第224話
「―――!!」
身体に電流が走ったと錯覚するほどの勢いで覚醒する。
ほんの数秒前まで眠っていたことが嘘のように意識が明瞭だ。眠気や気怠さは欠片も残っておらず、今すぐ戦だと伝えられたところで苦はないと思えるほど。身体を巡る血に熱がこもり、直ちに身体を動かしたいという衝動に駆られる。
それに衝き動かされるがままに立ち上がり、周囲を見渡した。
(やはり、昨日と同様か)
継ぎ目一つ浮かんでいない純白の実験室。先日刃を交わした機兵の残骸は綺麗さっぱり片づけられ、ガランと殺風景な風景が広がっている。生き物の気配を何一つ感じられない静謐な空間だが、今日もこの場で実験が行われるのだろう。
先日先々日と実験相手が現れた壁を睨めつけてから、そっと溜め息を漏らす。
(気を急いても仕方ない)
無闇にバクバクと早鐘を打つ鼓動を鎮めるべく、深呼吸を繰り返す。
こうも身体が高揚状態にあるのは、今朝の夢――と呼んでいいのか分からないが、ともかく幻に起因していることに違いない。ただ過去を追憶するばかりの景色だったはずなのに、“あの人”は夢見るヤマト自身に語り掛けてきた。
(師匠、貴方はいったい何を……)
とても尋常とは思えないという驚きを伏せ、幻の中で師に語られた言葉を思い返す。
「俺が足踏みをしている? それに、夢を抱くか現実に生きるか?」
要領を得ない。言葉の浅い部分こそ理解できても、その深い部分にある意思を汲むことができない。
故郷を飛び出し大陸に渡って幾年。刀のみを相棒に武者修行に明け暮れた日々は、矢の如く駆け抜けるものだったはずだ。ノアと出会い冒険者稼業を始めた後も、ヒカルと出会い勇者一行に加わった後も、そのことは変わらない。ヤマトはいつだって全力で物事に打ち込み、現に刀を繰る腕は間違いなく向上した。
そんな日々を指して、“あの人”が「足踏み」と称した。
「俺は――」
気がつけば、腰元の刀を手繰り寄せていた。
決して足踏みしていた訳ではないと強弁したい気持ちは拭えない。所詮は夢幻の戯言と一蹴せよと理性が唱え、師があのようなことを口にするなど信じ難いと感情が叫ぶ。――それでも。
この胸に残された“凝り”は、いったい何なのか。只の些事だと笑い飛ばせないだけの何かが、胸中で渦巻いている。到底無視できないほど大きなわだかまりが、茹だった頭に冷や水を浴びせるように脳裏にひしめいていた。
『――お? 今日は早いじゃねぇか。感心感心』
「む」
底なし沼に沈んでいく光景を幻視するほどの思案。
それをカラリと朗らかに断ち切ったのは、拡声器から聞こえた脳天気な女の声だった。
『うん? 妙に冴えない顔してるじゃねぇか。何かあったか?』
「いや。何でもない」
『ふぅん。まぁ、気が向いたら話してみろよ』
ヤマトを実験室に幽閉し、日々実験と称して戦闘を繰り返させている技術者とは思えない言葉だ。
少なくない意外感と共に拡声器へ視線を向ければ、何事かを誤魔化すような咳払いが聞こえた。
『そんなことよりもだ! 今日の体調は問題ないか? 何かあればさっさと申告しろよ』
「……そうだな」
溜め息一つ。身体の各所に意識を巡らし、普段以上の調子を発揮できることを自覚する。モヤモヤと胸中に巣食う暗雲を無視すれば、状態はこの上ないと言えよう。
(切り替えねばならん)
深呼吸。
到底無視し難いほどの存在感を放つ暗雲を隅に追いやり、これからのことに思案を巡らせる。
(いつまでもこの実験とやらにつき合う訳にはいかない。いい加減、ここを脱する)
先日までの二日は、ここで行われる実験について探ることで精一杯だった。それでも分かったことと言えば、実験室内の出来事を女は完璧に理解しているらしいというくらい。すなわち、実験のどさくさに紛れて脱出を試みることは不可能。
ならば、どうするか。
(無理矢理押し通る他あるまい)
意図せず漏れ出た闘気に応じて、腰の刀がドクンと疼く。気を抜けば独りでに刃を抜きそうになる衝動を堪え、刀の柄を手で押さえた。
先日の実験から察するに、女が用意した敵手は全力をもっても勝利の危ういほどの存在であろう。実験終了後は暴れるだけの体力が残っているかは怪しい。ならば、事を起こすべきは――
(今か)
決意する。同時に、刀の鯉口を切った。
虎視眈々と戦意を昂ぶらせるヤマトに気がついていないのか、女の声が再び拡声器から聞こえ始めた。
『まぁ身体データに異常はないみたいだから、問題はないだろ。それじゃ、今日の実験内容を説明するぜ? まずは――』
「その前に、少しいいか」
意気揚々と説明を始めた女の声を遮る。拡声器越しに不満そうな視線が突き刺さることを自覚しながら、口を開いた。
「一つ、詫びたいことがある」
『詫び? 何のことだ?』
「なに、すぐに済む話だ」
言いながら、目標――実験相手が現れた壁への間合いを測る。
距離にして十メートルほど。一息に駆け寄るにはやや遠いものの、己が刀術をもってすれば詰められない間合いではない。
「昨日の話から察するに、ここはお前が私費を投じて作り上げたものなのだろう?」
『まぁそうだな。帝国の連中や魔王共から巻き上げた小銭で作った施設だぜ』
彼女の言う“小銭稼ぎ”の一貫として、魔導鉄道開発やら機兵開発やらが行われたと聞けば薄ら寒い心地になるが、それは置いておくとして。
「そうか。すまないな。俺はこれから――この施設を破壊する」
『おう? まぁそれは――あん?』
事もなげに告げられた言葉を、女は一瞬理解し損ねたらしい。とは言え、即座に理解したとて結果が変わるようなものでもない。
チラリと刃を覗かせた刀の柄を握り、刀身に気を這わせる。頭に描くは風の大太刀、目に見えず手に取れぬ幻の刃なれど、その鋭さは鋼鉄をも断ってみせよう。
「奥義――」
『おいこらテメェ! いったい――』
彼女には悪いが、その言葉に取り合うつもりは毛頭ない。
納刀した太刀を腰溜めに、思い切り身体を捻って。
「――『疾風』ッ!!」
抜刀。
神速の鎌鼬が空を裂き、傷一つなかった白い内壁をズタズタに斬り刻む。先々日から目で確かめた通り、他と比べて薄く作られていた壁はいとも容易く崩れ落ち、その奥に広がる空間を晒した。
『あぁぁぁあああっっっ!?』
「悪いな」
拡声器からキンと耳が鳴るほどの悲鳴が響く。
それに一言だけ詫びを入れてから、疾駆する。
『やりやがったなこの野郎!! 出るなら出るで、もっと穏便な手段を――』
「苦情を言いたいなら、そこで待っていろ。俺から出向いてやる」
ギャンギャンと喚く拡声器を遥か後方に置き去りにして、白い部屋を駆け出た。
ここに宣戦布告は成った。先に何が待ち受けるかは全く見通せないが、事ここに至って引き返すことは叶わない。ヤマトにできることは、この身が朽ち果てるまで全力で駆けるのみ。
「さぁ、勝負だ――!」




