しているようだ。それが真実か否かは別として、ひとまず認められていることは喜ばしい。とは言え、アナスタシアの言葉を額面通りに信じられるほどの純粋さは、とうの昔に失われてしまった。勇者ヒカルの姿を間近で見続けてきたからこそ、その特殊性は誰よりも深く理解しているだけに、己がそれに並び立てるとは到底考えられない。
「俺を煽てたところで、何にもならんぞ」
「別に煽てているつもりじゃないんだけどな。お前が自分をどう評価しているかは知らねぇが、ひとまず俺はそれくらいの価値を見出してるって訳だ」
「そうか」
「少しは期待してくれたっていいんじゃないかね」
呆れたような溜め息をアナスタシアは漏らす。
「当てずっぽうとは言ったが、全く根拠のない話って訳じゃないんだ。聞くだけ聞いとけって」
「………」
「お前の特殊性を見出したのは先の件――勇者と魔王が直接対決したときだ。細かいところはすっ飛ばすが、お前は魔王を斬ろうとしただろ?」
氷の塔、その最上階での出来事だ。
初代勇者の遺物を求めて訪れたヒカルたち一行を、魔王と彼に率いられた四天王が結託して奇襲を仕掛けた。結果として、ヒカルたち一行は逃走に成功したものの、ただ一人ヤマトだけが捕虜として捕らわれることになった。
「色々と偶然が重なったことは否定しない。だが、あのときのお前は確かに魔王の元に至り、そして浅い傷を刻むことができた」
「……それがどうした」
「傷をつけられた。そのことが問題なのさ」
アナスタシアが何を言おうとしているのか理解できず、小首を傾げる。
そんなヤマトに対して、アナスタシアは教授が出来の悪い生徒を教導するように、軽く指先を回しながら朗々と語り続ける。
「魔王が魔王たる理由は、その不死性にある。魔族共が魔王の加護とか呼ぶ力のおかげで、極僅かな例外を除いて傷をつけられないんだ。どれだけ魔王より強い力を持っていたところで、奴の身体に傷をつけることはできない」
「例外があるのだろう?」
「例えば勇者だな。神託により選ばれた勇者は退魔の聖剣を操り、魔王の加護を容易く破ることができる。他には、長い年月を経て神格を得るに至った竜種、世の道理を越えた怨霊聖霊、それらの力を宿した魔剣聖剣とかだな」
神格を得た竜種とは、例えば至高の竜種のような存在だろうか。ただ一体の力で大陸を揺るがすこともできる竜種であれば、魔王の加護とやらを貫くことも可能に思える。道理を越す怨霊聖霊というものに覚えはないが、初代勇者が扱ったという武具などは、その聖霊を宿した武具と言えるのかもしれない。
いずれにしても、ヤマトにとっては縁遠い奴らだ。勇者ヒカルと共に旅をし手助けしたからと言っても、ヤマト自身は極東出身の単なる剣士にすぎない。
(要は、俺が魔王に僅かでも傷をつけた――言わば魔王の加護を貫いたことが、よほど想定外だったという訳か)
アナスタシアが指摘する通り、確かにヤマトの刀は魔王に浅い傷をつけた。偶然の産物に近いとは言え、確かに刃で額を浅く裂くことができたのだ。ヤマトにとっては自覚の難しい話であるが、アナスタシアがヤマトに特殊性を見出したとしても不思議ではないのかもしれない。
「お前をここに入れてまず、俺はその刀を調査したが、結果は白だ。せいぜい妖刀なりかけ止まりの刃じゃあ、魔王の加護を破ることはできない」
「妖刀だと?」
「気づいていなかったのか? もう意思が芽生え力を宿し始めている。あと何リットルか血を浴びれば、立派な妖刀として覚醒するはずだぜ」
手元に所在なさ気に下げていた刀へ視線を落とす。
極東での事変解決を通じて、アサギ一門の娘ホタルから賜った刀だ。見た目こそ単なる華美な太刀であるものの、その刃から尋常ではない気配を感じていたことは事実。伝説に語られる妖刀と並べられると違和感を覚えるものの、その半端物と言われると、存外に納得できた。
「それはともかくだ。刀は白、その場に何かが作用していた様子もなし。普通に考えれば、お前さんが“何か”を持っているから、魔王の加護を抜けたことになるのさ」
「そうか……」
アナスタシアの語る理屈は存外に理解し易いものだ。話を聞いた限りでは違和感を覚えるところもなく、ヤマトがアナスタシアの立場であっても同様の推論を立てるはず。とは言え、その言葉は素直に頷き難い。理屈云々を通り越して、ヤマト自身の直感が納得していないのだ。己が凡庸であると受け入れてから、どれだけの時間が流れただろうか。今更特別扱いをされたところで、そうそう自覚が変わるはずもない。
そんな内心の葛藤を見抜いたのか、アナスタシアはしばし視線を彷徨わせた後、場を仕切り直すように手を打ち鳴らした。
「まぁ、そんな訳だ。納得できるかは別として、全く無根拠な話じゃないってのは分かっただろ」
「……そう、だな」
「そのまま信じろとは言わねえさ。ただ、俺の話を聞く気くらいにはなったんじゃねぇか?」
即座には受け入れ難いほど突拍子がなく、それでいて拒絶し難いほどに筋の通った話。
どう応じたものかと頭を悩ませるヤマトの耳に、アナスタシアの甘やかな声が滑り込んでくる。
「どうだ、俺と手を組まないか? 今ここを飛び出しても、北地の真っ只中に出るだけ。勇者に合流することもできず魔獣共の腹に収まるのが関の山だ。だったら、多少不合理でも俺と組んだ方が“道理”ってもんだろ?」
咄嗟に反論はできない。ただ話を聞くばかりでは、彼女の手を握る選択の方が賢く思える。ヒカルの手助けをするという目的を達するため、無意味な意地を張る必要はないだろう。
それでもアナスタシアの提案に頷き難いのは、理性で感知できていない危険を本能が感じ取っているからか。それとも単に、アナスタシアの底知れない雰囲気に怖気づいているだけなのか。
率直に答えることができないでいるヤマトに、アナスタシアは澄んだ金眼で内面を覗き込むように視線を巡らせ――小さな舌打ちを漏らす。
「チッ、面白くない反応しやがる。やり方を間違えたか?」
「何を――」
それに問い掛ける間もなく、アナスタシアは大きな瞳に獰猛な光を宿し、下方から睨めつけるように端正な顔を近づけて。
「お前、いつまで“足踏み“しているんだよ」
“足踏み”。
聞き馴染みのある語が耳に入ると同時に、頭に冷や水を浴びせられたような心地に陥る。呼吸が浅くなり、心臓が一瞬停止する錯覚。
「足踏み、だと?」
「お前も本当は分かっているんだろう? 今の自分がどれだけつまらねぇ奴になってるのか。本当は――元々はどんな奴だったのか」
「ずいぶんと知ったような口を聞く」。
そう反論したい衝動が胸の奥から湧いてくるが、口から声として出ることはなかった。代わりに、誰に向かうでもない炎が腹の内で燻る。
「こっちに来て何があったのか知らねぇが、下らない理屈を覚えすぎなんだよお前は。そのせいで元々あった奴が隠れて、お前自身思い出せなくなってやがる」
「―――」
「俺もそう親切じゃねぇから、一度しか言わねぇぞ? ――お前は元々、何がしたかったんだよ」




