第193話
(一見した限りでは、普通の村に思えるな)
それが、魔族の女性に連れられて村へ入ったヤマトの最初の感想であった。
魔族。
初代勇者が現れるよりも古代から人と対立してきたとされる種族であり、黒い肌と額の角という分かりやすい特徴さえ除いてしまえば、後は人とほとんど見分けのつかない者たち。そんな外見とは裏腹に、黒い身体に宿した魔力量は驚異的の一言に尽くされ、単騎で人間の小部隊程度に匹敵してみせるだけの戦闘力を秘めている。反面、人よりも低い繁殖力しか持っていないために栄華を築くことはできなかったと伝えられていた。
過去幾度にも渡る勇者と魔王の戦いに巻き込まれ、その個体数は絶滅寸前にまで減少している。人の目が行き届く場所では魔族の姿は確認できず、一人でも見かけられたならば即座に大事件となるほどであった。帝国で立ち上がった魔族研究の専門家などは、めっきり見ることのできなくなった魔族の住処を躍起になって探しているとまで聞く。
そんな魔族が、この村では当たり前に溢れていた。
「おぉリリ! 無事だったのか!?」
「うん! この人たちに助けてもらったの!」
「それはよかった! 姉ちゃんをあまり心配させるなよ?」
「うん!!」
リリとその姉に連れられて歩くヒカルたちに、リリの姿を認めた村人たちが嬉しそうな調子で声を掛けてくる。村の中ということでフードを払い除けたリリは、魔族の証たる小さな角を覗かせながら、輝くような笑みを浮かべて一人一人に応えている。
見たところ、数十人程度が暮らせる程度の広さの村だ。人数の少なさもさることながら、繁殖力の低い魔族ということもあって、この村ではリリのような子供は宝に等しい存在なのだろう。皆一様に、リリが五体満足で帰ってきたことに嬉しげに頬を緩ませていた。
そんな、心温まる和やかな光景を前にして。
「リーシャ。抑えろ」
「……分かっているわよ」
呑気そうな村人たちには悟られずとも、少し敏感な者が見れば一目瞭然であろう。
触れれば即座に斬られそうな緊張感を漂わせて、リーシャが魔族の面々を睨めつけていた。その手こそ剣には掛けられていないものの、即座に抜剣できるような姿勢を保ち続けていることがよく分かる。
臨戦態勢の一歩手前。ヤマトが必死に制止しているからこの状態でいるが、もしそれがなかったならば、今頃どうなっていたことだろうか。剣を抜き払い、村人たちを威圧していてもおかしくないと思わせる迫力が滲み出ていた。
(正体を気づかれていないことは幸いであったな)
目深に被っていたフードを更に深く下ろしながら、ヤマト自身も腰元の刀を確かめる。
雪の降り積もる極寒の北地を渡るため、素肌が露出しないまでに深々と防寒着を着ていたことが功を奏したらしい。ここまで出会った魔族らはヒカルたちに訝しげな視線こそ向けるものの、その正体が魔族ではなく、敵対者たる人類であることには気がついていないようだ。
とは言え、油断は禁物。何かの拍子で気づかれてしまう可能性は低くないし、もし気づかれたならば、とても穏健な結末には落ち着かないだろう。人類と魔族のいがみ合いの歴史を思えば、流血沙汰になっても不思議ではない。
(ひとまず、腕利きは潜んでいないようだが)
先導するリリとその姉、そしてヒカルたちの会話を視界の隅に捉えながら。日暮れを目前にして、仕事に追われている魔族たちの様子を盗み見る。彼ら全員は確かに魔族らしい不気味さを内包しているようだが、その立ち居振る舞いからは戦士然としたものを感じられない。幾ら高い素質を秘めていたとしても、扱えていないのであれば無いに等しい。非戦闘員に近しい彼らならば、万が一戦いになっても楽に片づけられることだろう。
「案外、大人しい人が多いみたいだね」
「……そうだな」
ヤマトと同様に周囲の魔族らを観察していたノアの言葉に、静かに首肯する。
魔族という種族に植えつけられた恐ろしいイメージとは裏腹に、彼らは人当たりのよい者がほとんどのように見える。顔を隠して話す分には、彼らが魔族であると勘づくことは不可能に近いだろう。
「だが、だからと言って気を抜いていい道理はない」
「同感。魔力を見るなら、全員が化け物みたいな量を秘めてるよ」
戦士としての心構えができてなくとも、その身体に宿した力は本物ということか。
魔力を感知できないヤマトでは分からないことだったが、ノアはそれを敏感に察知できたようだ。彼もリーシャと同様に、何かあれば即座に動けるように身構えているように見えるのは、魔族たちが秘めた危険性を正しく把握できているからだろう。
改めて気を引き締め直してから、村の周囲を囲う石垣を眺める。
「あの程度の壁で済ませられるのは、個々が魔獣と戦える力を有しているからか?」
仮に魔獣が侵入してきたとしても、魔族としての力を振るえば簡単に撃退できるのだろうか。
そんな推測を秘めたヤマトの言葉に、ノアは即座に首を横に振る。
「近くで見て分かったけど、あれは魔導具だね。魔獣避けの術が仕込まれている」
「む」
「だいぶ簡略化されている上に効率も悪いけど、魔族のスペックなら問題なく稼働させられる。それで安全地帯を確保しているみたい」
それはつまり。
人間が過酷な自然で生き抜くために編み出した魔導具を、魔族も同様に作り出したということか。
「魔獣を一人で追い払えない人も、きっと少ないないんだろうね」
「……向こうに知らせれば、学者共が押し寄せるな」
「村を作ってるって言うだけでも、充分騒がられるよ」
長年敵対してきたにも関わらず――否、敵対して迫害したからこそ、今の人間は魔族の生態についてはほとんど何も知らない。せいぜい、たびたび現れる魔王の陰に魔族らの姿があることが認められている程度だ。
半ば空想の産物にも等しい魔族らが、その実人間とほとんど変わらない文明を築いているとあれば、世の人々はどのような反応をするのだろうか。
(もっとも、まずはここから無事に帰還しなければならんな)
リーシャとノアはやや神経質なほどに辺りを警戒しているが、その甲斐あって不意に取って食われるような心配はしなくていい。レレイも物珍しげに周囲を見渡しているが、その佇まいに隙が生じているようには見えない。
そんな頼れる仲間たちと打って変わって、少々心配であるのが勇者ヒカルだった。
「――ほう。野草摘みか」
「うん! ちょっとだけだけど、雪の中にまだ食べられる草が残ってるの! 夏になったら、ちゃんと生えてくるんだよ?」
「ふむ。それは是非見てみたいものだな」
ずいぶんとリリに懐かれてしまったらしく、ヒカルはリリと手を繋ぎながら楽しげに会話をしている。その頭部はフルフェイス型の兜に覆われているが、表情が和やかに緩んでいるだろうことは想像に難くない。
この大陸に生きる人間であれば、骨の髄にまで魔族に対する恐怖心は根づいている。何らかのトラウマが生じている訳でなく、遺伝子レベルで恐怖が語り継がれているのだ。自然、何とか普段通りに振る舞おうとしているヤマトたちの態度には、魔族に対する警戒心が浮かび上がってしまっている。
対するヒカルは魔王と仇なす勇者でありながらも、元を辿れば魔族などいない異世界の出身だ。魔族に対する偏見の目などあるはずもないことが、リリたちへの柔らかい態度に表れているのだろう。
(とは言え、気を抜きすぎのようにも見えるが)
そこの部分は、ヤマトたちが辺りを警戒することで補うしかない。
段々と厳しさを増していく北地の寒さに身を震わせたところで、先導していたリリの姉が足を止めた。
「着きました。村長の家です」
「うん。早速挨拶するとしよう」
魔族の村を治める長。
ここでの会談の結果次第で、ヒカルたちがこの村で活動できるかが決まる。受け入れられないだけで終わればいいが、最悪の場合には暴力沙汰に発展することを想定しなければならない。
(気を引き締めるとしよう)
そっと肩の力を抜きながら、腰元で確かな重みを伝えてくる刀の感触をヤマトは確かめた。