第225話
けたたましい警告音が鳴り響く。
その煩さを受けて僅かに顔をしかめながらも、廊下を駆ける足を止めない。ガチャガチャと何かが動いている音が遠くから聞こえるが、今のところその姿は眼前には現れていなかった。
『――こらモルモットぉ!! お前、俺が丹精込めて作った部屋をよくも壊しやがったな!?』
「む」
キィンと耳を高鳴らせるノイズを伴って、女の怒声がビリビリと空気を揺らした。
時間にして数分程度のはずだが、その声を久しく聞いていなかったような錯覚を覚える。思わず頬を緩ませたところで、そういえば敵手だったなと思い直す。
「何用だ?」
『何用だだとぉ? あの施設を作るために俺がどれだけ手間を掛けたか、お前分かってるのか!! 苦節百年、連中の目を誤魔化して金と資材をせこせこ集めて、ようやく使い勝手がいい場所ができたと思ってたのに――』
「知らん」
『この野郎ッッッ!!』
声音から察せられる身体の幼さとは裏腹に、その叫び声からは背筋に怖気が走るほどの妄執が感じ取れる。それだけの想いを込めてあの実験室を作り上げたということか。
何となしに申し訳ない気持ちにはさせられるが、だからと足を止める訳にもいかない。実験室と同様、目に痛いほど白く塗られた壁を見やりながら、延々と続く廊下を駆け続ける。
『ったく! いつかは歯向かうと予想していたが、あんな乱暴な手を使うかよ普通。扉が開いた隙に滑り込むとか、もっと賢い手があっただろ!』
「俺は馬鹿らしいからな」
『自慢気に言ってんじゃねぇよ!! 少し優しくしてやろうと思ってたが、それもさっきまでだ! ここからは手荒く行くぞ!!』
「ほう?」
ここが未だ女の術中にあるかのような台詞。彼女の思惑から外れるべく、できる限りの俊足をもって駆けていたのだが、どうやら足りなかったらしい。
僅かな疑念と驚き。それらをまとめて洗い流すだけの戦意の高揚を自覚しながら、女の言葉に耳を傾ける。
『まずはお前らだ機兵共!』
「機兵だと?」
女の言葉と共に、廊下を駆けるヤマトの前方に小柄な兵器が現れる。
先日の実験で対峙した機兵は、身の丈数メートルに及ぶ鋼鉄の巨人であった。果たして人型である必要があるのかと疑念を抱いたものだが、新たに現れた機兵はそれに応える姿形をしている。
一言で表せば蜘蛛型。人の拳ほどの大きさをした蜘蛛型機兵が床壁天井それぞれにしがみつき、小型の銃口をヤマトへ突きつけている。
「あれは……」
『怪我しても後悔するんじゃねぇぞ!!』
一つ一つは小型なものの、総勢数十体ともなれば圧迫感は相当にある。
女の言葉と共に機兵の銃口が怪しげな光を放つ。刹那に背を駆ける寒気に従い、銃口から逃れるべく身を翻す――ことはせず、真正面から更に踏み込む。
「奥義――」
ここは身を隠せる遮蔽物のない廊下だ。数十を越える機兵らから一斉射撃を受けては、手も足も出せないままに死ぬまで。
ゆえに、ここは先制攻撃あるのみ。
「『疾風』ッ!」
抜刀、鎌鼬の嵐を奔らせる。
鉄の筒から火を吹こうとしていた機兵の先を制して、荒れ狂う風の刃が鋼鉄の身体を裂いた。派手に火花が散り、血の如く黒煙を撒き散らして機兵が倒れ伏す。
『なっ!?』
「済まないな」
交錯は刹那。駆け足を止めぬままに振り抜いた刀を収め、意を決して立ち込める黒煙の中へ飛び込んだ。
『疾風』の刃から逃れた数体の機兵が銃弾を吐き出し、鋭い熱が肌を焼いていく。その痛みに駆ける足が鈍りそうになるが、理性を総動員して足を前へ運ぶ。すれ違い様に幾体かの機兵を蹴倒し、強引に道を開ける。
『ったく、強引なことしやがる』
「時間を掛けていられないからな」
まばらに銃弾が身体を掠めるが、その程度の弾幕であれば足を止める必要はない。駆けながら『水月』を発動し、機兵の目測をズラす。
呆れたような女の声に応じたところで、ふと視線を彷徨わせる。
『どうした。俺の声が聞こえることが不思議か?』
「……そうだな」
『絡繰りは単純、施設内に通信機を置きまくってるってだけだ。お前がどこを走ってるかくらいは分かるから、それに合わせて場所を切り替えてるのさ』
自称「百年」を掛けて作り上げた施設なだけあって、そうした設備も完備しているらしい。
感心と共に呆れを禁じ得ないが、ひとまずそれは隠しておく。こちらの場所が判明しているというのならば、他愛ない会話で情報を探れた方が有意義というものであろう。
『お前さんが何考えてるかはだいたい分かるが、それは無用だぜ?』
「何だと?」
眉尻を上げて問い返したヤマトに、女は飄々とした調子で応える。
『その先は一本道だ。そんでもって、その先の部屋に俺はいる』
「ほう」
『お前の狙いはここから出ることだろう? なら、俺からここの鍵を奪わなくちゃならねぇ。幾ら刀が鋭いからって、建物を丸ごと斬れる訳じゃないだろうしな』
「………」
施設から脱走するために施設の主へ会いに行くというのは、少なからず奇妙な話に聞こえるが。
名状し難い気持ちが込み上げることを無視しつつ、前方をジロリと睨めつける。
『逃げも隠れもしねぇ――というより、俺には逃げ道はないからな。ここで待っててやるから、早く来いよ?』
「……ふん」
下手に引き返そうものならば、機兵の大軍に押し潰されかねない。先程は鎧袖一触できたものの、それは巡り合わせがよかったからにすぎないという事実はヤマト自身がよく理解している。
詰まるところ、今は前進する他ない。その先には間違いなく罠が待ち構えているだろうが、それも踏み越えなければならないということだ。
(奴の思い通りに進むというのは、少々癪な話だが)
ちょうど前方で廊下が終わっていることに気がつく。その先には実験室と似た殺風景な部屋が広がっているようだ。
妙な胸騒ぎを訴える気持ちを落ち着け、覚悟を固めたヤマトは駆け足を一段と速めた。




