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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
北地編
211/462

第211話

 ヒカルが作動させた転移術の光が収まっていく。

 直視していれば目が眩みそうな空間の歪みが収まり、辺りの景色が見覚えのある場所――北地とエスト高原の境目である峠に落ち着き始めた。そこに魔王軍騎士団長らの姿がないことに、ようやく戦いの場から逃れられたことをレレイは実感する。


(とは言え――)


 ひとまず身の危険は去った。そのことは確かであったが、転移を済ませたヒカルたち一行の間の空気は重苦しく、迂闊に声を上げることも憚られるような有り様であった。

 その原因は、転移の間際に逸れてしまった仲間の存在にある。


「ヤマト……?」


 呼吸もままならないほどに充満していた殺気が霧散し、北地特有の冷たい風が吹き抜ける中。

 転移を解き、戦闘時の緊張を一息に緩めたヒカルが呆然と声を上げた。


「ヤマトはどうした!?」

「……逸れたよ」


 短く答えたのはノアだ。


「逸れた?」

「転移の隙を縫ってヒカルを狙った奴がいたみたいでね。その迎撃をするために、転移から出ることになったみたい」

「そんな……!?」


 つまり、ヤマトは未だ魔王軍一行の前に単独で残されているということ。

 そのことに理解が及んだヒカルは、驚き慄くように硬直した後、即座に足元に転移の陣を描いた。


「ヒカル、何をするつもり?」

「決まっている! ヤマトを放って置ける訳がない!! 今すぐ戻って――」

「させないよ」


 その言葉を遮るように、ノアは手にしていた魔導銃を発砲した。放たれた弾丸は地面に描かれていた魔法陣を撃ち抜き、そこに込められつつあった魔力を霧散させる。


「ノア!?」

「駄目だよヒカル。それだけは、絶対に認められない」

「何を――」

「ヒカルも分かっているよね? あの場所の状況は絶望的。今すぐに戻って万が一奇襲が成功したとしても、僕たちが全員無事でいられる保証はない。むしろ、何もできないまま返り討ちに遭う可能性の方が高い」

「く……っ!!」

「僕たちの使命は魔王を殺すことだ。そのために、何があってもヒカルだけは確実に生き延びなくちゃいけない」


 悔しげに俯くヒカルにノアはとうとうと語って聞かせる。それは勇者ヒカルが成すべき使命――世界を救うために如何なる犠牲を払ってでも魔王を殺すべしという至上命令。勇者一行の一員として活動するにあたってレレイ自身も聞かされた内容であり、密かに腹をくくっていたことでもある。


(それでも、現実に起こってほしくはなかったな)


 密かに溜め息を漏らす。

 確かに、腹をくくってはいた。平穏な日々を送る中で、明日には誰かの命が失われているかもしれないという恐怖は常に胸の奥底に眠っていた。それでも、心のどこかでは皆無事に使命を達成できるはずだと楽観的な気分でいた己がいることも確かだった。

 その最初の犠牲が、よりによってヤマトとは。


(ある意味、“らしい”と言えば“らしい”のかもしれないが)


 勇者一行の中で最も卓越した剣術――否、刀術の使い手であるヤマト。幼い頃から武に携わり、そして長らく大陸を旅してきた経験もあって、彼はレレイたちにとって頼り甲斐のある存在だった。魔力を一切順応していないという大きな欠点を踏まえてなお、彼の価値は曇るところはない。

 そんなヤマトは、勇者一行においてなくてはならない要石のような存在だったのみならず、豊富な経験値を活かした切り込み隊長と言うべき存在でもあった。危地があると分かれば真っ先に飛び込み、己の身すらも顧みずに戦う。ゆえに、魔王軍との戦いが始まれば一番に傷つくのは彼であろうことは、口に出さないながらも全員が察していた事実だ。


(――私がもう少し速く動ければ)


 そんな後悔が頭をよぎったところで、急いで首を振って思考を払い落とす。

 もっと早くに気づいていたら。もっと強い力を手にしていたら。もっと賢い手を選出できていたら。この結末は、きっと違ったものになっていたはず。そんな後悔が絶え間なく湧き出してくるが、今はそれに気を取られている暇はない。


「これからどうするかを考えるべきか」

「そうだね。ひとまず安全な場所まで飛ぶことはできたけど、いつまでも安全な訳でもない。早く次の手を決めて、もう少し落ち着ける場所にまで行かないと」


 北地へ渡るまでに途方もない時間を要したが、帰るのであればその時間は大幅に短縮される。自分の足で行ったことのある場所であれば、ヒカルの力で瞬間転移が可能だからだ。とは言え、行き先も決めずに転移を繰り返せるほどの余力もない。

 以前より懸念されていた魔王が遂に姿を現した。すなわち、いよいよ人間対魔族の全面戦争が開始されるということ。


「北地にあるって話だった聖靴を回収できなかったことは痛手だけど、致命的な訳じゃない。今すぐは無理だけど、時期を見計らって回収しに行くことは不可能じゃないからね」

「ならば、残ったもう一つの武具を回収するべきかしら」


 俯いたまま口を開こうとしないヒカルに代わって、ノアがリーシャの提案に首肯する。


「それがよさそうかな。場所は掴めているの?」

「どうかしら。それを確かめるためにも、一度教会本部に顔を出すべきでしょうね」


 クロとジークの襲撃によって聖地が破壊されたとは言え、太陽教会の威光は未だ大陸で輝き続けている。教会を通じることで、魔王軍始動の警告を大陸各国へ届けることも容易であろう。

 ヤマトがパーティから離脱した分の補充を受けられる、という可能性も考えられるが。


(ひとまずは後回しだな)


 今はそれを考えられるほどの余裕もない。

 ヤマトのことから思考を遠ざけるように、レレイの頭は別のことについて考えを巡らせ始める。


「教会に行くのはよいとして。この娘はどうするつもりだ?」

「うん?」

「……それだよね」


 ヒカルの転移でこの峠に飛ばされた者は合わせて五名。ヒカル、ノア、リーシャ、レレイの四名に加えて、ヒカルが背後で庇っていたリリだ。彼女は魔族らしくない人懐っこさでヒカルにくっついたまま、この場所までついてきてしまったらしい。

 状況を今一つ理解できていないながらに、とても尋常でない事態が起こっていることは分かっているらしい。無邪気な表情を陰らせて、険しい表情を浮かべるノアたちの顔を順番に見上げていた。


「元いた村に帰すか?」

「それが一番手っ取り早いんだけどねぇ」


 答えながらも、ノアの表情は浮かない様子。

 そのことに小首を傾げると、ノアは躊躇うような素振りを見せながらも口を開いた。


「ヒカルの転移を使えばちゃんと帰せると思うよ? だけど、この娘が僕たちと一緒にいたってところを、魔王たちには見られているからねぇ」

「ふむ。穏当にすごせるとは限らないか」

「最悪、事情徴収のために尋問されたりするかも」


 あり得ない話ではない。

 まだ北地に残っているリリの姉ラーナのことを思えば、彼女を元いた場所へ帰してやりたいという気持ちはある。だが、果たしてそれをしてリリが無事でいられるのかどうか。


「ただまぁ、結局はこの娘の意思次第だよ」

「……それもそうか」


 ノアの言葉に首肯する。

 まだ未成熟な子供とは言え、彼女は年頃に比べると利発だ。誤った判断を下したとしても、彼女自身が決めたことであれば納得はできよう。

 そんな思いを込めてノアがリリの目を覗き込むと、リリも会話の流れを理解していたのか、小さく首肯した。


「一緒に行く!」

「……本当にいいのかな?」

「行くの! 私あっちに行きたい!」


 エスト高原側――北地では見ることができない豊かな緑色に染まった景色を指差して、リリは興奮の声を上げる。

 それに僅かに渋面を浮かべたノアだったが、ちらりとヒカルの方を見てから、諦めたように溜め息を漏らした。


「仕方ないね」

「やったー!!」

「だけど! 向こう側も結構危ない場所は多いから、ヒカルから離れないようにしなよ?」

「分かったー!」


 本当に理解しているのかと疑いたくなるような無邪気な声を受けて、ノアはますます溜め息を大きくさせる。

 これまで俯いたまま微動だにしていなかったヒカルだが、その言葉を受けてピクリと身動ぎをした。如何に大きな衝撃を受けていたとしても、リリを守らなければならないという使命感は彼女を動かすに値するものだったのだろう。


(――それが狙いか)


 ふと納得する。

 勇者一行として理性的に判断するのであれば、これから先の戦いにリリを同行させることなど無意味。己の身すら危うい激戦を、足手まといを抱えて切り抜けることは困難を極めるだろう。さっさと魔族の村に送り届けて、後は只の他人として記憶から消し去ってしまうのが得策だ。

 だが、現実にリリの存在はヒカルの心を動かした。ヤマトの喪失を受けて失意に沈む彼女を、ひとまず歩き出させるための起爆剤にはなったのだ。経験が浅く精神が未熟なヒカルが動くためには、そうした心の支えとなる存在も必要なはずだ。


「策士だな」

「どうしたのレレイ。何か言った?」

「……いや、何でもない」


 きっと、ノアはそうしたことを織り込んで判断したはずだ。リリの気持ちに委ねるなどと口にしておきながら、彼女が同行を希望することは読み切っていたに違いない。人のよさそうな笑顔を浮かべていながら、その腹の内はずいぶんと真っ黒だ。


(恐ろしい男だ)


 長年連れ立った相方を失った今、ノアこそが精神の均衡を失っているはずの者であった。だが、現実にノアは勇者一行が成すべきことを冷静に計算するのみならず、それぞれの心情を慮るだけの余裕さえも見せている。彼もヤマトの喪失に衝撃を受けていないはずはないのだが、それを露も表に出さない。

 いったいどれほどの経験を積めば、それだけの余裕を持つことができるのか。少なくともレレイでは、それほどの高みには当分至れそうにない。


(私も、彼ほどに強くあることができていれば――)


 浮かびかけた自嘲を再び振り払う。

 己の力不足は重々承知している。それゆえに失った存在の重みも理解している。それでも、ここで足を止める訳にはいかない。

 気を抜けば下を向きそうになる己を叱咤して、レレイは風に揺れる緑色のエスト高原を睥睨した。

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