第23話
地面に打ちつけられ、散々に瓦礫を跳ね除けて、ヤマトは見覚えのない広場に突っ込んでいた。
ズキズキと痛みながらも動きに支障がない身体を確かめて、ヤマトは辺りを見渡す。どうやら急設の休憩所のようになっていたらしく、疲れ果てた様子の兵士が座り込んでいる姿が散見できた。
「なっ!? いったいどうした!?」
突然広間へ転がり込んできたヤマトに、不審そうな目をしながらも、心配した様子で兵士が駆け寄ってくる。
手を上げてその動きを制止してから、ヤマトは口を開いた。
「ここから離れた方がいい。面倒なことになる」
「面倒? いったい何の――」
続けて問おうとする兵士を尻目に、ヤマトは急速に近づく強力な気配を察知する。
そちらの方を顎で示せば、兵士たちは一様に口を閉ざした。
「来たようだな」
「なっ、ななな……っ!?」
その姿は、まるで炎のようであった。全身から可視化されるほどに凝縮された魔力が噴き出し、嵐のように全身を渦巻いている。その中心に佇む姿は、聖剣の光を浴びた直後の姿に近いだろうか。ヤマトと同程度の身長に対して、身体つきは細身だ。バルサは異様なほどに静かな様子でありながら、爛々と目を輝かせてヤマトを見つめていた。
バルサの目の奥に宿っている光を見て、ヤマトは確信を強める。
「離れた方がいい。あいつの相手は俺がやる」
「ば、馬鹿を言わないでくれっ! 俺たちはこの街を守る兵だ! ここで逃げ出せるかよ!!」
一人の兵士の叫びに応じて、他の兵士も一様に頷く。
その有り様は立派だと思うが、この場合は相手が悪い。
「………ぅ」
無言のまま、バルサは大きく息を吸い込んだ。
全身を駆ける直感に従って、ヤマトは地面に身を投げ出す。それに理解が及ばない兵士たちは立ちすくんだまま。
「―――――ッッッ!!」
咆哮。
竜種のブレスにも匹敵する魔力の奔流が、広場を薙ぎ払った。
そのあまりの威力に目を細めながら、ヤマトはバルサから目を離さない。
「凄まじい威力だな」
十秒か数十秒かほどに思える時間がすぎて、ようやくバルサの咆哮が収まる。
それを確かめて身体を起こしたヤマトは、広場の惨状に嘆息した。
死体は転がっていないが、死屍累々という言葉がこれほど似合う光景もないだろう。兵士たちは瓦礫の上に積み重なるように倒れ、ピクピクと小さく身体を震わせている。何人かは意識を保てているようだが、身体までは自由に動かせないようだ。
その様子を見やって、腰の刀を抜く。――邪魔はいなくなった。
「――――」
「いつまで話せないフリをしているんだ? もうクロとやらの目はないぞ」
少なくとも、ヤマトの感知できる範囲ではいない。
それを告げると、怒り狂った獣のようだったバルサの雰囲気が、徐々に鎮まっていく。吹き荒れる魔力はそのままに、目は理性を取り戻している。
「……やはり、気づいていたか」
「当然だ」
何か明確な根拠があったわけではない。
だが、バルサのまとった気配は魔獣のものとは微妙かつ明確に異なっており、ただ理性を失ったわけではないらしいと確信させるには充分であった。
「ならば、俺の望みも分かっているのだろう」
「無論」
刀を正眼に構える。かつての強者との戦いを思い起こし、それを乗り越えたことを魂に自覚させる。
「俺との決闘を望む。その理由は聞かせてもらえるのか」
「……そうだな」
ヤマトの問いに、バルサは一瞬だけ考え込むように視線を落とす。
「ただの八つ当たりだ。わけあって、俺はお前が気に入らない。だから、戦わせてもらう」
「ふっ」
グチグチとつまらない理屈を並べられることに比べれば、遥かにマシな答えだ。
そのことに僅かに微笑みながら、ヤマトは気力を充実させていく。元より一人で戦いたいと思えるほどの強者だ。願ってもない状況に魂が歓喜する。
「剣がないな。構わないのか」
「あぁ、問題ない」
魔力をまといながら、バルサは両拳を構える。
右腕を僅かに前へ。重心は高く保ち、脚に力が込められていない。
「――なるほど。そちらが本職か」
「やはり、そう見えるか」
剣を持っていたときと比べると、構えがバルサの身体に――魂に馴染んでいるように感じられる。なぜ剣を振っていたのかはヤマトには分からないが、ここでは意味のない問いであろう。
ヤマトの指摘に苦笑いをしたバルサは、そのまま言葉を続ける。
「俺が『あの人』に教わったのは、拳の使い方だ。きっと、そのことがまだ忘れられていないのだろう」
「一度極めようとした道を捨てることは困難だ」
「……極める、か」
どこか遠くを見る目になったバルサは、次いでヤマトを真っ直ぐに捉える。
「お前も、その剣の道を極めるつもりか」
「さて。正直に言えば、この刀には固執してないのでな」
ヤマトの目的は、ただ「強くなること」に集約される。
故郷で教え込まれたのが刀の扱いだったために、大陸にも刀は持ち込んだ。だが、必要ならば刀を手放すくらいは平気でできるように思える。
「ふざけた奴だ」
「よく言われる」
軽口に軽口を返して、ヤマトは気配を引き締める。
決闘前の会話も楽しいものだが、あいにくと時間は長く残されていない。もたもたしていれば、ノアたちがすぐに駆けつけてしまう。
そんなヤマトの様子に気づいたバルサの方も、気を張り詰めさせた。
「いざ、尋常に」
刀は上段へ。これほどの敵手に、受けに回っては勝ちを望めない。攻めて攻めて、攻め切る。
「――勝負っ!」
叫んで、駆ける。
肉薄するヤマトに対して突き出された拳に狙いを定める。間合いを見切り、駆け足を止めて上体を浮かす。斬撃の軌道を脳裏に描き。
「『斬鉄』ッ」
振り下ろす。
不可避の一撃に対して、バルサは左腕を掲げた。防げるつもりなのか。
「………っ!?」
肉を斬り骨を断つ。その情景を思い描いていたヤマトは、刀を握る腕へ返ってきた感触に目を見開く。
鋼を叩いたような痺れが両腕を襲う。予想をかけ離れた硬さに、刀の軌道が鈍った。それでもと刃は進めるが、半ばほどまで斬り裂いたところでそれも止まる。
「ぉぉおおおッッッ!」
我に返ったヤマトは、裂帛の叫びと共に突き出されたバルサの拳に対し、どうにか身体を捻ろうとする。――避けられない。
「がぁッ!?」
拳が肩に突き刺さる。凄まじい衝撃が肩の内部で暴れ、刀の柄から指が離れる。
咄嗟に後退るヤマトに対して、バルサは更に踏み込む。左腕は自由に動かないらしいが、無事な右腕と脚に力が込められた。
「歯ぁ食い縛れよッ!」
「くぅっ!?」
刀を手放し、両腕で必死に身体の急所を覆う。全身に力を込めて、衝撃に備える。
そんなヤマトの守護を容易く破って、バルサの攻撃は降り注いだ。両腕を右拳が打ち抜き、腹を左脚が蹴り抜く。よろめいたヤマトの頭目がけて、右足が回し蹴りをかける。
どうにか左腕を掲げて回し蹴りは受け止めたが、それを貫通して衝撃が側頭を揺らす。ふっと揺らぐ意識を必死に繋ぎ留め、チカチカと暗くなる視界の中、迫るバルサの腹部目がけて刀を突き出す。相討ち覚悟の一撃。
それを容易く見切ったバルサは、身体を逸らして突きを避け、拳を引き絞る。
「一気に決めるぞ」
刀は振った直後だ。受けに回らざるを得ない。
目を凝らし、刀すらも手放して両腕を引き寄せたヤマトは、バルサの拳の軌道を必死に予測する。
初撃。読みやすい軌道の一撃は腕を合わせ、衝撃を空に逃す。
二撃目。やはり軌道は読みやすいが、その速度は尋常ではない。多少の衝撃を覚悟し、無茶な形で受け流す。
三撃目、四撃目、五撃目、六、七、八……。
「『獅子連撃』」
一撃ごとに速まり強くなる拳の威力に顔をしかめ、必死に捌く。――捌き切れない。
計四十三撃の打撃に打ちのめされ、ヤマトは身体を揺らす。不意に空いた間隙に身体の緊張が緩んだ。
「――終わりだ」
目にも留まらぬ最後の一撃が、ヤマトの腹部を貫いた。
拳に対処することもできず、咄嗟に腹を固めて衝撃に備えるのが精一杯。直撃した拳の威力に、内臓が暴れ回る。衝撃が直接内側に貫通する打撃か。
その一撃の衝撃のままに地面を転がり、バルサとの間合いが離れる。こみ上げてきた胃液が口から漏れ出るのを止められないまま、必死に空気を肺へ取り込む。
「今ので決めるつもりだったが」
感心したように呟くバルサを睨めつけながら、震える脚を立たせる。間近に迫った死の気配に肺が痙攣し、息が荒くなる。全身を包む鈍い痛みが、指先一つ動かすことすらをも阻害する。
頭を振り、揺れる視界を整える。
「だが、勝負はついたな。俺の勝ちだ」
「………まだだ」
「いや終わりだ。お前では俺に勝てない」
ヤマトの口の中に、苦い味が広がる。
万全の状態であっても、今のヤマトではバルサに勝てない。きっとそれは事実だ。全身が鋼のように硬く、それでいて素早くしなやかな攻撃をする拳法家。そんな相手と戦った経験もないために、どう戦えばいいのかも思い浮かばない。最後の攻撃は、分かっていても回避できない『斬鉄』に似た類のものだ。ヤマトがこうして生き永らえているのは、先の戦闘や『斬鉄』のダメージがバルサに積み重なっていたからに他ならない。
認めざるを得ない。バルサは強大な敵だ。ここまでの戦いでは経験しなかったほどに、勝ち目の見えない敵だ。
「―――」
バルサの強さが身に沁みてくる。恐怖が全身を包む。――だが、どうしたことだ。
「―――――」
冷え切る理性とは裏腹に、本能がグツグツと煮えたぎる。一瞬ごとにその熱を増し、身体から溢れ出ようとする。思わず暴れだしそうになる身体を必死に抑える。
きっとこれが、勝利への渇望。
あれほどの強敵。逃げろと理性が喚く他方で、本能はただ勝利せよと喝采する。
「………ぅ」
息を吸う。他に何も入らないほどに深く深く息を吸って、理性の声を封殺する。
今のヤマトではバルサに勝てない。それは事実だ。それでも勝つためには、どうするか。――より強くなる他ない。
「―――――――――ッッッッッ!!」
叫ぶ。
一瞬前のバルサの叫び声と張り合うかのごとく叫び続ける。喉から血の味が滲み出ても、声を止めない。腹の底から声を出して魂を震わせる。弱気に萎える身体を叱咤し、思考を声で押し流す。肺が空になり苦しくなろうとも、叫びは止めない。
数分にも及ぶほどに長い間、叫び続けた。実際には数秒程度かもしれないが、それを判断する時間感覚は失った。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」
「……何のつもりだ」
必死に空気を取り込むヤマトに対して、バルサは不審げに、苛立ち混じりの視線を向ける。
それに笑い返して、上体を起こす。
「お前を真似てみた。それだけだ」
「……ほう」
バルサの額に青筋が立ったように見えたのは、気のせいか。
ようやく息が整ったところで、身体から力を抜く。
「それで、何か変わったか? 何もなかったように俺には見えるが」
「そうだな。少なくとも、お前のように姿が変じたりはしないようだ」
それでも。
目の前に広がる景色は、少し様子を変えているように思えた。
「戦いを前にしたら感情を殺せ。故郷で教えられた掟だが、一度破ってみるのも悪くはない」
頬が緩む。
刀は手放してしまったが、いずれにせよ、刀を使ったままでバルサに勝てるような光景は思い浮かばない。――だから。
「ふぅっ」
息をつき、脳裏にその姿を描く。
手は拳の形に。両腕を掲げたまま、右拳をやや前へ。重心は高くしたまま維持し、脚にも力を込めない。
そのヤマトの構えに一瞬息を飲んだバルサは、次の瞬間に激昂した。
「ふざけるな人間ッ!!」
叫び、バルサは拳を引き絞る。『獅子連撃』とやらの初撃の構え。
「構えを真似れば互角になるとでも考えたか!! その舐めた態度を潰してやる!!」
あれはまずい。
二度目はない。喰らえば最後、今度こそヤマトは意識を保てない。そのことを明確に自覚しながらも、不思議と焦りは込み上げてこない。
「構えは、こうだな」
拳を引き絞る。
バルサと鏡合わせのような構え。
「「――『獅子連撃』ッ」」
拳と拳がぶつかる。
普通の拳法ならば、鋼のような硬さを誇るバルサの拳に、ただの人間であるヤマトが勝てる道理はない。だが、この技は全て衝撃を内部に伝えることに特化している。身をもって味わったことで、ヤマトはそれを痛感した。
ぶつかり合い、ひどい痺れがヤマトの拳に返ってくる。これで骨がいかれたかもしれない。それは、バルサの側とて同じことだ。
顔をしかめたバルサだが、歯を食いしばって二撃目を繰り出そうとする。これに同じように合わせようとするならば、ヤマトは両拳を砕かれることになる。それはまずい。
だから、あえてヤマトは二撃目の構えをバルサと変える。目指すのは神速の一撃。『斬鉄』を振るうときを思い起こし、片方の拳を刀に見立てる。全身の力を、拳を振るうことだけに集中させる。
「な……ッ!?」
バルサが息を飲む。その目はヤマトの方を向きながら、どこか遠くを眺めているようでもあって。
拳を固め、振り抜く。
「シ――ッ!!」
「ぐぅっ!?」
バルサの急所を打ち抜く、確かな手応え。
防御する暇も与えずに放った拳を受け、バルサの身体が脱力――しない。
「舐めるなと……言っているッ!!」
手応えは充分すぎるほどにあった。
だから、それを耐えてみせたのはひとえにバルサの精神力の賜物なのだろう。
悟ったように笑うヤマト目がけて、バルサは『獅子連撃』の構えを続ける。
「二撃目ッ!」
申し訳程度に腕でその拳から身を守る。
その防御を容易く貫通した拳の威力に目を剥きながら、身体を丸める。
一度見た連撃がヤマトの身体を襲う。その全てを身に受けて、力強さに目を細める。
「――これで最後ッ!」
四十四撃目。
防ぐ手立てもなくなったその拳を前にして、ヤマトは微笑み続ける。
「認めよう、俺の負けだ」
最後の一撃がヤマトを打ち抜く。
視界が暗くなる中、ヤマトはそれの存在をバルサの背中越しに確かめて。
「――だが、俺たちの勝ちだ」
闇を斬り裂く、眩い光をまとった剣。
そして、それを携えた鎧武者――ヒカル。
その一撃が今まさに振りかぶられているところを目の当たりにして、バルサは不思議なほどにすっきりした表情で頷いた。
「あぁ、そのようだ」
直後、轟音が爆風と共に辺りを薙ぎ払う。
暖かな光に身を包まれ、バルサがその中で力尽きるのを見届けてから、ヤマトも静かに意識を閉ざした。