第202話
「何とか押し切ることができたか」
渾身の『斬鉄』を受けて胴を真っ二つに斬られた蜘蛛型ガーディアンは、もはや紫電を奔らせることもなく沈黙した。半信半疑のまま数秒黙って見つめたが、ガーディアンが修復する気配はなく、どうやら完全に力尽きたらしいと断じてようやく溜め息を漏らす。
「すごいすごい!!」
「……皆さん、お見事です」
「ふむ。結局私の出番はなかったな」
ガーディアンが陣取っていた部屋へ入ることなく見守っていたリリとラーナ、そして彼女らを万が一にも巻き込まないよう備えていたレレイが、各々の顔に喜色を浮かべながら口を開いた。努めて冷静たろうとするレレイの声にも、難敵を順調に撃破できたことへの安堵が滲み出ているようだった。
彼女たちの賑やかな声に相好を崩しながら、ヤマトは先程の戦いを思い返す。
(結果を見ればよかったものの、危うさの残る戦いだったか)
戦闘前に練っていた戦略では、戦いの要にはヒカルを据えるはずだった。この面々の中で最も戦闘力の高いヒカルを先頭に置き、ヤマトたちは彼女が充分に実力を発揮できるように補佐する。ガーディアンの意識を散らす陽動や、周囲に散らされる攻撃の対処、ヒカルが突け入れる隙を作り出すことなどが、ヤマトたちの役割だったはずなのだ。
だが、そうした計画はガーディアンの初手によって崩壊させられた。ヒカルたちが予測全てを上回る動きで突貫したガーディアンを前に、最高戦力たるヒカルを受けに回さざるを得ない状況に追い込まれてしまった。
それからはアドリブの連続だ。守りに入りながらも攻めへ強引に転じたヒカルに、ヤマトとノアが後を引き継いだ。長らく冒険者稼業を共に営んできただけあって、ノアと動きを合わせることは容易かったが、ここにリーシャが入っていたら話は変わっていたことだろう。その意味で、結局目立つことなく守りに入っていたリーシャの判断も正解であったと言える。
古代文明の遺物を相手に臨機応変な戦いができたということは、これまでの戦いの賜物と言うことができよう。そのことを誇らしく思う気持ちは少なからずあるが、それはそれとして、事前の戦略通りに進められなかったことを問題にする必要はある。
「ヤマト、難しい顔をしてどうかした? どこか怪我でもした?」
険しい表情を浮かべるヤマトに気がついたのか、ノアが小さく声をかけてくる。声量を抑えているのは、無邪気に勝利を喜ぶヒカルらに水を差すまいとしてのことか。
彼のそんな配慮に苦笑いを浮かべたくなりながら、小さく首を横に振る。
「そういう訳ではない。ただ、まだ未熟だと感じただけのことだ」
「あぁ、そういう」
数年以上のつき合いは伊達ではない。短く端折ったヤマトの言葉を受けて、ノアはそれが意味するところを大まかに把握したらしい。身を案じる優しい表情は引っ込めて、代わりに一流冒険者としての凛々しい顔つきを覗かせる。
「作戦は所詮作戦で、実際に想定通り動けることは極稀でしかない。そんなことは言うまでもないよね」
「うむ。だが、だからと問題にしないことは違うだろう」
「まぁね」
人は失敗から学ぶ生き物であるとは、よく言われるが。常に生死を賭けた冒険に身を投じているヤマトたち冒険者からすれば、それでは甘すぎると言わざるを得ない。失敗が即死を意味する世界においては、成功からも学べる生き物が大成するのだ。
今回の戦いも、ひとまず勝てたからよしとするようなことは問題外。勝利の中にも絶えず反省点を見出して己の糧とする努力を怠るようでは、とても勇者の偉業が果たせるとは思えない。
そうした理屈を踏まえた上で、対蜘蛛型ガーディアン戦を振り返ってみるならば。
「俺たちはヒカルに依存しすぎているな」
「それはまぁ、仕方ない気もするけどね」
「仕方ないことであろうとも、問題であることに違いはあるまい。今の状態は少々歪だ」
もはや誰も疑うことができないほど明確に、ヒカルの力はヤマトたちの中で抜きん出ていた。異界から召喚された当初から備えていた加護も強力であったが、これまでの旅を経て集めた信仰心により、更に手の打ちようがないほど加護は強化されている。既にヤマトもヒカルと剣戟を繰り広げることは難しく、ただ力任せに振り回される剣の対処に手を焼かされる始末だ。
そんな時空の加護に加えて、大陸各地から収集した初代勇者の武具すらも破格の性能を有している。今のヒカルに弱点があるとすれば、同格以上の相手と戦った経験が少ないことのみだが、果たしてヒカルと同格な相手など存在し得るのかどうか。
「……ヒカルが規格外すぎる、とは思わないんだね?」
「無論だ」
近頃は勇者ヒカルの補佐に奔走しているとは言え、胸の奥底に秘めた根源の炎は鎮まっていない。刀一振りを頼りに世の頂を目指すという誓いが燦然と輝いている以上、如何にヒカルが理不尽を体現する存在であろうとも、いつかは打倒すべき対象だ。その実力がどれほど隔絶しているかに畏怖することはあれど、萎縮する可能性はない。
まるで根拠がないながらも曇りなく真っ直ぐな光を宿したヤマトの眼を見つめて、ノアはふっと小さな笑みを浮かべた。
「よかった。それでこそヤマトだ」
「どういうことだ」
「さてね」
どうやら素直に答えるつもりは毛頭ないらしい。はぐらかすような笑みを浮かべたノアに、ヤマトは諦めて肩をすくめる。
「差し当たっては、俺たちもヒカルの足手まといにならぬよう励む他ないか」
「簡単に言うけど、中々難しいことだよそれ?」
「難しいからと妥協していいことではあるまい」
「いやー脳筋の理屈だね」
茶化すようにノアは口にするが、その必要性は彼自身認めているところなのだろう。言葉ほどに表情は緩んでおらず、むしろどことなく真剣な面持ちですらあった。
「ヒカルの横に並び立てるほどに強くなる」。口にするだけならば簡単だが、果たしてそれを成し遂げるためにはどれほどの労力が必要となるのか。少し気が遠くなるようにも思えるが、それでも成し遂げなければならないことだ。
心の中にわだかまっていたことをひとしきり口に出せたことで、スッと胸が空くような心地を覚える。それを見計らっていたかのように、ヒカルたちと談笑していたリーシャが口を開いた。
「そろそろ休憩も終わりにしましょう。ガーディアンが守っていたくらいだから、何かはあるはずよ」
「うん。そうだな」
リーシャの言葉にヒカルが首肯する。
言われて視線を転じてみれば、蜘蛛型ガーディアンが鎮座していた部屋の中心部が、円形を描くように微かに光り輝いているのが分かった。ガーディアンを討伐したことがきっかけか、はたまた別の理由があったのかは分からないが、確かに“何か”があるのは間違いないだろう。
戦いを乗り越えてどことなく気怠い身体に鞭打ち、ヤマトはその場からゆっくり腰を上げた。