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異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
北地編
208/462

第208話

 正気を取り戻した様子のヒカルが、急いで転移の準備を始める。

 それを尻目にしながら、ヤマトたちは魔王と四人の騎士団長らと向かい合った。


(叶うならば、今すぐにでも転移でこの場を脱したいところだが)


 それを成すための障害は二つ。

 一つは、ヒカルが大規模転移を発現させるための準備に時間を要すること。ヒカル単独の短距離転移であれば即座に発現できるものの、多人数の長距離転移ともなれば相応の準備期間を必要とする。その間に集中を途切らせないために、しばらくの間はヒカルを抜いたヤマトたち四名で戦線を維持しなければならない。

 もう一つは、この部屋――氷の塔最上階が結界により外界から隔離されていること。如何にヤマトたちが奮戦してヒカルの転移が発動可能となっても、この結界によって部屋が隔てられている間は戦闘離脱は不可能だ。こちらの対処については、事前にノアにある程度打診していたが――


「解析は済んでいるか?」

「……正直、もう少し時間は欲しいかも。七割方終わってはいるんだけど、最後の一押しが足りない感じ」

「そうか」


 恐らくは、この場に姿を見せていないクロが維持している結界。彼の操る魔導術が尋常でない技巧により支えられていることは、これまで幾度となく対峙したヤマトとノアは嫌というほど理解していた。大雑把に結界を突破できると見込んではいても、可能な限りの保険はかけておきたいというところが正直な思いだ。

 つまりは、ノアの支援も大して期待できないということ。ヘクトルとの戦いの片手間で、ヒカルにかけられたミレディとナハトの術を解析してみせたノアであったが、その器用さに頼った戦術を立てるのはリスクが高いだろう。


(三対五、ということか)


 こちらはヤマト、リーシャ、レレイの三名。前衛二人に後衛一人というバランスのよい布陣には見えるが、頼もしさが感じられるほどのものではない。

 対するあちらは魔王、ヘルガ、ヘクトル、ミレディ、ナハトの五名。前衛二人に後衛二人は確実として、魔王は遊撃を務めるのだろうか。いずれにせよ、与しやすい相手では決してない。


(厳しい戦いにはなるだろうが――)


 不思議と、心に不安は浮かんでこない。

 勝利を望めないほどの苦しい戦い。そうした逆境は既に幾度も乗り越えてきた。相対する敵手――特にヘルガはこれまで経験したことがないほどの強者ではあるが、全く歯が立たない相手という訳でもない。


「全力を尽くすまで」


 湧き起こる闘争心に応えて、刀の刃が震えるような錯覚。

 それに目を奪われる間もなく、魔王軍の一人――ミレディが流麗さを感じさせる動きでゆらりと腕を掲げた。


「ふふっ、いい顔をする人間ね。個人的には嫌いじゃないのだけど、ごめんなさいね? これも仕事だから」


 その言葉と共に、ミレディの瞳が怪しく金色に輝いた。周囲の空間がグラッと歪むような幻覚の中、蠱惑的な笑みを浮かべる。

 思わず首を傾げて彼女に見入ろうとしたところに、焦りを滲ませたリーシャの叫び声が耳に届く。


「術が来るわよ! 彼女を直視しないように!」

「ふふふっ! もう遅いわ――」


 深い笑みと共に腕を一薙ぎ。その指先から青白い炎が迸った。

 計十発にも及ぶ炎の弾丸が様々な曲線を描きながら殺到する。その軌道を見切るために目を細めながら、炎の陰に隠れるようにして肉薄するヘルガの姿を認める。


「リーシャ、そちらは任せた!」


 炎を避けるために後退りかけていたところを中断、急速に迫り来るヘルガへと刀の切っ先を向ける。

 ミレディがどのような術を使ってくるのかが読めないものの、明らかに実力が隔絶するヘルガを無視することはできない。既に交戦した経験があるリーシャにミレディを任せて、ヤマトはヘルガの対処に意識を割くべきだろう。


「奥義――」

「ずいぶんと性急なことだ」


 呆れるような声を上げながらも、ヘルガは禍々しい魔剣の刃を立てる。

 それを前にして刀を腰溜めにし、刃に気を這わせる。


「『疾風』!」

「温い!!」


 空を斬り裂く鎌鼬の弾幕に対して、ヘルガは一歩も退かずに魔剣を振り上げる。斬撃から溢れ出した魔力の波が鎌鼬とぶつかり合い、相殺し合う。


「その程度の力で、我を斬れると思うな」

「思ってなどいない」


 駆ける勢いを鈍らせることなく『疾風』を凌いだヘルガに対して、ヤマトも余裕を伺わせる面持ちで首肯する。

 怪訝そうに小首を傾げたヘルガ。その懐へ、気配を極限まで忍ばせたレレイが潜り込む。


「む――」

「せいっ!!」


 掌底。

 ただ打ち砕くのではなく、衝撃を対象の内側へ潜り込ませ、破裂させる危険な技。如何に強硬な鎧で身を守ろうとも、その技を直撃してなお無事でいられる道理はない。

 その技の危険性を直前で察知したらしいヘルガは咄嗟に急停止、そのまま飛び退ろうとするが――


「遅い!」


 ズドンッと重い音と共にレレイの掌底が打ち込まれる。

 まるで竜種の咆哮の如き衝撃波を撒き散らしながら、ヘルガの身体が空に浮き上がった。


(直撃。通常であれば身動き取れないほどの重傷になるはずだが)


 現実離れしているほどの呆気なさで吹っ飛ばされるヘルガを眺めながらも、ヤマトは確信を得る。

 この程度で沈むような敵ではない。

 その認識を裏づけるように、空中で器用に体勢を立て直したヘルガは、掌底を受けた勢いを逃すように身体を捻りながら音もなく着地した。膝すら地につかずに立ち上がるその姿からは、会心の一撃を身に受けたことが嘘のような余裕すら感じさせる。


「ふむ。よい一撃だ」

「……手応えは確かにあったのだがな」


 レレイは首を傾げているが、事実としてヘルガは平然とした様子でそこに立っている。

 その手に握られた魔剣の切っ先に視線を流すが、その刃が震えているようなところも見られない。パッと見て分からないほどに抑えることができても、痛覚による身体の反応を遮断することは不可能なはずだが。


(あの体勢から完全に衝撃を逃すことは不可能。ならば、痛みを痛みと感じないようになっているのか?)


 取り留めのない憶測が浮かんだところを、すぐに頭を振って気を取り直す。

 ちょうどときを同じくして、十の曲線を描いて飛来した炎の弾丸は全て、リーシャが生み出した『障壁』に受け止められ、バチバチと青い火花を散らして霧散していた。彼女の兄ジークも散々見せつけてくれた技だが、高速展開される透明な『障壁』は汎用性に長けている。敵として見た際はただ脅威的だった技だが、味方として支援されると心強いことこの上ない。


(だが、成果はあったようだ)


 ヘルガ自身へのダメージという意味では、ほとんど与えていないようだが。

 ヤマトとレレイがヘルガを一時だけでも退けたという点は、その後ろに控えていた魔王らに大きな衝撃を与えたようだった。


「はぇぇ……!!」

「あらあら」

「ふむ、まさか貴様が遅れを取るとはな」

「遅れを取った訳ではないが……。だが、見事な腕よ」


 臆する様子は見せないながらも、ピリッと痺れるような緊張感を騎士団長の面々は漂わせる。油断なく各々の得物を構え、ゆっくりと包囲網を築く方針を取ったようだが。


(それは好都合だ)


 背後から聞こえるノアの靴音に、そっと頬を緩ませる。


「時間稼ぎは成功か」

「おかげ様でね」


 力強いノアの言葉に、無言ながらヒカルも首肯する。部屋を覆う結界を突破し、転移でこの場を逃れる準備が整ったということだ。

 訝しげな表情を浮かべた魔王らを前にしながら、ヒカルは腕で空を一閃する。


「――飛ぶぞ!」


 その声と同時に、ヒカルを中心として床が一気に眩い光を放った。徐々に光に飲まれた空間が歪み始め、部屋の中に吹雪で囲われた雪原の景色を映し出す――同時に、歪む空間を一つ外側から覆う透明な壁が現れた。


「ノア!」

「そっちの方はお任せあれってね!」


 透明な壁が空間の歪みを無理矢理抑え込み、転移を不発に終わらせる寸前。ヤマトの声に応えたノアが、パンッと手の平を打ち合わせた。

 辺りの緊迫した雰囲気に似合わない乾いた音が響くのと同時に、透明な壁に深々とヒビが入る。


「な……っ!?」

「結界を破壊したのか!?」


 どよめく魔王たち。それぞれの得物を手に転移へ割り込もうと踏み出すが、その寸前をノアの銃撃が牽制する。

 空間の歪みは瞬く間に深くなっていき、もはやヒカルが放置しても発動するほどの規模となる。ひとまずの逃亡を確信したノアが銃を下ろし、魔王軍の騎士団長らも口惜しげな表情を浮かべる中。


(―――?)


 ノイズのようなものがヤマトの脳裏を奔った。得体が知れず、その正体を明かすことも困難なほどに些末なノイズだ。平時であれば構わず無視したであろうそれが、高揚状態にある今においてはひどく不吉なものに思えて仕方ない。

 安堵の表情を浮かべる仲間たちと、落胆する敵たち。その両方の気配を慎重に探りながら、不安感が腹の中で急速に膨れ上がることを自覚する。落ち着きなく視線を巡らし、祈るような心地で周囲の平穏を確かめる。

 転移の影響下にいるのは、ヤマトを含めた勇者ヒカル一行に加えて少女リリ。対する転移の外にいるのは、魔王と四名の騎士団長、それに戸惑いの表情を浮かべる女性ラーナ。転移に巻き込まれることを恐れてか、それ以外の理由があるのかは定かではないが、彼らはヒカルの術中に踏み込んで来ようとはしていない。


(――いや、あれは……!?)


 ヤマトが“それ”に気がつくことができたのは、ほとんど偶然の産物であった。

 転移の術の余波により光り輝く室内。その場にいる全員が戦いの結末を前にして息を抜き、注意を疎かにする中。全員の死角を縫うようにして、一つの“影”がヒカルへと迫っていた。黒いモヤが人型を取っているかのような不確かさの中、その手に握られる凶器――禍々しく輝くナイフだけが、やけに明瞭にヤマトの目に映る。


「ヒカ――」


 叫ぼうとして、本能で理解する。これでは間に合わない。

 “影”とヒカルの間合いは既に数メートルほどに狭まっている。“影”が目を疑うほどの素早さで肉薄する中、転移術を行使しているヒカルは襲撃者に気づく様子もなく、ホッと安堵するような表情を浮かべている。


(回避は不可能。防ぐことは――)


 ヒカルが身に着けている聖鎧。およそ全ての凶器を跳ね返し、装備者に絶対の守護を与える神器――なれど。

 “影”が握るナイフの刃へ視線を落として、強く確信する。その刃は、まず間違いなくヒカルを害することができる代物だ。絶対防御の謳い文句を文字通り貫いて、友の命を容易く奪える凶器。

 襲撃者の存在に気がついたのはヤマトのみ。であれば、ヒカルを救えるのもまた。


(俺しかいない!!)


 緩んだ全身を一喝、即座に全神経が覚醒する。

 絶えず耳に流れていた鼓動の音をも置き去りにして、手中の刀を立てる。仲間たちが違和感を覚えるよりも早く、踏み込み刀を振り上げた。


「シ――ッ!!」


 ヒカルの鼻先を掠める軌道で刀を振り抜く。

 突然のことに仲間たちが悲鳴を上げる中、“影”は斬撃の寸前で脚を止めた。すんでのところへ乱入したヤマトへ、モヤの中から眼を向けて。




「相変わらず、よく気づく人ですねぇ」




「貴様……!!」


 聞き馴染みのある声――クロだ。

 “影”の正体に合点がいき、それでもヒカルの身を守れたことに安堵した瞬間――目にも留まらぬ素早さで、クロはヤマトの腕を掴んだ。


「なっ!?」

「あなたには、こちらへ来てもらいましょうか」


 反応などできるはずもなかった。

 思考が空白に埋め尽くされる中、クロに腕を引かれたヤマトは数歩よろめき、転移術の外へ連れ出される。


「ヤマトっ!?」

「な、今すぐ転移を止め――」


 悲鳴にも似たノアの叫び。

 慌てふためいたヒカルが転移術に作用しようとした瞬間。


「―――――」

「あらら、皆さん行ってしまいましたねぇ」


 部屋の中全てを照らしていた光は失われ、代わりに降りてきたのは呼吸すら苦しくなるほどの重い闇。幾つもの視線が身体に突き刺さるのを自覚しながらも、ヤマトの頭は空回りを続ける。

 呆然と目を見開くしかないヤマトの耳元に口を寄せて、クロがニヤニヤと笑みをたたえた声を吹き込んできた。現実を直視しようとしないヤマトの意識を揺さぶり起こし、絶望の苦味を無理矢理口に含ませるような愉悦をたたえて。


「さてさて。私たち魔王軍に囲われるはあなた一人。正しく、絶体絶命の危機と言いましょうか」


 世界から急速に色が失われる中。

 固く握り締めていた長刀が僅かに、ヤマトの手の中で身震いを漏らした。

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