第232話
「共闘だと?」
金髪の童女アナスタシアから放たれた言葉に、未だ力の戻らない身体ながらに目を白黒させる。
そんな惚けた態度も想定の範囲内であったのか、アナスタシアは口元に描いた弧を更に深めて小さく頷く。
「あぁ共闘だ。俺とお前で手を組んで、ちょっとばかし世界を動かしてやろうぜ」
「何を――」
「何を馬鹿げたことを言う」。
その言葉を吐き出そうとして、声が音になる前に口を閉ざす。訳は分からないものの、それを口にすることを己がひどく躊躇っていることを自覚したからだ。理性の言葉とは裏腹に、感情が頑なに認めようとしない。
言葉の代わりに溜め息を吐いて、煌々と眼を輝かせるアナスタシアに目を向ける。
「詳しく聞かせろ」
「おっ、脈ありか?」
「判断するには材料が足りなさすぎる。ゆえに尋ねるだけだ」
アナスタシアは茶化すように淡麗な唇を歪めるが、眼の方には変わらず恐ろしいほど冴えた理性の輝きを宿していた。悪巧みをする悪戯小僧の如き言葉の裏で、いったいどれほどの思慮を巡らせているのか。
思わず視線を険しくさせたことに気づいてか気づかずか、アナスタシアは口を開いた。
「小難しい話じゃないぜ。遥か太古に端を発し、現代まで定期的に引き起こされてきた勇者と魔王の大戦。そいつがちょっとばかし邪魔だから、俺たちの手で阻止してやろうってことさ」
「何だと」
勇者と魔王の大戦。
「聞き馴染みがない」などとは口が裂けても言えない。つい先日まで勇者ヒカルの従者として活動していたヤマトの脳裏には、やがて来るはずの――そして今は既に始まった大戦の存在が常にあり、それに備えて鍛錬に励んできたのだから。ヒカルと共に戦いの前線に立ち、この刀を振るう将来を疑っていなかった。
知らずの内に動揺する心を抑えてから、アナスタシアへ向き直る。
「……何のために、それを為す」
「言っただろ、邪魔なんだよ。大戦が始まれば地上の文明は大半が壊れる。長い年月を経て培われ洗練されるはずだった技術や知識が、跡形もなく失われるんだ。戦いが終わった後は、さながら数百年を巻き戻したような日が始まるだけ。――そんなのは面白くないだろう?」
アナスタシアの語る「面白い」と「面白くない」は今一つ共感し辛いところだが。
彼女の言う通り、大戦によって数多の国々と文化が失われることは間違いない。これまで一度の例外もなく勇者陣営が勝利を収めたからと言って、決して戦況が一方的であった訳ではない。切迫した戦いの中で滅ぶ国は数知れず、そして戦後に緩やかに滅びを迎える国も数多にある。それによって大陸の技術レベルが抑圧されてしまっているというのも、一つの事実であるようには思えた。
すぐさま頷くことは躊躇われても、ひとまず首を横には振らない。そんなヤマトの態度に満足したのか、アナスタシアは笑みを深めながら言葉を続ける。
「数十年なんて時間じゃ足りない。数百数千の年月を経て築かれる文明ってやつを、俺はこの眼で見てみたいのさ。ならば、まずは不毛な大戦を終わらせるところから始めようと考えたって訳だ」
「不毛か」
「不毛だね。勇者や魔王とかいう神秘に頼るしかない戦いなんて、繰り返したところで何も生みはしない。ただ徒に国が滅び誰かが死ぬだけ、害悪以外の何物でもない」
「……そうか。そうだな」
尋常の戦であれば、容易には勝ち難い相手を上回るため試行錯誤が繰り返され、結果として国の成長に繋がることはある。ヤマトの故郷である極東は、そうした戦乱の中で文化を築いてきた地と言えるだろう。他方でこれから引き起こされる大戦は、尋常ならざる加護を有した勇者と魔王だけが主役の戦だ。極論を言ってしまえば、それ以外は前哨戦にしかなり得ず、刃を折り血を流すことも無駄でしかない。
かつて勇者ヒカルの従者として戦っていたヤマトにとってみれば、素直に頷き難い話ではある。それでも、大戦の在り方は間違いなく歪さを含んでいた。
「言ってしまえば、俺の目的は勇者や魔王に頼らず大戦を終結させることだ。そのための下準備は済ませている。後は、実際に戦い始めるだけだな」
「下準備だと」
「例えば帝国か。俺が蓄えてきた知識を横流しして、やりすぎな位に強化してやったんだ。あいつらが本腰を入れて参戦すれば、戦いの結果も変わる――かもしれない」
その言葉と共に、エスト高原で目撃した帝国の武威が脳裏に蘇る。アナスタシアが実験にも投入した機兵を始め、他国が追随することも許さないほど高水準な技術の数々。なるほど、それらを総動員したならば、勇者の力に頼らずとも魔王軍を撃破できるかもしれない。
アナスタシアの口振りから察するに、帝国の他にも様々な組織へ関与していることだろう。それらが合わせてどれほどのものになるかは分からない上に、仮に大戦を終結させたところで何かが変わる保証もない。それでも、勇者一人に依存してきた大陸の在り方が揺らぐことは、確かに頷けそうな話だ。
(――だが)
本音を言えば、ヤマトの心は既にアナスタシアの言葉にかなり揺れていた。元よりヒカル一人に魔王征伐の重荷を負わせることに消極的だったのだから、それを軽減できるとあれば、非を唱えるはずもない。多少立場がややこしくなるとしても、結果としてヒカルの助けになれるのであれば、躊躇う理由はない。
だが、まだアナスタシアを信頼する訳にはいかない。
「一つ、聞きたいことがある」
「いいぜ、言ってみろよ」
意識的に眼へ力を込め、視線に険を含ませる。殺気にも似た圧力を眼前の童女へ掛けていく。
それに気づいていないのか、それとも物ともしていないのか。細かなところは定かではないが、アナスタシアはヤマトの視線を受けても尚、飄々とした態度を崩そうとしない。
「なぜ、俺を使おうとする」
「ふぅん」
「俺一人にできることなど高が知れている。帝国のような強大な国であればいざ知らず、俺が大陸の趨勢を揺るがすことは不可能だ」
「そうかね」
多少腕の立つ剣士が一人加わった程度で勝敗が変わるほど、戦は容易く操作できるものではない。お伽噺で語られる剣聖や、それこそヒカルのような超常の力の持ち主であれば話は別であろうが、己がそうでないことをヤマトはよく理解していた。
ゆえに、アナスタシアの言葉は胡散臭い。己を過剰に煽って策に嵌めて、彼女は何を望む。
「俺に勇者との繋がりを期待しているのか? もしあいつらに何かを企てているのならば――」
そっと刀の柄に手を掛ける。
それを受けて、ようやくアナスタシアは表情を揺るがした。飄々としたものから、溜め息を漏らし、何かを面倒臭がるような面持ちへ。
「待て待て。誤解だっての」
「それを信ずるだけの証がない」
「そりゃ確かに。俺にとっても確証のある話って訳じゃないからな」
確証はなくとも、ひとまず手の内に収めたいと思えるだけの“何か”がヤマトにあるということか。
続きを促すように視線を向ければ、アナスタシアは癖のない金髪を指先で弄りながら、言葉を選ぶように口を開いた。
「お前に勇者との繋がりを期待していない、と言えば嘘になる。魔王とはだいぶパイプを繋げたが、勇者方面にはからっきしだからな。戦いがどう転ぶかは分からないから、繋がりを持っておくことはそれだけで得だ。――ただ、それとは別にもう一つ。これはほとんど当てずっぽうなんだがな」
「それは?」
問い掛けながら、心臓がドクンと高鳴る様を自覚した。
アナスタシアが放とうとしている言葉。それがどのようなものかは想像もできないが、これからのヤマトの在り方を一変させるようなものであると、根拠もない直感が芽生える。
そして、それは間違いではなかったらしい。
「お前は今代勇者に――いや、勇者に似た“何か”になり得る人間だ。自分を卑下しているようだが、お前ならこの戦いを一変させられると俺は睨んでいるのさ」




