第204話
蜘蛛型ガーディアンはヤマトの斬撃を身に受け、真っ二つに分かれて沈黙している。
その残骸を横目にしながら、ヒカルたちはガーディアンが守護していた部屋を隅々に至るまで調べ回っていた。
「うーん……」
「何か見つけたか?」
小さな唸り声を漏らしながら首を傾げるノアに声をかければ、ノアは諦めを滲ませた溜め息と共に肩をすくめた。
「いーやさっぱり。ガーディアンを倒したことで“何か”が動いていることは分かるんだけど、それ以外は何も」
「“何か”か」
口に出しながら、床に円を描くように掘られた溝に視線を落とす。
蜘蛛型ガーディアンを撃破した前と後とで明確に異なる点と言えば、その溝が光り輝くようになったことが一番に挙げられる。目に痛くないほどの光を放つ床は美しく思えたが、逆に言えば、それ以外には特に変化の様子が見られない。
「ただ光ってるだけではないのだな?」
「うん。それは単に遺跡の機能が動き始めてるってだけ。それとは別に、変な魔力の流れがあるみたいなんだよね」
魔力を一切感知できないヤマトでは知り得ないことだったが、ノアの言葉にはリーシャとレレイも同意するように首肯している。三人ともが同様に感じ取っているのであれば、その感覚を疑う方が道理に合わないか。
軽く頷いて話の続きを促せば、ノアは再び口を開いた。
「やたら複雑に魔力が織り込まれていて、全体像が掴めない。無理矢理に魔力経路を遮断してみたりもしてるんだけど、それ用の対策も仕込まれているみたいでさ。真っ向勝負で開けるなら、もうしばらく時間がかかるかも」
「時間をかければ解けるのか」
「多分ね。ここまで手の込んだことをやっておいて、何の意味もないことは――まぁ、ありえるんだけど」
ノアはそう言って苦笑いを浮かべるが、こちら側としては笑い事ではない。ここまで苦労してきた挙げ句が無駄骨に終わったとあれば、あまりの徒労感にしばらく動く気力を奪われてしまうかもしれない。
心なしか焦りを滲ませた声を、脇で聞いていたヒカルが上げた。
「私がここの魔力全てを鎮めるのはどうだ? どれほど複雑に作られていても、それならばすぐに解けるだろう」
「それは最終手段かなぁ。なしではないんだけど、どんな誤作動が起こるかが読めないんだよ。遺跡の機能とどう繋がってるのかも分からないから、何も起こらない可能性だってあるけど、前みたいなことになる可能性もある」
「ぬぅ」
ノアの言う「前みたいなこと」とは、エスト遺跡で発生したガーディアン騒動のことだろう。あのときは無数のガーディアンが一斉に起動したことで、遺跡内にいたヒカルたちも無事では済まないほどの大災害が引き起こされた。同行していたミドリ――人化した竜種の少女に助けられなければ、今こうして五体満足でいられたのかも分からないほどの災害だった。
それと同程度のことが氷の塔で引き起こされたならば、どうなるか。
「古代文明の遺跡は理屈が分からないことも起こるからね。妙なリスクはできるだけ抱えたくないんだよ」
「……分かった」
焦れる心を鎮めるように深呼吸を繰り返しながら、ヒカルはノアの言葉に首肯する。
結局は、ノアたち魔導術への造詣が深い者の解析を待つしかないということ。そわそわと浮足立つような心地を自覚しながら、ヤマトは部屋の隅に腰を下ろした。
「ねぇお姉ちゃん! 床光ってて綺麗だねー!」
「えぇそうね。ちょっと危ない場所だったみたいだけど、今はもう大丈夫みたいだし」
忙しく部屋の調査に歩き回るノアたち、ジッと焦りを堪えて床に座るヒカルたちから視線を外せば、代わりに目に入ってくるのはリリとラーナの二人だ。長らく北地に住んでいた彼女たちにとっても氷の塔は目新しさに溢れているようで、落ち着きない様子で頻りに辺りを見渡していた。
(ずいぶんと呑気なものだ)
無邪気にはしゃぐ姿を見せる彼女たちの姿を横目に、そんなことを胸の中に思い浮かべた。
吹雪と魔獣の中に置き去りにされていたリリと、その姉だというラーナ。出会いが出会いであったがために、今でも到底信用はできない二人であるが、その言動に裏表があるようには見えない。リリは見覚えのない遺跡の内装に歓声を上げ、ラーナはそれを窘めながらも隠せない好奇心を顕わにしている。
(勘繰りすぎだったのか?)
思わず気を抜きそうになったところで、慌てて引き締め直す。
ひとまず彼女たちに打算を秘めた様子が伺えないからと言って、無条件に信じるまでには値しない。彼女たちがヤマトの目を欺けるほどの演技巧者だという説もあれば、自覚できない方法で理想されているという説も考えられる。
ヒカルがリリたちに心を許し、彼女に釣られてノアたちも段々と警戒を緩め始めている現状。ヤマト一人だけでも変わらない警戒心を抱いていることは、決して無意味ではないはずだ。
そう己に言い聞かせたところで――ヤマトは床に下ろしていた腰伝いに、微弱な振動を感じ取った。
「む……?」
「ヤマト、どうかした?」
ノアの問い掛けを無視して、思わず周囲に視線を巡らせる。
室内に変化したところは見えない。透明なガラスで囲われた部屋は殺風景で、窓の外も分厚い灰色の雲で覆われてしまっている。部屋が微かに振動していると感じ取った者も、ヤマト以外にはいない――
「あれ? 何か揺れてる?」
リリの言葉が耳に滑り込んだ。
「え、本当?」
「うん。ガタガタ-って、小さく揺れてる気がする……?」
ノアの問いに答えるリリだが、その言葉は自信なさ気に尻すぼみになっている。更に詳しく聞こうとするノアたちの視線を受けて、口を閉ざして縮こまってしまった。
だが、ヤマトはリリの言葉で確信を得ることができた。
「確かに“何か”が動いているようだ」
「ふーむ?」
応じるノアは今一つ振動を感知できていないようだが、その目に疑いの光は宿っていない。むしろ、早く続きを聞かせろとせっついているようですらあった。
「段々と大きく――いや、“何か”が近づいているのか?」
「ふむ。確かに妙な気配が寄ってきているようだ」
続いて“何か”を感知できたらしい。レレイがヤマトの言葉に同意の首肯をした。
一行の中で三人がそれを察知した。ならば、ここから更に疑う必要はない。
「ガーディアンかな」
「……違うな。少々遠いが、確かに生者の気配だ」
「うむ。それにこれは――」
ヤマトも未だ察知できないことに気がついたのか、レレイが表情を険しくさせた。一瞬遅れて、ヤマトもそのことに思いが至る。
「――強いな」
「うむ。私たちと互角かそれ以上か。いずれにせよ、楽な戦いにはなるまい」
「難敵ってことか」
ノアの言葉に首肯する。
まだ目の当たりにしていないがために定かではないが、決して与しやすい相手ではないはずだ。一度刃を交えたのならば、相応の苦戦を強いられるだろうと確信できる。
「どうするヒカル。迎え討つか、退くか」
「準備に時間はかかるかもしれないけど、転移を使えばここから逃げることはできそうだよね」
長距離かつ多人数を対象とした転移。相応の労力を要することは察せられるが、不要な戦いは避けられることだろう。
そんなノアの言葉を受けて、ヒカルはしばらく考え込む様子を見せた後、ゆっくりと首を横に振った。
「いや、迎え討とう。まだここに来て何の手掛かりも得られていないのだからな。ひとまず転移の発動準備は整えておくが、相手を見てからでも遅くはないはずだ」
「了解だ。……っ!?」
ヒカルの言葉を聞き、それに首肯した瞬間。
ヤマトの背筋を悪寒がザワッと駆け巡る。思わず身震いが漏れ、身体に鳥肌が立つ。
「ヤマト?」
「……何でもない」
根拠のない直感。ここ最近の戦いによい記憶がないから、無意識の内に苦手意識を抱いてしまったのか。
頭の中でそんな理屈を並べながらも、ドクドクと嫌なリズムを打ち続ける心臓の鼓動を聞いて、ヤマトは脂汗を滲ませた。




