第200話
古代文明の遺物と言えば、先日のエスト高原にあったガーディアンに守護された遺跡が記憶に新しい。ほとんどが戦い方を知らない一般人だったということを踏まえても、そのガーディアンの手によって数十人の命が散らされたことは、ヒカルたちの頭の中に未だ鮮烈な印象を残していた。
自然、この氷の塔を登るヒカルたちは警戒を絶やさず、いつガーディアンの襲撃があっても対応できるように備えていたのだが。面々の危機感とは裏腹に、延々と続く道のりは危険一つない安全なものであった。
「……いい加減辟易してきたな」
「同感。だけど、そろそろ頂上に着く頃だと思うよ」
外からは継ぎ目一つない真っ平らなものに見えた塔の外壁だが、実際には定期的な間隔で窓ガラスが嵌め込まれている。そこから望める景色は当初こそ新鮮な驚きをヒカルたちに与えてくれていたのだが、既に数時間ほども登り続けている今にしてみれば、大して代わり映えしない景色には辟易する以外ないのだ。
鍛え上げたヤマトはまだ体力に余裕が残っているものの、身体を作り込めていないノアやラーナなどは息も絶え絶えだ。今すぐに倒れ込むほどの疲労困憊ではないものの、奇襲を受けた際に即座に対応できるかと問われると、正直首を傾げざるを得ない。
(一度休息を挟むべきか)
登り続けることはできても、このままでは不測の事故を引き起こしかねない。頂上が近いとは言っても、その前に一息入れることが得策だろうか。
そんなことを進言しようとしたところで、天真爛漫に好奇心で目を輝かせていたリリが口を開いた。
「あっ! 階段終わりだよ!」
「む」
言われて見上げれば、確かにもう数メートルも登った先に踊り場がある。そして頂上の部屋に続くと思われる扉が備えられているところが目に入った。
半日にも及ぶ階段の終点。それを目の当たりにしたことで、重苦しかった空気がにわかに明るくなることを肌で感じ取る。
「早く行こ!」
「こらリリ、引っ張らない!」
はしゃぎだすリリを窘めるラーナの方も、その表情には隠し切れない気色が浮かんでいる。最初は氷の塔にいるというだけで興奮気味であった彼女も、やがて果てしない階段を前にして意気消沈していたのだ。その光景が一変するというだけで心が高揚するというものなのだろう。リリに手を引かれるに任せて、残り数段を一気に駆け登っていく。
ヤマト自身も太腿に残る倦怠感こそ拭えない一方で、それを押してでも足を前に進ませる高揚感が湧き上がることを自覚する。ここで無理に休憩を挟もうなどと言ったところで、気が急いてまともな休息にならないことは目に見えていた。
「……俺たちも行くか」
「扉の前でも休めるだろうしね」
ノアの言葉に首肯し、ヤマトも階段を一息に登り切る。
塔の根本から延々と階段を登り続けて半日ほど。途中で幾らかの休息は挟んだものの、その大半の時間はずっと足を動かしていたことになる。激しい運動でこそなかったものの、着実に積み重なった疲労はヤマトの脚を重くし、叶うことならばここで寝てしまいたいという悲鳴を漏らしていた。
(止まるにせよ進むにせよ、ひとまずは先を確かめるとしよう)
そんなことを思いながら、ヤマトは目前の扉を見つめる。
氷の塔に使われている未知の技術と比べればずっと分かりやすい、押し開くタイプの扉だ。鈍い色を放つ取手が備えられているだけで、鍵穴のようなものは見当たらない。
「鍵はかかっていないみたいだね」
「開けるぞ」
率先して扉の取手に手を掛けたヒカルが、グッと身体を前に倒す。やはり長年経っていることを感じさせない扉はそれに従順に応え、スルリと見た目の重さに似合わない軽やかさで開けられた。
扉の先から暖かな空気が流れてくるのを頬で感じながら、ヤマトは油断なく視線を飛ばす。
「あれは……」
「番人かな。ちょっと変な姿だけど」
氷の塔の頂上と思しき空間は、四方三十メートルほどの展望部屋であった。四方が透明な窓ガラスで囲われており、まるで雲の中に立っているような錯覚に襲われる。雲の切れ間からは北地の雪景色が望める光景は圧巻であり、観光名所として十分以上に通用するように見える。
そんな平和的な光景を裏切るかの如く、部屋の中央に鎮座する“異物”が一つ。
(ここを守るガーディアンか)
エスト遺跡に置かれていたガーディアンが石の巨人としか形容できない姿をしていたことと比べると、この氷の塔のガーディアンはずいぶんと毛色が異なっていた。相変わらずの謎素材で作られた球体に、八つの脚と腕が生やされた姿――蜘蛛を模したガーディアンと言うべきか。針のような手足の内四つで大地を踏みしめ、残る四つの針が中空に浮いたところで静止している。
「一体だけかな。見た感じはそんなに強くなさそうだけど、何か秘密の機能が隠されているのかな?」
「さてな。案外、ここは労力かけて守護するべき場所ではないと判断されているだけかもしれん」
「それだったら嬉しいけど」
流石に楽観視がすぎるだろうが、可能性としてない訳ではない。不必要に警戒しすぎて無駄に体力を消耗するというのも、少々馬鹿らしい話ではあった。
見たところ、ガーディアンに隠し兵装が積まれているようには思えない。エスト遺跡で散々に苦しめられた魔導砲が搭載されているかと見てみたが、あのときの威力の砲撃をそのままここに持ち込まれてしまっては、氷の塔が番人の手によって破壊されかねない。守るべきものを壊してしまう兵器は、さしもの古代文明と言えども運用しないはずだ。
(とは言え、油断は禁物。追い詰められたなら使うと想定するべきか)
目視してからは対処が困難な砲撃。とても人の身で耐えられるものではない暴力と相対するならば、ヒカルの力を前提にしなければなるまい。
(結局ヒカル頼りということに思うところはあるが)
感情で現状認識を歪ませてはならない。今の勇者パーティにおいてヒカルの力は抜きん出ており、様々な方面からサポートしてきたヤマトたちは彼女に遅れを取っている。今はまだ足手まといには至っていないと自負しているが、それでも、今回のような強敵を相手取る場面ではヒカルが先頭に立たざるを得ない。
もっと強くならなければならない。
そんな思いがヤマトの胸中で膨らむが、それを口にしたところで仕方ない。
(今は俺ができることを努めるまで)
差し当たっては、目前にそびえ立つガーディアン。それに致命打――ヒカルの一撃を与えるために、ヤマトたちはガーディアンに決定的な隙を作り出す必要がある。
エスト遺跡ではガーディアンを相手に苦汁を舐める結果になったが、ここでまた繰り返すつもりはない。
ふつふつと湧き上がる熱い闘志を自覚しながら、ヤマトは静止し続けるガーディアンの威容に鋭い目を向けた。