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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
???編
212/462

第212話

 見事なシャンデリアから降る光で照らされた玉座の間。絢爛な飾りの施されたその部屋だが、今はひどく重苦しい空気が立ち込めていた。

 先の戦いによる疲労が抜けぬ配下たちは、今は各々の私室で休養にあたっている。ただ一人玉座に腰掛ける魔王は、どこかへ焦点を合わせるでもなく視線を虚空で彷徨わせてから、深々と溜め息を漏らした。


「……我らの敗北か」


 魔王が想起している情景は、先の戦い――必殺の布陣で臨んだ対勇者戦のものだ。

 これ以上ないと思えるほど有利な状況。騎士団長四名を含めた最大戦力で勇者を奇襲し、その力を奪い取る策であった。ミレディとナハトの術による精神干渉の助けも得て、魔王らの手ではどうあっても殺せない勇者を、己の手によって殺させる。穴が多くはあったが、勇者一行を圧倒し力の差を見せつけることができたならば、不可能ではない策だった。

 事実、勇者への精神干渉はこの上ないほど上手くいき、後一歩のところまで追い詰めることができたのだ。


(全ての原因は、あの剣士か)


 魔王の意識は極東の剣士――今は“彼女”が実験室に捕らえている男の方へ向けられる。

 剣の扱いに熟達していること以外は、特筆すべきこともない凡庸な男だった。それでも勇者一行の中で最も戦いに長けた者と警戒し、ヘルガに相手をさせた。ヘルガも魔王の期待を裏切らず、圧倒的な力の差を見せつけて男を叩きのめしたことは確認した。

 普通ならば心を折られていても不思議ではない状況。そんな苦境にあっても、彼は揺らぐ勇者を叱咤し立て直させた。ミレディとナハトの術を破った少女も驚異的ではあったが、彼の貢献の方が大きかっただろう。


(くそ、忌々しい)


 これが只の決闘であるならば、彼の功績を素直に称える気分にもなれただろう。

 だが、先の戦いは尋常なるものではない。文字通りの意味で魔族の命運を左右する、魔王にとっては一世一代の大舞台であったのだ。失敗は魔族の滅亡を意味し、それゆえに魔王たちはこの日まで力を蓄えてきた。

 ただ一人の男の奮闘で覆されたとあれば、心中穏やかではいられない。叶うならば、八つ当たり気味に男を斬り捨ててしまいたいところだが。


(“彼女”は奴を手放すまい)


 元々勇者の身柄を期待していた“彼女”は、今回の作戦失敗にひどく憤慨した様子だった。神であろうとも易々と声をかけられないほどの怒りを前に、魔王には男をそのまま差し出す他に手がなかったのだ。

 もっとも、男も今は“彼女”の実験室で想像するも恐ろしい目に遭っていることだろう。わざわざ魔王自身が手を下さずとも、今回の策を邪魔した咎を充分背負っているはずだ。

 そう考えて溜飲を下げる魔王の耳に、玉座の間が重く開かれる音が届いた。


「ふむ。ようやく来たか」

「――お待たせしました魔王様。遅れて申し訳ございません」


 先程までの気が抜けた佇まいを追いやり、魔王然とした凛々しい表情を取り戻す。

 睨めつけるように視線を送った先には、見るだけで辟易とするほどの深い闇が人型を取ったかのような不吉な男が立っていた。夜空のような黒いフードで全身を覆い隠し、その素顔は御前であろうとも晒しはしない。

 クロだ。


「お加減はよろしいようですね?」

「……皮肉のつもりか?」

「いえいえ滅相もない。ですが、ほんの僅かな掠り傷が致命傷になったという話は、枚挙に暇がないですからね」


 相変わらずの飄々とした態度だが、この非常時にも関わらず調子を崩さないクロの姿に、どことなく安堵するような心地もある。

 無意識に口端を緩めながら、魔王はクロの言葉を聞き続ける。


「それにしても、まさか魔王様が傷つけられるとは思いませんでしたよ」

「そうだな」


 クロの言葉に頷く。

 魔王が「魔王」として活動している理由は、その身に歴代魔王の加護を宿したからに他ならない。この加護を得た者は、勇者や彼らの扱う聖剣といった例外を除いて、およそ尋常の手段で傷つけることはできない。

 その肉体が、男の手によって僅かばかりとは言え傷つけられた。額を浅く斬られただけと言えども、無視していい事柄ではない。


「“彼女“から理由は聞き出せたか?」

「どうやら、彼の使っていた刀に絡繰りがあったようですね。長年の年月と数多の戦場を巡る内に、その刃に尋常ならざる魔性を宿すようになったのだとか」

「魔剣のようなものか」

「……ふふっ、確かにそう言えそうですねぇ」


 魔王軍では、騎士団長に代表される上級騎士に魔剣が貸与されている。歴代魔王と“彼女”の研究によって完成した魔剣の刃は、只の人間であれば触れることすら困難なほど魔力が濃縮されており、掠り傷一つで人を発狂させられる程度の力は有している。そうした狂気の剣であれば、魔王の加護も僅かながらに貫くことは可能。

 そんな異常の刃を人間が扱えていることは驚くべきだが、理屈は理解しやすい。


「人の中には聖剣術なる技も伝わっているそうですからねぇ。案外、魔王様を害せる刃はありふれているのかもしれませんね」

「そうか」


 その刃の中に、クロが個人的に雇った傭兵の一人――青鬼と名乗る男が含まれていることを、内心で密かに思い起こす。

 「やはり油断ならない男だ」と警戒を張り直してから、魔王はクロに話の本題を切り出す。


「そなたを呼び出した件も、それに関係あることだがな。先の戦いの折に、勇者を害する刃を持っていると話していたな?」

「えぇ、言いましたね」

「仔細を聞かせろ」


 絶対勝利の加護を宿した勇者を仕留められず、完全に敵対者として認識されてしまった今。魔王軍の敗色は濃厚であり、およそ尋常な手段で覆せるようなものではない。それを為すための鍵が、クロが持っていると語った刃だ。魔王軍の標準装備には至らずとも、各騎士団長に配布する程度に量産できるならば、この戦いはまだまだ目がある。


(クロの手を借りるというのは、業腹ではあるが。背に腹は代えられん)


 日頃から魔王の配下らしからぬ言動の目立つクロだが、勇者殺しを目前にして、その凶器を明かそうとしなかった罪は重い。本来ならば即座に処断すべき事態だが、その暇すらも惜しいほど魔王軍は切羽詰まっていた。

 そんな魔王の事情を知ってか知らずか、クロはフードの下からニヤニヤとした笑みを零す。


「えぇ構いませんとも。私も魔王様の忠実なる下僕の一人ですからね。明かすことに何の遠慮もありません」

「……そうか」


 諸々の文句を必死に飲み込んで、クロの言葉に頷く。

 その様子に満足気な雰囲気を漂わせながら、クロは懐から一振りのナイフを取り出した。確かに、先の戦いでクロが勇者に突き立てようとした物だ。


「これが件の品です。お手に取ってみます?」

「あぁ、そうしよう」


 クロの誘いに頷き、彼が差し出すナイフの柄を握る。


(これは――)


 手にした瞬間にナイフから伝わる、背筋が凍りつくほどの狂気。元より暗かった玉座の間が更なる暗闇に閉ざされ、数え切れないほど怨嗟の声が脳内に響き渡った。遮二無二に刃を振り回したいという衝動、人の血肉を裂きたいという渇望に襲われる。思わず顔をしかめ、見るからに禍々しいナイフの刃から目を逸らす。

 そんな魔王の様子に気がついたのか、面白そうにクロは笑い声を上げる。


「相当な代物だな」

「えぇ、曰くつきの逸品です。年に千を越す者を殺めた鬼の得物であり、手にした者に無尽の狂気と殺意をもたらす。魔王様と言えど、あまり握り続けない方がいいですよ?」

「そのようだ」


 今にも誰かを殺したくて仕方ない。そんな破滅的な衝動を必死に抑え込みながら、魔王はナイフを手放す。

 途端に押し潰されそうなほどの狂気から解放されて、荒く息が漏れ出る。全身から脂汗が溢れ、今すぐに倒れ込みたいと思えるほどの脱力感が身体を襲った。


(これでは、兵に配給するような真似はとてもできんな)


 濃すぎる魔力は人の精神を病ませる。比較的普通の兵器である魔剣であっても、相応の精神鍛錬を行った者でなければ狂気に囚われ、敵味方の区別なく無作為な殺戮を振り撒く狂人と化してしまうのだ。

 例えクロの持つナイフを量産できたとしても、それを扱える者がいない。魔王であってもこの有り様なのだから、各騎士団長たちですら満足に扱えるかどうか。


「私自身も緊急時以外は握らないようにしていましてね? 言うなれば、奥の手のようなものなのですよ」

「……これも、奴の刀に近しいものか」

「それよりも熟成されていますが、似たような物です」


 “彼女”の実験室に捕らえられた男。

 先程は魔剣紛いと軽んじた刀だが、クロの持つナイフの底知れなさに触れた今、その言葉を撤回したい気分だ。魔剣紛いなどではなく、これこそが真に魔剣と呼ぶに相応しい。

 思わず気勢を削がれた魔王に対し、クロは飄々とした調子を崩さないままに言葉を続けた。


「まぁこれは例外中の例外のようなものですが。要は、より魔性を高めた魔剣であれば勇者の身体を傷つけることが可能なのですよ。外傷による致命ではなく、傷口から入り込んだ呪いが勇者の精神を犯し、加護を失効させる」

「そのようなことが可能なのか」

「勇者の加護はあくまで肉体強化に限られますから。心を壊すやり方には、存外に脆いのですよ」


 それは、魔王たちが勇者に自決を求める策とも似た理屈だ。

 肉体での力比べになれば勝ち目はなくとも、その埒外での勝負――精神を屈服させることを目的にすれば、幾らでもやりようはある。そのことを分かりやすく形にしたものが、このナイフという訳か。


「“彼女”にもこれを見せたところ、適宜解析するという話になりました。もしかしたら、近い内に容易く勇者を殺せる兵器が作られるかもしれませんね」

「そうなることを願うとしよう」


 頷きながら、心持ちが先程よりも幾分か軽くなっていることを自覚した。

 クロの言葉通り、“彼女”が対勇者用兵器の開発に成功したならば、それでよし。もし間に合わなくとも、勇者の力を損なわせる方法は幾つか思い浮かんだ。どれも楽な道のりではないが、もはや絶望しかないと未来を悲観するほどのものではない。


(まだ、こんなところで足を止める訳にはいかぬか)


 この命が燃え尽き果てるそのときまで、決して足を止めることは許されない。

 いざとなれば刺し違えてでも勇者を仕留め、魔族の血脈を後世に伝え残す。それこそが、歴代魔王の魂を受け継いだ瞬間から課せられた、この命よりも重い至上命令なのだから。

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