表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界のサムライ  作者: ヨシヒト
北地編
198/462

第198話

 その日の北地の空模様は、幾分かご機嫌斜めであるようだった。

 空は灰色の分厚い雲に覆い隠され、絶えず冷たい粉雪が降り注ぐ。寒風は天上からの雪と地に降り積もった雪を巻き上げ、辺りの景色を白い幕で閉ざす。ふと気を抜けば前後左右の区別がつかなくなり、一歩足を進めるだけでも相当な労力を要する道のり。

 大陸の遥か南部で雪と無縁の生活を送ってきたレレイなど、集落を出てきた当初の活発さはどこへやら、今はうんざりとした表情で辺りの雪景色を睨めつけている。もはや悪態を吐くだけの気力も残されていないようで、かれこれ一時間以上は黙したまま歩を進めていた。

 他方、北地でずっとすごしてきたリリとラーナにとっては、この程度の悪天候は大した障害にはならないらしい。


「あははっ! 雪が冷たーい!」

「リリ! あまりはしゃいでいると、また逸れるから……」

「大丈夫!」


 昨日出会った際の防寒着を何枚も重ねた格好はそのまま。もっこりと柔らかそうな毛皮の塊の如き様相を呈しているが、その動きは天真爛漫と言う他ない。ふと目を離した隙に吹雪の中をちょろちょろと駆け出してしまい、ヒカルたちの視界から姿を消してしまうのだ。

 リリは無邪気な笑い声を上げているが、彼女と手を繋ぐラーナの表情は真剣そのもの。先日は不注意でリリを雪原の中に置き去りにしてしまった反省もあって、少しも気を抜いてはならないと己を戒めているのだろう。散々にリリに振り回された疲れを滲ませながらも、未だにむんっと気合いを入れているような様子が伺えた。


「子供は風の子なんて言うけど、あれ見てると納得しちゃうよね」

「風の子を通り越して、もはや嵐の子のような有り様だがな」


 リリを眺めて疲れ果てた声をノアが漏らす。

 それに苦笑いを浮かべながら、ヤマトは柔らかい雪の中に埋まった脚を引き抜く。小柄なリリ程度の重みであればまだしも、既に大人になったヤマトの重さを新雪が支えられるはずもない。一歩進むごとに身体が数センチ沈み込むような環境は、着実にヤマトらの体力を奪っていた。

 ヤマトやノア、そしてレレイだけの話ではない。リーシャも疲れのあまりに俯きがちになっている上に、ヒカルまでもが無口になっていた。時空の加護による身体能力強化は今も発揮されているはずだが、それでも誤魔化すことのできない強行軍になっているのだろう。


(そろそろ休息を入れるべきか)


 辛うじて余力を残しているものの、とても十全とは言い難い体力状況。魔獣の襲撃を退けることは可能でも、何が起こるか分からない北地を渡るのであれば、更に余裕をもった計画を立てるべきだ。

 他人の様子も目に入らない面持ちで歩く面々に向けて、手を大きく打ち鳴らそうとしたときだった。




「あっ! 見えたよ!!」




 はしゃいだ様子のリリの声。

 それに釣られて視線を上げたヒカルたちは、吹雪で薄っすら白く閉ざされた景色の中に大きく浮かび上がった黒い影を認めた。


「あれは……」

「氷の塔。この辺りに住む者は皆あの影を見たことはありますが、その実物を確かめた者はいません」


 ラーナの言葉にヤマトは小さく首肯する。

 リリが叫ぶまで気に留めてこなかったが、言われたらもはや無視できないほどの威容の影が眼前にそびえ立っている。吹き荒れる粉雪の幕でその姿を実際に確かめることはできないが、確かに「塔」であると頷けるシルエットだ。


「ここから氷の塔に向けて歩を進めようとすると、分厚い吹雪に阻まれるのです。大抵の者はそこで引き返すことになりますが、それでも前に進もうとした者もいたそうです。ですが――」

「辿り着けなかったのか」

「はい。吹雪の中を進んだ果てに、気がつけば元いた場所まで戻されていたそうです。魔力や、魔力に頼らない術をもって真っ直ぐに進んでみても結果は変わらず。いつしか、誰も到達することができない幻と言われるようになりました」


 これが大陸にありふれた不思議話であるならば、元いた場所に戻ったのは吹雪の中で方向感覚を失っただけ。塔の影は何か別のものが大げさに映し出されただけと結論づけられるのが常だ。帝国で進められた技術研究は数多の真理を明らかにし、その過程で更に多くの勘違いを是正してきた。自らが思うほどに人の感覚は定かなものではなく、ふとした要因によって簡単に欺かれるものである。

 ここが北地。住んでいるのが規格外の魔族ばかりと言えども、そうした大陸の常識が全く通じないと考えてしまうのは早計だろう。魔族とて人間と同じような感覚器官を有しているのだから、人と同様に感覚を欺かれても不思議ではない。


(だが、幻と断ずるには迫力ある光景だな)


 先程よりも数段冷静な眼で、吹雪の中に浮かび上がる塔の影を眺める。

 高さは数キロに至るだろうか。遥か遠くに薄っすらと塔の頂があることは確かめられるが、そこまでの距離感が把握できるような状況ではない。影のシルエットから察するに相当細い塔のようだが、果たしてそんな塔が猛吹雪の中で立っていられるものだろうか。


「実際に確かめれば分かる話だ」


 無言のまま小首を傾げていたヤマトに対して、威勢のいい言葉を吐いたのはヒカルだ。先程までの気怠げな様子はどこへやら、力に満ち溢れた様子で腰の聖剣に手を掛けている。

 まるで戦いを目前にしたかのような気迫の波。ビリビリと辺りを震わせるほどの闘志を放ちながら、ゆっくり聖剣を引き抜いた。剣の刃から退魔の光が溢れ出し、吹雪を斬り裂いて周囲を照らし出す。


「あ、あなたは……!?」

「すごーいッッッ!!」

「下がってくれ。万が一にも巻き込むといけない」


 かつてヒカルの力を竜種に匹敵するものと形容したが、それも改めなければならないだろう。触れただけで弾き出されそうな闘志の奔流に、立ちはだかる者を等しくひれ伏させる聖剣の威光。鎧と篭手から放たれる光も辺りの粉雪を吹き飛ばし、ヒカルの周囲一帯だけが別世界に生まれ変わったかのような錯覚すら覚える。

 あまりの力に畏怖を覚えるラーナに、無邪気に喝采の声を挙げるリリ。二人の正反対な反応に苦笑いを漏らしながら、ヒカルは氷の塔の影に相対する。


「ヒカル。何をするつもりだ」

「吹雪の中を潜り抜けるのは難しいという話だったからな。道を作る」


 事もなさ気に口にされた言葉。

 その意味をヤマトたちが理解するよりも早く、ヒカルは聖剣を大上段に構えた。肩幅ほどに足を広げ、身体から無駄な力を抜いてゆらりと佇む。


「――いざ」


 背中に嫌な予感が駆け巡る。

 それに従って咄嗟に地に伏せたヤマトの耳に、振り抜かれた聖剣の風切り音が届いた。


「ふんッ!!」

「冗談――」


 「冗談じゃない」とでも言おうとしたのだろうか。焦燥感を滲ませたノアの言葉だったが、意味あるものにならないままに虚空へ消えていく。

 振り抜かれた聖剣の刃から放たれる斬撃は、周囲一帯の吹雪を丸ごと喰い散らかすようにして暴れ回る。南海の大嵐でさえこうはなるまいというほどの衝撃波の嵐が、北地の大地を抉り出す勢いで雪を巻き上げた。

 ひたすら衝撃に備えて身体を固くしたヤマトの背を、辺りに渦巻く吹雪が比較にならないほどの烈風が打ちつける。暴風の中から仲間たちの悲鳴が聞こえた気もするが、それに構うだけの余裕はどこにもない。気を抜けば風に持っていかれそうになる身体を押さえつけて、大地にしがみつくだけで精一杯だった。


「―――」


 ……………。

 …………。

 ………。

 十秒、一分、数分。どれほどの時間が経ったのかは分からない。

 ふと衝撃波の嵐が収まっていることに気づいた。背中に思い切り重石を叩きつけられたような鈍い痛みが走る中、ゆっくりと顔を上げる。


「……無茶苦茶だ」


 ヒカルが巻き起こした暴威の嵐、それによって有り様を一変させられた北地の光景を目の当たりにして、ヤマトの口からはそんなありきたりな言葉しか出てこなかった。

 冷たい雪が舞い散り、周囲一帯が純白の化粧をさせられた大地。そんなものは、ヒカルの一撃を受けてもう見当たらない。

 正しく神話の一撃に匹敵する斬撃は積雪の尽くを巻き上げたのみならず、吹き荒ぶ寒風までをも鎮めた。空から僅かな雪が降り積もる光景はそのままだが、大地は抉れて久しく目にできなかった土肌を露出させる。粉雪を乗せて渦を巻いた風はどこかへ消え去り、斬撃の名残をそのままに一方向へのみ吹き抜けていた。

 そして、聖剣の一撃が貫いた先。分厚い雪と風の壁が失われ、代わりに“それ”が堂々たる威容でそびえ立っていた。


「あれが、氷の塔……?」

「綺麗だねー」


 曇天模様の灰色の空の下にあっても白く輝く塔が、そこにはあった。

 誰の目にも留まらなかったゆえに汚れを知らない純白の外壁。目を凝らせども継ぎ目が一つも見えないが、根本に小さな扉が備えられていることが分かる。吹雪を通り抜けた客を歓迎するかの如く、その扉は無防備に解き放たれていた。

 こうして目の前にしてもなお、現実に存在する塔とは思えない幻想的な姿だ。大地の底に眠る竜の牙だとでも説明された方が、まだ理解のしようがあるようにも思える。


(ここに聖靴が眠っているのか)


 魔族の集落では眉唾程度にしか考えていなかった情報だが、にわかに真実味を帯び始める。

 誰にも実在を確かめられなかった氷の塔が、こうして確かに存在していた。当然その中に人の手が及んでいないとあれば、まだ見ぬ宝――例えば初代勇者の武具が眠っていたとしても、まったく不思議ではない。

 ゆっくりと身体を起こし始めたヤマトたちに気がついたのか、聖剣を振り切った体勢でいたヒカルがそっと構えを解く。剣の刃を鞘に収め、身体から漏れ出る闘志の名残を抑え込んでから振り返る。


「道は開けた。行くとしよう」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ