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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
???編
228/462

第228話

 故郷で刀術のいろはを教えてくれた師が見れば、唾棄すべき思考停止だと蔑むだろうか。

 そんな思いを脳の片隅に自覚しながら、眼前の敵手目掛けて全力で刀を振るう。


「シ――ッ!」

「当たらないよ!!」


 右腕一本を頼りに振り抜いた刃が煌めき、白髪の剣士の頬を掠める。

 身を翻し様に反撃へ転じようとしたところへ、返す刃で袈裟斬り。右肩からミシリと嫌な音が漏れ聞こえたが、努めて無視する。常人ならば避けようがない不意討ち気味の斬撃だが、剣士は戸惑うことなく半歩後退し、紙一重のところで切っ先から逃れてみせる。


(くそ! 完全に間合いを見切られている!)


 まるで霞を相手にしているような感覚。どれほど速く刀を奔らせようとも、その刃が実体あるものを捉えることは決してない。斬撃の尽くを白髪の剣士は紙一重で避け、その度に油断ならない反撃を匂わせる。

 傍目から見ればヤマトが絶えず攻め続けているようだが、実際には、ヤマトは攻めさせられているのだ。刀を一振りするごとに身体が悲鳴を上げ、かと言って刃を止めることは許されない。押すことも退くこともできぬ苦境。


「ふんっ!!」

「おっと危ない」


 横薙ぎの一閃。次いで体勢が乱れるに任せて前蹴り。蹴り足を軸に上段から斬り下ろし。

 もはや刀術の道理から外れ、戦場で磨いた喧嘩殺法とでも呼ぶべき連撃。初見で破られることはないと自負した一連の攻撃だが、ある意味予想通りに全てを避けられる。それでいて、一瞬たりとも気を抜くことを許されない間合いを保たれた。

 戦いの流れは完全にあちら側が握っていた。ヤマトにできることは、それが致命傷に至らぬよう、我武者羅に刀を振り続けることばかり。それも着々とヤマトの体力を消耗させるばかりで、この苦境を覆せるだけの力はない。


「どうしたのさオリジナル。さっきの威勢はどこに行ったんだい?」

「煩い!」


 募る苛立ちに任せて刀を薙いでも、手応えは何一つ得られない。

 白髪の剣士はそんなヤマトを煽るように、底意地の悪い笑みを零しながら手元の刀を揺らした。手を休めれば即座に斬り捨てるぞと、無言の圧力が伸し掛かる。


(怒るな、怒るな怒るな怒るな――)


 血が失せた影響か、段々と動きが鈍くなり始めた腕を酷使しながら、必死に胸中に燻る炎を宥める。


(邪念は刃を鈍らせる。情動尽くを己が力に変え、ただひたすらに刃を研ぎ澄ませ)


 理に惑うな。情に流されるな。理を排し、情をただ力へと変え、魂が叫ぶままに刃を研げ。己と刀とを同一とし、進むべき道はその刃に託せ。

 段々と意識が水底へ沈み込むような感覚と共に、振るう斬撃が冴え始めていることを自覚する。――それでも、足りない。左肩から止め処なく流れ出る血は身体の熱を奪い、秒毎に勝ちの目を閉ざしていく。


(この生命を賭す他ない……!!)


 まだ辛うじて目を開き刀を振れる内に、戦いを決さなければならない。

 覚悟を定め、手中の刀に語り掛ける。――微かに、柄が震えるような感覚。


「ぐっ!?」


 ズルリと足が地を滑り、視界が低くなる。

 肩から流れ出た血溜まりが靴底を濡らし、刀を振るった勢いを受け止められなかったらしい。辛うじて崩れ落ちることは免れるものの、膝を着いた衝撃で肩へ鋭い痛みが走る。指先から刀が零れ落ちることだけは、懸命に阻止する。

 痛恨の出来事に顔を歪めたヤマトの頭上で、白髪の剣士はゆらりと刀を掲げた。


「これにて幕引きだ」


 他の刀剣には至れぬ鋭さゆえに、どれほど鍛え上げた鋼鉄であろうと受け止められぬ刃。それが極東の刀だ。

 万全の剣士が振るう大上段からの斬撃。手負いでは避けること能わず、また止めることも叶わない。名は唱えられないものの、それに秘められた威力は『斬鉄』に等しい。必殺の一撃だ。

 それを眼前にしたヤマトは、悪足掻きを目論むように刀を握り締めてから――微かな笑みを浮かべた。


「舐めるなッ!」


「ちっ!?」


 金の火花が空を舞い目を焼き、甲高い金属音が室内に響く。それに紛れて、何かにヒビが入る音が刀から溢れた。

 尋常なる手段では受け止めることのできない、必殺の刃。散々自分の手で振ってきたからこそ理解できるその技を前に、ヤマトが選択した手は迎撃。目で捉えられぬ鋭い一閃に、横から叩き出すように斬撃をかち合わせたのだ。

 思わず刀を取り零しそうになる痺れに目を滲ませながら、白髪の剣士が体勢を崩す姿を捉える。


「シャァッ!」

「こいつ!」


 強大な獣であろうと避けることの叶わぬ間合い。胸元を薙ぐように逆袈裟斬り。

 飄々とした表情を繕い損ねた白髪の剣士は、焦りを顕わにしながらも、刀の刃を返す。身を翻し避けることのできぬ一撃を前に、奇しくも剣士が選んだ手は迎撃。振り上げた刃で、ヤマトの振るう刀を跳ね上げた。

 再度、火花が散る。


「くそっ! 無茶苦茶やってくれるね!」

「ぬんっ!!」


 互いに必殺より内の間合いに敵を捉え、後退を許さない構え。ゆえに、これが必然と前進を試みる。

 夜空に煌めく星々の如く、無数の火花が散らされる。鋼と鋼が打ち合わさる鋭い音が耳朶を打ち、飛び散る血飛沫が舌に鉄の味を伝える。背が凍てつくほどの冷たい死神の手が臓腑を撫で上げていく。――なれど、刀を止めることは許されない。眼前の敵を討つため、己の生命を繋ぐため。二人に許されたことは、ただ己の刀を振り続けることのみ。


「ゼァッ!」

「調子に乗るなぁッ!」


 共に吠える。裂帛の叫びと共に放つ斬撃が撃ち落とされ、身を掠め、再び跳ね上がる。

 かつて経験したことがないほど濃密な死の気配が、凄まじい勢いでヤマトの意識を洗練させていく。思案の前に刃が飛び交い、己が刀を握るという認識すら失せる。手足同然となった刀が囁く声までも幻聴する。人刀一体の境地。

 打ち合わされる鋼は速度を増し、余人が立ち入れぬほどの旋風を巻き起こす。幾筋もの流星が舞い、けたたましい金属音がかき鳴らされる均衡は――突如として崩れ去った。


「な……っ!?」


 一際大きく鳴り響く金属音。色とりどりの火花に混じって鋼の粉を散らしながら、刀の刃が空を舞う。

 視線を動かさずとも分かる。手中にある刀の感覚は先程までと変わらず、己の刃は未だ健在だと直感できた。――ならば、今空を舞っている刃の持ち主は、いったい誰なのか。


「―――ッッッ!!」


 声ならぬ雄叫び。刀をすくい上げ、渾身の一撃を放つ。

 斬り上げる刃は相対する剣士の左腕を断ち、真紅の血飛沫を舞わせた。できの悪い玩具の如く、血肉を撒き散らしながら腕が飛んでいく。

 時間の流れが止まったと空目するような間隙、上段へ振り上げた太刀の刃を返す。


「ぉおおおッッッ!」

「がっ!?」


 これにて終幕と気が緩んだか。

 脳天を叩き割る斬撃を構えたヤマトの胸元を、突き上げるような衝撃が打つ。刀の柄を捨てた掌底。血反吐が喉元を競り上がり、カッと視界が赤く染まる。たまらず蹌踉めき、そのままの勢いで間合いが離れる。


「う、ごぁ! く、っそ!」

「よくもやってくれたね……!!」


 骨にヒビが入ったか、内蔵も傷ついているかもしれない。喉に絡む血を吐き、舌を噛んでグラリと揺れる視界を堪えてから、隻腕の剣士を睨めつける。

 あちら側も満身創痍と言って相違ない。太刀により真っ直ぐ断ったゆえに鮮やかな切り口から、滝の如く鮮血が溢れ出す。残された右腕で何とか傷口を押さえようとしているらしいが、それで何とかなるような傷ではない。瞬く間に顔から血の気が失せていき、髪色と見分けがつかなくなるほどに顔色が真っ青になる。


「しぶとい、奴だ」

「それはこっちの台詞だよ……」


 傍目からは、白髪の剣士の方が傷が深いように見えることだろう。左腕の断面から溢れる血流が、その生命までをも吐き出している。だが、肩を穿たれてから長らく酷使したヤマトの身体も等しく力を失っている。戦況が落ち着き興奮が収まるに従って、視界が黒く染め上げられていく。

 両者共に立っていることが不思議なほどの重傷。死人と見間違うほどの手傷を負いながらも立っている訳は、当人の気力に他ならない。


(これは、いよいよ終いか)


 闘志の炎に必死に薪を焚べながら、ふとした思いが立ち込める。

 可能な限り体力を温存して進みたかったが、事ここに至ってはそれが叶わぬと理解できた。白髪の剣士から立ち昇る剣気に陰りはなく、その身が屍になろうとも喰らいついてくると直感するだけの気迫が秘められている。奴は刀を失っているようだが、だからと易々突破できる敵手ではない。


 ――いや、それももう無理な話か。


(暗い、寒い、重い、冷たい――)


 すぐ間近に死の気配を感じる。死神の鎌が喉元にあてがわれ、首を落とす瞬間を今か今かと待ち構えていた。どう足掻いたところで除けられるものではないと理解できてしまう。例え白髪の剣士を斬り捨てたところで、それから逃れることは叶わない。

 グラリと目の前が暗くなり、己が立っていることすら定かではなくなる。辛うじて床に突き立てた刀の感覚だけが頼りだ。「意識を保て」という声が脳に響くが、それに応えるだけの力も残されていない。


(――口惜しいものだ)


 凪いだ水面の如く静かな胸中に、一抹の無念が立ち昇る。

 恐怖はない。無力感もない。不安感もない。だが、腹の奥底――魂と呼ぶ他ない場所に煌々と輝く“何か”を抱いたまま死ぬことが、たまらないほどに口惜しい。叶うならば、この身を鬼と化してでも生に縋りつきたい。

 絶えぬ無念をもってしても、死の冷たさに抗い難い。せめて倒れまいという意地を張りながらも、目蓋が重くなるままに閉ざそうとして。




「まだだ、まだ終わってない……!!」




 白髪の剣士の声が、ヤマトの耳へ滑り込んできた。

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