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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
北地編
209/462

第209話

「逃したか……」

「申し訳ありません魔王様。存外に鼻が利く番犬に吠えられてしまいまして」


 落胆の溜め息が言葉と共に漏れ出た。それに軽い調子で答えるのは、いつの間にか姿を現したクロだ。

 今回の作戦では結界維持――万が一にも勇者に逃れられぬよう、外界と内界を完全に遮断する結界を管理する任をクロに与えていたのだが、不発に終わってしまった。さしものクロであっても、破壊された結界を即座に元通り復元することは不可能であったらしい。

 とは言え。


「案ずるな。元より覚悟していた事態だ。それに、貴様のおかげで敵方の者を捕らえることができた」

「……ハハッ、ありがたき幸せ。それでは私はこの辺りで失礼しますよ」


 ちっとも敬意を含めていない礼と、家臣に相応しくない傍若無人な態度。

 だが、既に慣れたものだ。魔王は鷹揚に頷いた後、ボゥッと虚空に視線を彷徨わせた。


(転移か。見事な手際であったな)


 現実逃避をするついでに、先程の光景を思い返す。

 勇者が転移術の起動を始めて、ほんの一分も経過していない。魔王軍が誇る騎士団長らの猛攻を退け、更にはクロが密かに張った結界までも破壊しての逃避行。あまりにも鮮やかな手際を前にしては、敵ながら天晴と褒める他ない。相手が勇者でさえなければ、魔王も心の底から感嘆の息を吐くことができただろう。

 唯一にして最大の問題は、逃れた者が勇者であることだ。魔族にとって安息の地たる北地全土を巻き込んだ大作戦は、勇者がこの部屋から逃れた瞬間に崩壊した。土壇場でクロが勇者暗殺を試みたらしいが、その試みも紙一重のところで避けられてしまったという。


(負け、か)


 それは、この氷の塔における戦いに限った話ではない。

 絶対勝利の加護を授かっている勇者が、魔王たちを敵対者として明確に捉えた。すなわち、神の名において勇者の勝利が約束されてしまった。魔王としても可能な限り抗うつもりではいるが、歴代魔王の尽くが敗退した運命だ。彼らと比べて特別優れている訳でもない己が運命に打ち勝つというのは、あまりに希望的観測がすぎるだろう。


(唯一の救いは、勇者の下にあの娘が加わったことか)


 魔王の背後で青ざめた顔をしている女性、その妹君を思い出す。

 元の天真爛漫さが伺える顔立ちをした少女は、魔族の大半に根づいた人間への恐怖心も芽生えてはいなかったらしい。彼女が勇者の仲間として動いてくれるのならば、絶滅寸前にまで数を減らされようとも、魔族が生き延びる道はあるかもしれない。


(そう思えば、この策も全くの無駄ではなかったな)


 過程はどうであれ、ひとまず勇者と魔王のどちらが勝っても魔族の血は継がれる。

 そのことにホッと安堵の息を漏らしたときのことだ。


「――貴様、何を呆けている」


 ゾッと背筋が凍りつくほどの殺気をヘルガに叩きつけられる。

 魔王のことを主君とは欠片も思っていない不遜な態度。反射的にヘクトルがヘルガに掴み寄ろうとしたところを、魔王は軽く手で諌める。


「すまないなヘルガ。このような形にはなったが、ひとまず戦いを終えたことに安堵したようだ」

「終えただと?」


 顔面全てを覆い隠す兜がなかったならば、ギロリと殺意すら滲ませた視線が飛んできたことだろう。

 思わず脂汗を滲ませながらも、魔王は言葉を続けた。


「何だ、あの人間のことを警戒しているのか? だが、それは杞憂というものだ」

「………貴様は……」

「この場にはお前がいる。他にも、ヘクトルやミレディという頼もしい騎士団長がいるのだ。何を不安がる必要がある?」


 確かにヘルガが指摘する通り、この部屋にはまだ人間――極東由来の長刀を携えた男が残っている。彼は最後の最後で勇者の転移術から外れ、ここに取り残されてしまったらしい。そんな彼が相当な実力者であることは伺えるが、所詮は人間。魔族の中でも指折りの強さを誇る面々が揃い立つここで、どれほど暴れられるというのか。

 そう当たり前の道理を頭に浮かべた魔王に対して、ヘルガは辟易としたように溜め息を零す。


「間違えても前に出るな」

「存外に心配性なのだな」


 既に大局の敗北を悟ったからか、口がペラペラと滑らかに動く。

 ヘルガは魔王の軽口には一切反応しないまま、腰の剣を抜き払って人間と対峙する。その佇まいには格下相手だからという油断は一切感じられず――むしろ、格上と相対するときのような緊張感が張り詰めていた。


「ヘルガ?」

「構えろヘクトル。王の首を取られたくなければな」

「王の首を取るだと?」


 魔王と同様に呆然とした面持ちでいたヘクトルだが、少々物騒なヘルガの言葉に顔をしかめる。それでも得物を構えて戦闘態勢を整えた辺りは、流石騎士団長と言うべきか。

 ヘクトルは愛用の得物――両腕それぞれを守る大盾二つを構えてから、人間の青年を睨めつけて口を開く。


「あの人間がどうかしたのか」

「分からん。だが、得体の知れないものを感じる」

「得体の知れぬもの、か」


 半ばヘルガの言葉を真に受けていないながらも、王の守護騎士を名乗る以上は無視する訳にはいかない。大質量の肉体に余すところなく力を込めて、ヘクトルは真っ直ぐにヤマトを睨めつけた。


「王よ! 某に戦闘許可を与えてくだされ!」

「構わぬ。やれ」

「ハハッ!!」


 戦闘許可――すなわち、敵対者の生死を問わず無力化せよとのこと。

 忠義に厚い大男という風情であったヘクトルが一転、血肉に飢えた獣の如き獰猛な笑みを浮かべる。城勤めの近衛騎士から急転して、戦場に猛る大武者へと変貌。


「悪く思うなよ人間! これも王の命ゆえに!!」

「………バカが……」


 ボソリとヘルガが毒づく。

 その言葉も耳に入らない様子のヘクトルは、周囲を威圧するように両拳の大盾を打ち合わせた後、ゆっくりと腰を沈める。


「先の人間は触れればすぐに壊れそうであったからな! 貴様であれば、手加減する必要もあるまい!!」

「―――」


 相対する人間の青年は、ダラリと刀を脇に垂らして俯いた姿勢のまま微動だにしない。仲間から孤立し、死を待つばかりとなった己の運命を悲観しているのか。

 だが、そんな哀れな姿を見せたところで躊躇うヘクトルではない。


「行くぞぉぉおおおッッッ!!」


 高らかな雄叫び。

 決して従者を殺すなという事前の策を守るため制限していた力をヘクトルは解き放った。騎士団長と呼ぶに相応しいだけの魔力が辺りを奔り、その濃度で周囲の空間を歪ませる。声一つに莫大な魔力が宿した獣を前にしては、並の者であれば意識を保つことすら困難であっただろう。


(流石は勇者の従者と言うべきか)


 密かに感心した魔王が見つめる中。

 獲物の力を見定め、間合いを測り、機を伺った獰猛な獣が――跳躍した。


「ォォオオオッッッ!!」


 それは稲妻の如き鋭き疾駆でありながら、瀑布の如き重みを伴った突貫。その肉体全て――否、身にまとう風全てまでを凶器と化して、暴力の権化が突っ込んだ。

 誰の目にも明らかな決着。目を血走らせ牙を剥く肉食獣を前に、頼りない子羊はただ佇むばかり。一瞬後の結末を直感して、魔王がそっと目を逸らそうとしたときのことだった。


「―――――」

「な……ッ!?」


 耳障りな金属音――そして、空を舞う血飛沫。

 驚愕と苦悶の声を漏らして衝突から飛び退ったのは、未だ身体から熱を漂わせるヘクトルの方であった。


「貴様、何をした!?」


 あまりの出来事に魔王の頭が追いつかない。

 ただ茫洋と立っていたようにしか見えない人間は、相変わらず無傷のまま立ち尽くしている。変化があるのは、その手に握られた刀。その曇りなき刃は鮮血に塗れ、ひどく残忍な光を宿していた。


「――ヘクトル!?」


 すぐさま我に返り、飛び退ったヘクトルの方へ視線を転じれば。

 意気揚々と飛びかかったヘクトルは、その腕に深々と切り傷を負っていた。両拳を守護する大盾の一つは真っ二つに断ち切られ、残る片方も鮮血を浴びてかつての輝きを失っている。


「ぐぅ……!!」

「ヘクトル! 傷は大事ないだろうな!」

「……ご心配は無用であります、王よ。この程度の掠り傷、唾でもつけておけば治りましょう」


 明らかに強がりと分かる言葉。だが、事実ヘクトルの腕の傷はしゅうしゅうと白い煙を立てながら塞がり始めている。あと数分程度もすれば、斬撃を受けたことなど嘘のように完治することだろう。


「奴に何をされた?」

「……申し訳ありません。某の目でも定かなことは分からず――」


 にわかに警戒を引き上げる魔王とヘクトルに答えたのは、ヘクトルと人間の衝突を眺めていたヘルガだった。


「斬られた。それだけにすぎん」

「……斬られただと?」

「貴様の目に何も映らなかったのは、それだけ奴の剣が速く、貴様が鈍かったというだけの話だ」


 息を吸うように侮蔑の言葉を口にしたヘルガに対して、ヘクトルは渋面を浮かべながらも口答えをしない。


「貴様には見えたのか」

「ひとまずは。――だが、あれが奴の全力ではあるまい」


 驚愕の声を上げたいところを必死に堪えて、魔王は前方に立つ人間の男を見やる。

 今ここに立つまでの間に幾つもの戦いを経て、相当に消耗しているはずだ。それが察せられるほどに服はボロボロで、あちこちに激しく擦りつけた跡が残されている。だが、ヘクトルの鮮血に塗れた刀を片手に茫洋と立つ姿からは、消耗した様子が一切伺えない。


(こいつは――)


 これまでずっと俯いていた人間の男が、そっと顔を上げる。その瞳はひどく虚ろで、この世界の何物をも映していない――否。


(我の首だけを狙っているのか……!?)


 伝説に謳われし初代魔王を思わせるほどの深い深淵の中。

 ギラギラと禍々しく輝く殺意の炎が、男の瞳に宿っていた。

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